10分日記 #107 「校歌」が記憶のトリガーとなる
こんにちは、
kei.です。
今日の記事
今日の記事は、「校歌」に関心を持ち、その成り立ちや歴史を調べた研究著書に関する紹介記事です。
感想
「歌」
というものは良い意味で組織を団結させるために手っ取り早い手段のように感じています。
小、中、高は入学してすぐから式典などにおいて「校歌」を歌わざるを得ないことが多く、それを繰り返し行うことによって「校歌による、学校への帰属意識」が芽生えたように記憶しています。
高校では、体操服の背中にローマ字で校歌が刻まれているような、「校歌」との接点が多い生活を送っていく中で、
その校歌の中で歌われている、学校の歴史や強みなどに共感をして行ったことを記憶しています。
また、全員で同じフレーズを口にすることによる統一感も強かったように感じます。
他校との対抗戦を行う際にもお互いに校歌を披露し合い、団結感というか、対抗意識が強まったことは感じていました。
しかも、学校という「一定時間がすぎたら退場してしまう」コミュニティーにおいてはその所属から外れてしまった人でも、その校歌を聞いて当時学校に通っていた頃の自分を思い出すためのトリガーのような役割を果たしているのではないか、とも感じました。
では、一体、なぜ、校歌を歌うのでしょうか?
中にいる人は歳を追うごとに変わっていき、二度と同じ状況になり得ない学校において、校舎以外の(改修とかは今は考えないでください)普遍的な存在を考えてみると、「校歌」しかないように感じます。
毎年入学して卒業していく生徒を始め、学校の先生も、年を追えば職場が移動になり、二度と同じ人たちのグループにおいて教育が行われないことは明白かと思います。
(私立の高校はそのあたりが少し異なるのでしょうか?)
ただ、その場合、学校に通ってもいないのに、「学校」を記憶のトリガーとして当時のことを思い出すことは至難の技のように感じます。
同窓会などを開いた場合も同様です。
メンバーは学校自体と共通かもしれませんが、「学校」という環境でそれを行うことはかなり難しいでしょう。
そうした際に、記憶のトリガーとなる存在として「校歌」は絶大な効果を持っていると感じています。
別にダジャレじゃないです。
私が通っていた学校だけかもしれませんが、校歌は伴奏こそありますが、アカペラでもなんとなく曲調などを掴みやすいものだと思います。
結論を言うならば、形を持つことなく、昔の記憶へのトリガーとなれる存在が「校歌」なのでしょう。
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