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Remember me

その先輩と出会ったのは、大学1回生の頃だった。アルバイト初出勤の日、『同級生であろう』という根拠のない確信のもと、タメ口で話しかけたのがきっかけだ。彼は、気が抜けた炭酸飲料のような人だった。やる気が無さそうだが、実は何かを秘めている。バイト中もどこか飄々としているが、仕事はちゃんとこなすようだった。僕もそういうところがあるから少しシンパシーを感じた。しかし、時を共にするにつれ、想像以上に似た者同士であることを知った。使う言葉の種類やツッコミのタイミングも同じ。わざわざ口に出して表現しなくても通じ合う部分が多く、一緒にいてとても気楽だった。趣味の話のときもそうだった。

「お笑い好きなんだよね」と僕が言う。
「俺もやで」

なぜか分からないが「俺もやで」と言ってくれる確信があった。理系同士なのもあるだろうが、それだけでは言い尽くせない、まるで分身のような感覚だった。その後お笑いライブに一緒に行き、その確信を強めることとなる。

アルバイトに行く途中、ばったり会ったときのことだ。

「おっ、奇遇やな。今日10時から?」
僕の姿を見つけ、彼は気が抜けた声をかけてきた。
「うん、寝坊するかと思ったわ」

「あんたら遅刻やで!」と店長の怒鳴り声が聞こえたのは、その数分後だった。顔を見合わせサッサと制服に着替える。シフトを間違えていたのだ。それに気付かずお互いの存在を確認して安心しきっていたのだからなんとも間抜けな二人である。一方で、『ここまでシンクロするのか』と、ロッカーに向け走りながら、苦笑いする冷静な自分がいた。

しばらくして1個上の先輩だという事実を知った。「すいません、同級生だと思ってました……」と謝ったが、「全然ええで」と特に気にしていないようだった。正直、申し訳ない気持ちはあったけど、なぜか敬語に戻す気にはなれなかった。先輩や後輩という小さな枠組みではなく、彼とはもっと根本的な部分でつながっている気がしていたからだ。その不思議な感覚は「全然ええで」という言葉の通りタメ口を貫く根拠となった。その失敬に関して、彼は何も言わなかった。


共通点が多い中で、彼には僕に無い部分があった。行動力だ。思いついたらすぐ行動。空回りすることもあるけど、慎重派の僕にはそんな姿が羨ましかった。似ているようで似てない、でも似ている。友達のようでやっぱり先輩で、そして何より尊敬できる存在だった。

理系だからお互い大学院に進むことは察していて、その通りになった。僕が4回生のとき、彼は大学院1回生。ロケット鉛筆のように、僕が後ろで彼が前のまま順々に進んでいく、はずだった。だけど、大学院に入学した僕の一歩先に、彼はいなかった。彼の口から「大学院を中退してパイロットを目指す」という夢を伝えられたのは、大学4回生の春だった。

「俺、大学院中退してパイロット目指すわ」
「いいじゃん、夢へとテイクオフするわけだな」
「やかましいわ」

冷静を装いボケた返答をしていたが、内心ドキドキと焦りを感じていた。いつまでも目の前にいると思っていた人が、十歩も百歩も先にいくどころか、手の届かない空へと飛び立とうとしている。一緒にお笑いライブに行ったことも、遅刻して怒られた過去も、そのすべてを脱ぎ捨てて、遠くの地で夢を追いかけようとしている。おめでたいことではあるが、一人ぼっちにされたような感覚に陥った。

だけど、彼らしいな、とも思っていた。考えるより行動、を貫く姿は、僕が憧れた姿そのものだった。だからこそだろうか、寂しさの後に、『自分も何かしなければ』という思いに駆られた。僕はずっと小説を書きたかった。小説も、彼という存在も、憧れるだけだったら追いつけないし、彼が夢を追いかけるなら負けていられないと思った。

そして、新たな決意を胸に、僕たちは離れ離れになった。


今年の秋、彼と金沢へ旅行に行った。久しぶりの再会だった。パイロットの訓練を一通り終え、来年の訓練再開まで少し時間ができたそうだ。だけど当日、僕は一抹の不安を抱えていた。"あの頃"のままの関係でいられるのだろうか。時が流れれば人も変わる。いつまでも記憶の中の、理想的な姿で在り続けているとは限らない。体がムズムズした。

「よ、ひさしぶり」
待ち合わせ場所の改札で聞いたその声は、あのときと変わらないように思えた。
「ひさしぶり」
ただ、どういうテンションで返答していいいか分からず素っ気ない答えになった。しかし、次の言葉を聞いてそんな心配は杞憂に思えた。
「ってか俺、傘忘れてんな。向こう雨降るやろ?」
間の抜けた声と内容に、懐かしさと嬉しさを覚えた。
「金沢は晴れるよ、どこの天気予報見てきたんだよ」
半笑いで、そしてタメ口でツッコむと、彼も笑った。あの頃のまま、止まった時計がもう一度動き出す気がした。僕はこっそり微笑んでいたと思う。


金沢の観光名所である兼六園は紅葉真っ盛りだった。北陸の秋は関西よりも寒い。澄んだ空気がツンと鼻の奥に刺さる。思わずフッと息を吐いて白くなるか確かめた。ただ、その分だけ景色は綺麗だった。人生は何かと引き換えに何かを得る作業の繰り返しだ。寒さと引き換えに、美しい紅葉を手に入れたのだ。

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「なんで葉が紅くなるか知ってる?」
すっかりあの頃の口調に戻った僕は、色づくもみじを前にして彼に問いかけた。
「いや、知らんわ」
「仕方ない、教えてやるか」
「なんで偉そうやねん」

懐かしいやりとりだった。

葉が紅くなる理由は、葉の中に赤い色素がつくられるからだ。秋になると日差しが弱くなり、光合成で十分な養分を得ることは難しくなっていく。そうすると樹木にとって葉が存在するメリットがなくなる。そのため、光合成を行う葉緑体を分解し、できた養分を樹木へとため込む。その機序の一環で赤い色素ができるため紅くなるのだ。次の春のために樹木は葉を犠牲にするのだから、なんとも自然らしい営みだと思う。

僕が得意げに豆知識を語ったあと、彼はボソッとつぶやいた。

「木は薄情やな」

その一言が彼らしくて笑ったが、少し心に引っ掛かった。僕たちの関係に似ているかもしれないと思ったからだ。いずれ切り離される紅い葉は本体に養分を与え、樹木から落ちていく。彼が大学院を中退して離れ離れになるとき、彼は僕に”勇気”を残していった。こっそり書いている小説も、彼の挑戦に背中を押されたことが大きな理由だ。一方で、僕は何か与えられただろうか。彼の心に何かを残しただろうか。

紅葉をぼんやりと見つめるが、何も思い浮かんでこなかった。


夜は居酒屋に行った。金沢はおでんが有名らしく楽しみにしていた。お酒が入ると二人の近況の話になった。大学院のこと、一緒だったアルバイト先のこと、そしてパイロットの訓練のことだ。

「けっこう大変だわ」

ビール瓶をぼんやりと見つめる彼の口をついたのは、思いがけない弱音だった。すっかり遠くの人になってしまったと思っていた。だけどそうじゃない。彼はあの頃のままもがいていたのだ。どこか飄々とした姿のまま。そうか、まあそうだろうな。人は急に変わるものではない。変わろうと動き続けた末に、段々と変化を遂げるものだから。なりたい自分になれない時間はとても苦しい。

「でも、中退して夢を追いかけられるのはすごいと思うよ」

こうした気恥ずかしい言葉をかけるのは初めてだった。わざわざ言葉にしなくても伝わる関係だったし、ずっとそれが心地よかった。だけど、いつもは心の中に隠してる本心をお酒の力を借りて言った。今伝えなければ、今後一生こんな機会はないと思った。

「いや、でも資格の勉強とかして保険かけてるけどな……」
「挑戦するのが重要なんだよ。そういう姿を見て俺も頑張ろうと思ったもん」
「……そうか、ありがとう。やっぱり、お前と話してると元気出るわ。そう思えるのはお前と話してる時だけだし」

その言葉は僕にとって意外だった。何も与えられていないと思っていたのに、彼は僕との時間に価値を見出していたのだから。フッと肩の力が抜けた。自分にとっては大したことじゃなくても、相手にとって支えになることがあるのかもしれない。それは逆もしかりで、彼は自分を大したことない人間だと思っているらしいが、僕にとっては偉大な姿なのだ。もしかしたら、皆そうなのかもしれない。誰かのさりげない言葉やふるまいに支えられて生きていて、持ちつ持たれつな関係にすぎない。ただ、僕も彼も、自分に自信がないだけなのだ。「ありがとう」と言うときだけ見られる満面の笑顔、「ごめん」とねだるときのいたずらっぽい顔。往々にして、皆自分の個性を過小評価している。僕は特別なことはしなくてもいい。やるべきことは、今まで通りタメ口で、ありのままでいることなのだろう。

「訓練が嫌になったら電話するわ」
「キモイこと言うなよ」
「キモないわ」

紅潮した顔で笑いあう二人。僕たちは根っこの部分でつながり、お互いに養分を与え合っている。


おでん


翌日、レンタカーを借りて富山へと足を延ばした。車内では僕のiPhoneから色んな曲を流した。こういうとき、僕は自分の好きな曲をかけたがるワガママなところがある。彼はそれについて何も言わない。お互い音楽が好きなこともあり、自然と曲当てになっていった。

「この曲、わかる?」
「フジファブリックの『赤黄色の金木犀』」
「やるじゃん。じゃあ次は……」

何を流そうか、と画面をスクロールしている途中、ふと目に入った曲に引き寄せられた。

「じゃあ、次はこれ」

ポンと指で押す。寂寥と哀愁漂うゆったりとした前奏。秋の雰囲気に似ている。数十秒後にAメロに移った。

遠く離れた場所であっても
ほら 近くにいるような景色
どうか元気でいてくれよ ほら

「わかる?」
「わからんな」
「ふ、修行が足りんな」
「やかましいわ」

二人の笑い声に満ちる車内で、タイトルを告げることなく流し続けた。




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#くるり


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だいふくだるまさん、yuca.さん共催『秋を奏でる芸術祭』に参加しました。素敵な企画をありがとうございました。秋に思い残すことなくコタツでぬくぬくできそうです。



【紅葉の仕組み】


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