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“鼻にガビョウ”少女のその後は

絵を描くことに自信があった。まだ小学生の頃である。
サンタクロースが街にやってきてプレゼントを配る絵がクラスで選ばれて展覧会に出たり、少女マンガを描いては友達にまわし読みしてもらったりした。

ある日の美術の授業で“自画像を描く”という課題が出て、鏡のなかの自分を注意深く再現した。まわりからは「さすがやなぁ」と評価してもらい小さな満足感を持っていたのだけど、立ち止まりその絵をじっと見ていた先生が、

「これは本当にあなたの顔ですか?鏡をよく見て。肌は肌色だと思い込んでいませんか?あなたが感じた色を使えばいいんです」

と言った。頭でうまく理解できなかったものの、私はもう一度鏡を手に取りじいっと見た。しばらくすると私の顔面は一度解体し、おおよそ人の顔とは思えないものが出てきた(ように記憶している)。
私の肌は、灰色だった。
2枚目の自画像に、先生は「この方がいい」と言ってくれたけど、クラスメートは無言だった。この絵は先生が選んでくれたのかその後教室に貼り出された。

数日後、その自画像の鼻の穴に画鋲が刺されていた。灰色の大きな顔に丸いガビョウがふたつ。それはシンプルな教室の中で、強烈なインパクトだった・・。

それ以来、私は灰色の私に会っていない。肌は肌色だと言い続けることが、この社会でうまく存在していく唯一の方法だと、子供ながらに気づいてしまったから。

この時に全く別の方向に舵を切ることが出来ていたら、と思う。
視覚的、あるいは常識的(と言われる)色彩から解放された価値観でその後を生きてこられたかもしれない。
でも私にはその勇気が持てなかった。と言うかそのことの重要性に気づけていなかったと思う。
もうずいぶん昔の話なのに、最近よくこの出来事を思い出す。

(蔵原 実花子)


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