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研究室に入ったこと

「よっしゃ!大学生活エンジョイしたるで!」

と、意気込んでいる新入生も多いと思う。
志望の学部学科での勉強やサークル・部活、バイトetc...
大学は自由、ということに期待をふくらませて、あれこれやりたいことが絶えないことだろう。
かくいう僕も1年の頃はそれにもれず、よだれをダラダラ垂らしながら想像をかきたてていた1人であった。

もっとも楽しみにしていたのは、勉強だった。
そこには高校時代の勉強に対する反骨心があったことが大きい。
当時僕は、教科書に書いてあることだけをさらっていくやり方に抗っていたからだ。
抗うといっても、授業中にシャーペンをカチカチさせノイズを発生させるような妨害はしていない。
授業が終わったあと先生のもとへ駆け寄り、「教科書には書いてないですけど、ここんとこ詳しく教えて!」と質問するだけだ。
先生の方もわりとそういう姿勢について喜んでくれていた。(ように見えた)
けっきょく、卒業まで静かなる抗いを続け、先生からは「大学は自由だから、いろいろできるぞ」とありがたい言葉をいただいた。(ような気がする。とりあえずこの場を借りてありがとうございました)


さて、大学に入って1年くらい経ったころ、僕は思った。
たしかに大学は自由だ。
サークル・部活、バイトに旅行、やろうと思えばなんだってできた。
そして肝心の勉強だって高度に専門的な内容を学べる。
ただ、ここであることに気づいた。
専門的なことは学べるが、なかなか"研究"という部分にたどり着けないということだ。
そこについては少々モヤッとした。
これは学問の性質上、しょうがないことなのもしれない。
かのアイザック・ニュートンも述べている。

「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。」

基礎となる知識を積みかさねて積みかさねた先に、やっと研究というものにたどりつける。
おそらく、僕が高校の頃からもとめていたのは研究だったのだ。

「ここの記述の背景には何があるんだろう」
「なんでこんな現象が起きるんだろう」

これについて、大学の教科書ではクリティカルな説明を示している。
ただ、ここでもう1つの問題が生じた。
内容によっては理解に苦しむ単元があるということだ。
"アンパン"や"メロンパン"で説明してくれたらまだイメージがつくかもしれないが、数式ですべてが記述されるのがややこしい。
理解できれば「そうだったのか!」とうれしくなってテンションが上がることはあるが、分からない単元はやはり時間がかかる。
もちろんスムーズにいく人もいるけど、僕はそんなジーニアスでもなかった。
そして、四苦八苦していたのは、僕1人だけではない。
だんだんと教室の前方と後方に座るグループの住み分けが進んでいったこともその一端だったのだろうか。
これは理解できる or やる気がある学生と、なんとか単位を取れれば… or 一応興味あるけどむずぃ…という学生の2極化を意味していたのかもしれない。
僕は、というと「理解したい!」という意気込みを矛に前の方で粘り続けることで、研究室に入るまでの3年間、何かしらの光明を得ようとしていたのである。

学習内容自体はずっとおもしろかったんだけどね。


昨年から研究室に入った。
大きく変わったのは、「研究」に携われるようになったということだ。
進めていくのは未知のこと。
ピンセットとか顕微鏡を駆使して細々とした作業しているとき、地味だな~と思うこともある。
だけど、これまで勉強してきたことに、やっと現実感を帯びてふれられるようになったことの充実感が大きい。
ここでは、学びは授業のように向こうからはやってくることは少ない。
ただ、好奇心や探求心をもってこちらから近づいていくことはできる。
跳ね返されたり、多少理解が進んでテンションが上がったりすることは、それほど変わらない。
だが、主導権はこちらが握っているからよりおもしろい。

「もっと早く研究室入りたかったな~」
「…それな」

ボソッとつぶやいた先輩とは、意見がよく合う。

1年から配属!と言わないまでも、訪問くらいはしておけばよかったかも。
まあビビッて行くことはなかったんだけど…
学部生から見た研究室の入りにくい度は異常。

#エッセイ #大学生#大学院生#研究室#研究

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