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僕と甥と、ときどきホクホク

年末、実家に帰省したとき初めて甥っ子に会った。まだ生後半年も経っておらず、とても小さい。人間はこんなに小さい時期があるのか、とちょっと感動した。
そのときはまだアワアワと喃語を話す程度だったのでコミュニケーションをとることは出来なかった。せいぜい小さなほっぺを触ったり、これまた小さな手に僕の指を握らせて遊んだりするだけだった。
赤ちゃんというのは、手にしたものを何でも口に入れたがるらしい。その習性通り、僕の指を口元までもっていき、自らグッと口の中に押し込んだ。こうしていろんな細菌を体に取り込むことで免疫をつくるらしいから、僕の指も彼の成長のための大きな一歩になったことだろう。
色々な仕草を観察していると、僕の指を舐めまわしてホクホク顔の甥と血がつながっていることが、なんだか不思議に思えた。もしかしたら出会うことはなかったかもしれないと思うと、とても神秘的なことだ。似たような遺伝子を持った甥が「色んなものを舐めまくって免疫をつくれ!」という本能に従っているけど、僕もこんな時期があったのだろうか。
そんなことを考えていると、「彼女できた?」と甥の生みの親・姉が近寄ってきた。姉は恋愛体質である。「うるさいなほっとけよコンニャロー」というような言葉で払いのけ、ぬくもりを求め炬燵へと転がりこんだ。
実家を離れてもう6年が経とうとしている。6年前は高校生だった。あの頃は反抗期真っただ中で、姉と会話することもほとんどなかった。(まあ先ほども払いのけたのだが)今振り返ればなんでああだったんだろう、と思うのだが、それも遺伝子によって左右された宿命だったのかもしれない。難しいことを考えていると、炬燵の暖かさも相まってまぶたが重くなってきた。
赤ちゃんの甘い匂いに満ちた部屋の中で、いつの間にか眠りにおちていた。


4月から新社会人になるということで、父から「腕時計を買ってあげよう」と提案を受けた。腕時計は大学3年生ぐらいまでは着けていたがそれっきりだ。白の腕時計がカッコよくて買ったのだが、だんだん表面が黄ばみ始め恥ずかしくなり捨ててしまって以来、スマホを腕時計代わりとして使う日々を送っていた。しかしながら、メーカー勤めともなると打ち合わせなどで色んな人に会う機会は増えるから腕時計は必須だ、ということで買ってもらうことにした。
炬燵でそんな話をしていると「いいなー、私は何も買ってもらってないのに」と姉が転がりこんできた。口をとがらせる彼女に、父は反論した。
「お前は保育士だから腕時計はいらないだろう」
姉も引き下がらない。
「じゃあ、腕時計以外で買ってくれればよかったじゃん」
「ジャージくらいしか使わないでしょ」
「だったらいいジャージ買ってよ!」
いいジャージってなんだ。姉はたまに「おっ」と思わせるセンスを発揮するから油断ならない。
年の瀬になって覚えた、声に出して読みたい日本語『いいジャージ』。

年が明け、祖母の家に新年のあいさつに行った。祖母も甥っ子に会うのは久しぶりらしく、到着するなり一目散に甥を抱き上げた。しかし、甥の顔はすこぶる強張った。まるで人質にでも取られたかのような無表情っぷりだ。
母いわく「赤ちゃんは若い人が好きだから」とのことだが、なんだか祖母が不憫である。とはいえ、赤ちゃんに忖度は早い。見かねた姉が甥を抱きよせた瞬間、うってかわって満開の笑顔を周囲にまき散らした。ちょうど背中越しだった祖母には、甥のはちきれんばかりのスマイルが見えなかったことがせめてもの救いだ。赤ちゃんというのは清々しいほど正直だなと思った。

祖母の家に行くと「あんたは赤飯が好きだったねぇ」ということで毎回大量の赤飯が用意されている。そんなこと言ったであろうか、と思いつつも、孫の遺伝子には「祖父母の期待を裏切るな」と組み込まれている。
実はこの日の夜、幼なじみと居酒屋に行くことになっていた。時計の針は15時を指している。この時間にお腹にご飯を入れるのは少々勇気がいる。しかもよりによって腹モチのいいモチ米。モチろん1杯以上のおかわりも必須である。これが法でさばけない善というやつか。
なんてことを思いつつ、赤飯を無心にかきこんだ。こんなにもめでたくない赤飯もめずらしい。夜に備えて早く消化しなければ、と「ちょっと外を歩いてくる」と、真っ先に殺される登場人物のような言葉を残し部屋を転がりでた。

重い胃袋をひっさげ、雪のちらつく寒空の下、くねった道をトボトボと練り歩く。iPhoneからはDef Techの『My Way』が流れていた。
今ごろ甥っ子はヌクヌクとした部屋の中、ミルクを飲んでホクホクしたり、祖母の腕の中で顔を強張らせているのだろうか。己の感情のままに生きる純粋無垢な彼を見ると、自分は大人になったのだなぁ、とひしひしと感じた。でも、そんな自分のことや今の立場が、嫌いじゃない。


その日の夜、久しぶりに会った幼なじみは相変わらずだった。見た目も特に変わらず、中身も特に変わらず、預金通帳を肥やす日々を謳歌していた。僕以外はもう働いている。
思い返すと一緒にお酒を飲むのは初めてだ。数年前の成人式の後もヌルッと集まって話をしただけだった。基本全員、お酒を飲んでも顔が赤くなるくらいで口調は変わらないのだが、一人だけやけにくだをまくやからがいた。その友人はシラフのときであっても泥酔したような言葉づかいをするのだが、それに拍車がかかって要領を得ない発言を繰り返していたのだ。つい1分前に自分で頼んだドリンクを店員さんから受け取ると「これ頼んだの誰だ!」と叫ぶ有様だ。
店から出た後も、レシートをつぶさに確認し「この会計間違ってるぞ!」と叫び、颯爽と店内へ戻っていった。その後ろ姿には、さながらアベンジャーズのようなたくましさがあった。
数十分後「返してもらったぞ!」と、くだを巻きながらホクホク顔で帰ってきた。
奇しくも、甥と同じ表情であった。


毎年三が日が終わればサッサと関西に戻る。帰りのバスは早朝発だったから、お別れの瞬間に家族や甥に会うことはなかった。
次帰るのはお盆。甥は1歳になっている。ハイハイをしたり、言葉を話しはじめたりと、驚きの成長曲線をたどっていることだろう。これから社会人になる僕は入社してからの期間でどれくらい成長できるだろうか。とりあえず頑張れるだけ頑張って、ホクホク顔で帰省できるといい。そして、お互いホクホクした顔を突き合わせたい。
その日までしばらく帰らないと思うけど、叔父さんのこと忘れないでね。



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