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短歌あれこれ 1

私は短歌にはまっていますが、
以前は嫌いでした。
高校の古文で習う短歌が
面白くなかったんでしょう。
例えば、

瓶にさす 藤の花ぶさみじかければ  
たたみの上に とどかざりけり
          正岡 子規
(現代語訳)
花瓶にさしてある藤の花の
花ぶさが短いので、畳の上に届かないなあ

高校生の頃、この短歌のどこがいいんだ!
と思い、短歌嫌いになりました。

ですから、パロディーも作りました。

ぬばたまの 汝(な)が黒髪の 長ければ 
たたみの上に とどきおりけり

つまり、あなたの黒髪が長いので
畳の上に届いちゃったよ
という意味です。

短歌を習い始めてから、
恩師の島田 修二先生に
思い切って質問しました。

島田先生の答えは、
「正岡子規はこの時、結核による
脊椎カリエスで寝たきりだったので、
花を見たくても見れずに、
垂れている花房しか見れなかったんです。」
とおっしゃって、
明確なコメントは避けました。

もし、無名の人が、
正岡子規と同じ境遇で、
同じ感慨を持ち、
同じ短歌を詠んでも
誰も振り向きはしないでしょう。

なぜなら、背景を知らないと
この短歌の意味が分からないからです。

だからと言って、たった31文字の中に
「私は寝たきりなので、
花を見たくても見れずに
垂れている花房しか見れなかった」
なんてことまで入れたら
作品がブチ壊しになるでしょう。

そこに短歌の限界があるのでは
ないだろうかと思うのです。

もちろん、小説の世界でも同じで
同じものを書いても、無名の人は
相手にされませんが、短歌の場合は
少し極端です。

どんなへたくそで、くだらない短歌を
詠んでも、例えば有名な人の親族などは
短歌雑誌に載せてくれるのが現状でしょう。

ちなみに、その後、本やドラマで
正岡子規の闘病生活の悲惨さについて
知るようになり、
この短歌に対する気持ちも多少
変わってきましたけどね。

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