自分が主観を認識するまでの過程を表す方法の考察と問題点

(Ⅰ)内容と場所という2つの認識は、
①別々に独立して成立しているが、
②必ず一組で認識され、
③どちらか一方だけでは認識されない。
この3点を前提として仮定する。

(Ⅱ)次に、A、Bを仮定する。
A:同時性 「」
複数の情報が1つの認識として集合していることを同時性と呼ぶことにする。
B:事象性 /
2つの認識は一組になってつながっている。このつながりを事象性と呼ぶことにする。事象性の両端に認識が1つずつ存在する。

(Ⅲ)(Ⅰ)と(Ⅱ)の仮定を使って、「自分」が「主観」を「認識」するまでの過程を考察する。

1:「認識」
情報の集合A/情報の集合Bという事象性があるとする。
情報の集合Aが「認識A」と同時性を形成しているとき、つまり「情報の集合Aは「認識A」である」/「自分」という事象性が成立しているとき、情報の集合Aは「認識A」/「自分」として成立し、出現しうる状態になる。
「認識A」/「自分」は、「自分」と「認識A」が認識として分け隔てられた状態であり、「自分」と「認識A」との間に「主観」は形成されていない。

2:一組の「認識」の組み合わせの成立
2つの情報の集合がそれぞれ「認識A」、「認識B」として同時性を形成した場合、つまり「情報の集合Aは「認識A」である」/「自分」という事象性と、「情報の集合Bは「認識B」である」/「事象性」という事象性が成立した場合に、情報の集合A/情報の集合Bという事象性は「認識A」/「認識B」という事象性になる。

3:「主観」の形成
「認識A」と「認識B」は互いに独立して成立し、かつ、「認識A」/「認識B」という事象性の一部分を形成している。以下、「A」/「B」とする。
ここで、「自分」に対して「「A」→「B」」や「「B」→「A」」/という、向きや方向をもった新たな同時性が形成される。
仮に、一方の「A」は「B」にとっての「内容」であり、もう一方の「B」は「A」にとっての「場所」であるとする。
このとき、一方の「「A」→「B」」は、「自分」を修飾する「自分の場所」となる。もう一方の「「B」→「A」」は、「自分」の所有する「自分の内容」となる。
「「A」→「B」」/「自分」と、「「B」→「A」」/「自分」という2つの事象性、「自分」の「主観」となる2つの「認識」が成立する。

4:「自分」という「認識」の成立
複数の「自分の場所」や「自分の内容」の集合のうち、複数の「自分の場所」の「集合」の「収束」点が、「自分」(“「自分」という「認識」”)として「認識」付けされる。また、複数の「自分の内容」の「集合」の「出発」点もまた、「自分」として「認識」付けされる。
1つの“「自分」という「認識」”が、2つの集合に対して2通りに「認識」付けされることになる。

「“「自分の場所」の「集合」の収束点”は「自分」である」/「自分」
「“「自分の内容」の「集合」の出発点“は「自分」である」/「自分」

5:「認識」の「集合」の成立
上記の、2通りに把握された「集合」は、1つの“「自分」という「認識」”を中心としている。
新たに出現する情報や「認識」は、「自分の内容」や「自分の場所」として2通りに把握され、それぞれが“「自分の内容」の「集合」”や“「自分の場所」の「集合」”の中に新たに配置されていく。

(Ⅳ)問題点
上記過程は3つの点をあらかじめ必要としている。
1つ目は、情報Aを修飾する「認識A」がすでに成立して存在していることである。
2つ目は、「「A」→「B」」、「「B」→「A」」という、「主観」の同時性の元になっている「「」→「」」という同時性がすでに成立して存在し、「A」や「B」とともに出現・集合しなければならない点である。
3つ目は、「「A」→「B」」/「自分」、「「B」→「A」」/「自分」という事象性が、「自分」の「内容」の「集合」、「自分」の「場所」の「集合」としてそれぞれ集合しなければならない点である。これらを可能にする仕組みが事前に身体に備わっていなければならないことが問題である。

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