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いらない仕事たち6 手書き

先日,子供達と一緒にEテレの「沼にハマってきいてみた」という番組を視聴していたところ,早稲田大学の学生さんが,手書きレポートの提出を強要する理不尽な教員への反骨精神から,”全自動手書きレポートマシン”を完成させたという話題がリピート放送されていた。

このマシンの完成自体は昨年の秋頃だったようだが,3Dプリンターとプログラミングを駆使したその技術力に驚かされたのと同時に,未だに理工系の大学生が手書きレポートを書かされているという時代遅れどころか負の遺産レベルの事実に閉口してしまった。
学校現場でも,嘘だろと思うほど手書き文化が蔓延している。

公立学校における教員へのコンピュータ配布状況

何言ってんだ?そんなもん「100%」以外あり得ないだろ?

と思った方,あなたはまだ学校現場の劣悪な環境をご存じない。
2019年8月30日に文部科学省が発表した,教員の公務用コンピュータ整備率は,下記リンクの通りだ。

信じられるだろうか。情報化社会という言葉もすっかり過去のものとなった感がある現在においても,奈良県と宮崎県では教員一人に対し一台のコンピュータが配布されていないのだ。かく言う私の勤務経験のある自治体でも,配布率が100%になったのはここ3年以内の話である。

こんな状況で,やれリモート授業だオンラインだと言われたところで,コンピュータに自由に触れられる環境が無い教員もいるというのに,学校側だけが「不公平」と糾弾されるのは,指摘内容に実態の伴わないただのいじめと同じである。

だからこそ,新しいことを覚える気も無く早く現場からお去りいただきたい高齢者をはじめとする邪魔者が一定数存在することを何となく現場が許容せざるを得なくなり,ICT教育の推進を停滞させてしまっているのだ。

実施日の2営業日前に全国一斉臨時休校を発令したり,この状況で強行する意味の分からないGoToキャンペーンを実施したり出来るのだから,お得意のトップダウンで全職員へのコンピュータ配布もやれば良いのに。あっ,自分のお金にならない事には労力を割きたくないのか。

手書きが求められる場面

実際に私が経験したのは,以下のような場面だ。

出張完了後の提出書類
部活動手当の申請
生徒指導要録の作成

実は他にもあるのだが,「手書き・デジタル様式のどちらでも問題無い」場合についてはデジタル様式で作成しているので,ここには含めていない。上記3項目について,1つずつ綴る。

(1)出張完了後の提出書類
企業勤務経験が無いため,企業ではどのような名称か分からないが,教員には出張完了後に提出する「復命書」というものがある。
出張した日時・場所・現地で行われた事柄の具体的な内容を記載して管理職に提出するのだが,かつては出張申請書と別の様式になっていたものが,いつしか併記された様式に変更されてしまった。
これにより,コンピュータで作成・提出出来ていた書類を,手書きで提出しなければならなくなったのだ。

本っっっっっ当に馬鹿じゃねーのか?

何故便利で誰も困らなかったものを不便なものに戻さなければならないのか。
管理職に問い合わせても,「今年度から様式が変わってしまったので」と思考停止の返答があるのみ。
自分達も含め,現場職員は当然不便になるであろうことを,「そうなってしまったので…」で終わりにするのなら,あなた達は何のために存在するのだ。

(2)部活動手当の申請
これについては,学校ごとに対応が異なっていたのが最も納得いかない。
初めて勤務した学校では,1か月に1度,全てコンピュータで作成したものを提出すれば良かったので,実施場所や時間,その他備考など,詳細に記入することが可能で,非常に楽だった。
しかしこれが次の学校に異動した瞬間,前任校と同様の処理をしたら,「これは手書きでないと受理されませんよ」と事務職員から返却されたのだ。このことにより,嫌がらせかと思うほど小さい記入欄に,無理やり手書きで内容を書き込まなければならなくなった。
先方の言い分としては,「本来であれば1回ごとに申請し,管理職の承認を受けた後,手書きでその都度書き足されていくべき書類なので」とのことだが,では何故月に1回まとめての提出で構わないという体制だけは変わらないのか。この時点で矛盾が生じている。
そして更に衝撃的だったのは,前任校で一緒に勤務した事務職員とそこでも再会し,前任校で許可されていたことを知っていたにも関わらず,そのことを忘れたかのように手書きを求めてきたことだ。
お役所仕事 of お役所仕事を実感した瞬間だった。

(3)指導要録の作成
関係者にしか馴染みの無い言葉だと思うが,生徒の学業成績,出席状況,所属部活動,保有資格,人物的な特徴,特記すべき取り組み事項などを記録したものを「指導要録」と呼び,学籍に関する記録は20年,指導に関する記録は5年,当該校内で保管することが,学校教育法施行規則第24条により定められている。
文部科学省が洒落たレストランのシェフ並みに気まぐれを起こしたおかげで,書き方がより複雑怪奇になり,デジタル様式での提出が認められる場合もあるようだが,実際に私が経験したように,かつてはこれを手書きさせられていた。
こちらも(2)のように,気が狂いそうなほど狭いスペースに,良いところなど書きようのない生徒の良いところも無理やり探し出して長文を記入させられ,しかもそれが誰一人として重複しないように文章を工夫しなければならないという,何のやり甲斐も感じない作業を自分の手とボールペンで行わなければならなかったのだ。

何故揃いも揃って,役所の用意する申請書類は手で書くには狭すぎるスペースしか用意出来ないのであろうか。その様式を作るのはコンピュータなのに,何故データを作成者に配布してコンピュータで作成させ,ネットワークを介して提出させるという手法を取ろうとせず,手で書かせることに拘るのだろうか。
前年度踏襲という役所の極悪習ここに極まれりと言わんばかりの聳え立つクソである。

「何でもかんでもデジタルにすれば良いってものでもない」!?

私が経験した中で,手書きに関して最も衝撃的だった発言は,「生徒との面談記録は,データ入力ではなく手書きでまとめ,3年間引継ぎを行ってください。」というものだった。
全くもって意味が分からず,何の意義も感じられなかったのだが,件の担当者はその発言に続けて,「何でもかんでもデジタルにすれば良いってものでもないと思いますので,よろしくお願いします。」と,表題の衝撃発言をぶちかましたのである。

言わせてもらおう お前は本当に大学出たのか?

面談中に大切なことをメモするために,その場で手書きを行うのはまだ理解出来る。
しかしこの担当者の発言の意図はそうではなく,面談記録の記入用紙を年度当初に全担任に配布し,そこに手書きで全生徒分の記録を残し,進級時に次の担任へ引き継げというものだったのだ。

頭おかしいんじゃない?と思われたあなた
大丈夫,あなたは正常な感覚の持ち主だ

今は莫大な金額を支払わなければコンピュータが入手出来なかった戦時中ではない,5Gが実装され始めた21世紀真っ只中なのだ。
お前も含め,我々のいる自治体では何とかコンピュータが手渡っているのに,何故手書きにそこまで拘るのだ。
メモを取った内容を分かりやすくデータにまとめ,そのデータをやり取りした方が便利で簡素で利用しやすいのは,ちょっと頭を使えば分かることだろう。

結局,手書きよりもキーボード入力の方が得意な私は,面談内容をデータ入力でまとめた後,所定の手書き用紙にその内容をペンで丸写しするという拷問のような作業を強いられることになった。
こればかりは,妻も「何それ?なんでそんな無駄なことしなきゃいけないの?」と当然の疑問をぶつけていた。まともな配偶者を持てて幸せだ。

「手書き定期試験」作成者現存の衝撃

もう見出しで呆れている方もいらっしゃることだろう。しかしこれは事実だ。
この事実を知った切欠は,授業を担当していた生徒との雑談だった。

『先生,〇〇先生のテストって手書きなんですよ…』

我が耳を疑った。嘘をつくタイプの生徒ではなかった。
そして定期試験当日,その悲劇を目の当たりにする。

何という偶然か,その担当者が作成した手書きの試験を実施する教室の監督をすることになったのだ。
紛れもなく手書きであり,しかも,設問を区分する罫線などが全く引かれておらず,読むのをその場で諦めたくなるような出来栄えであった。

聞けば,その担当者は授業中の板書においても白チョークしか使わないというのだ。
それで生徒が理解を深める効果を実証出来ているのならばまだしも,肝心要の生徒から「よく分からない」と漏らされているのだから,もはや救いようが無い。
一体この定期試験と授業形式で,生徒のどんな能力を伸長しようと考えているのか。
喫煙者でもあったその担当者は,喉に何かが絡むのか,会議中や宴会の席でも耳障りな咳払いと舌打ちを連発しており,基本的に人を不愉快にすることを何とも思っていない人間なんだなといつも思わされていた。
ただただ,その担当者に当たった生徒たちが気の毒で仕方ない。

くたばれ,ペーパー資料強制配布文化

国会議員が資料の印刷・とじ込みのために2時間以上かけて会議進行を止めるこの国でペーパーレスと叫んだところで滑稽にしか聞こえないかもしれないが,良識ある皆さんは是非データでのやり取り・管理を標準にしていただきたい。
ようやく公立学校でもコンピュータ配布率が100%に近付いているというのに,何故データ化してネットワークでpdfファイルを共有し,印刷は個人の判断に任せるという手法が学校現場では根付かないのだろう。
私が個人的に大変お世話になり尊敬している方が,同じ学校に勤務していた時にこの事を提言したのだが,当時の教頭は困った顔をするばかりで導入しようとする気配すら無かった。その当時はコンピュータ配布率100%でなかったという背景もあるかもしれないが,議論を交わす舞台すら用意されないというのはさすがに先見性が無さ過ぎたと言わざるを得ない。

他の学校では,コンピュータが全員に配布されたことを皮切りに,校長が打ち合わせ資料をメールに添付して打ち合わせ前に全職員に送信するなど,段階的に有意義なネットワーク活用が試行され始め,良い流れになってきたと思えたのだが,そこでも「毎朝パソコン開かなきゃいけねえってことかい?めんどくせーなー」と発言するクソ野郎が出現した。
どれほど便利なシステムがあったとしても,運用する人間がクソである場合には,何の意味も無い宝の持ち腐れどころかクソの山になるのだと,まざまざと見せつけられた。
結局その学校では,事前に資料が添付されているメールが送信されているにも関わらず,同じ内容のペーパー資料が机上に配布されるという理解不能な現象を,少なくとも私が異動するまで起こし続けた。
そこに追い打ちをかけるどころか死体蹴りをするかのように,自分に関係無いと見るや,その場で紙をグシャッと丸めて捨てる教員が現れた。お前たちにそんな目に遭わされるために,樹木の尊い命は犠牲になったわけではない。

また,私自身が主となって資料作成・配布を行ったとある業務において,信じられない出来事が起きた。
その資料には,各職員にコンピュータ処理を依頼する必要のある業務の解説が図入りで掲載されており,その通りに操作をしてくれさえすれば,まず間違える事は無いように作成した。
しかしある日,その業務の操作をミスし,私のいた部屋を訪ねてきた教員の発言で,教員という職業への失望感を強く持つことになってしまった。便宜上その教員をX氏として,その時のやり取りを紹介する。

X『高潮さん,これ(依頼した業務)がなかなか上手くいかないんだけど』
私「その方法でしたら配布資料に載っているはずなんですが,今お手元に資料ございますか?」
X『教員がそんなもん読むわけねーだろ!!』」

生徒指導をしなかったクソジジイ以来,手が出そうになるのを必死に我慢した。
じゃあもうお前らなんかのために仕事したくねーわ,と半分開き直ったのはこの時からだ。
当然異動の日まで,自分がすべき業務には終了まで責任を持ち,落ち度のあった場合には素直に認め謝罪し,可能な限り他の方が不自由無く業務に取り組めるよう最善は尽くした。だが,こんな思考の持ち主が存在するのならば,神経すり減らしてまで働く義理は無いと考え,こちらも発言が出来る場面では言いたいことを全部言うようにした。
能力には個人差があるし,私もまだまだ未熟な点などいくらでもあるので,そのことについてとやかく口を挟む資格など無いと自覚はしているが,業務への取り組みやすさを考えて動いている人を馬鹿にするのだけは絶対に許さないという意思表示だった。
それ以来,何か失敗して私を訪ねてくる教員は,不思議と謙虚になっていった。

こういった負の存在が駆逐され,事前にネットワーク上でデータのやり取りをしておく習慣が根付けば,朝の貴重な時間を奪っていく打ち合わせなど事業仕分けの筆頭餌食となるはずだ。
しかし現場では,新しい試みを面倒がって思考停止する,教員なんて一番やってはいけない種族が何故か存在するがために,いつまで経っても劣悪な環境のまま働かされるという事態が放置されてしまっているのだ。
お前らが成長しようとしないせいで,結果的にお前ら自身の首を絞めている事になると,教員やってるくせに何故分からないのか。
未だにコンピュータ処理に拒否反応を起こし,能力向上の可能性を自ら閉ざしているような奴らは,自主性や成長するために必要なことを生徒に教育する資格は無い。

お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。