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「ルーンショット」──“バカげて見えるスゴいアイデア”が世界を変える(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第22回
"Loonshots: How to Nurture the Crazy Ideas That Win Wars, Cure Diseases, and Transform Industries"
by Safi Bahcall 2019年3月出版
LOONSHOTS クレイジーを最高のイノベーションにする
著:サフィ・バーコール 訳:三木 俊哉 解説:米倉 誠一郎
日経BP社 2020年1月出版

前回の記事で昨年のベスト本を紹介したけれど、もし昨年のうちに読んでいたら必ずリストに加えていたであろう一冊。

「ルーンショット」とは著者の造語だ。多くの人に無視されるような、バカげていてクレイジーな(loon)考えでありながら、月に宇宙船を飛ばすくらい(moonshot)野心的で重大なアイデアを指す。

人命を救う薬や、産業を変えてしまうようなテクノロジーの多くは、孤独な発明家のアイデアから生まれる。けれども、多数の人間が関与する過程でそれらが「潰される」ことも多い。ルーンショットは壊れやすくて、世に出ずに終わってしまう。

では、どうすればルーンショットを育てられるのだろう。バイオベンチャーの経営者であり物理学者でもある著者のサフィ・バーコールは、組織の文化(culture)よりも、構造(structure)が鍵を握ると考える。

会社が大きくなるとダメ出しが増える?

多くのビジネス雑誌では、成功企業のきらびやかなストーリーが紹介される。リーダーは自分のチームの成功要因となったカルチャーを笑顔で語る。

そしてしばしば、全く同じ企業が失敗をして窮地に陥る。組織を構成する人は同じで、カルチャーも同じ。なのに、なぜうまくいかなくなるのだろうか。

本書はこれを熱力学などで用いる「相転移(phase transition)」という概念で解明しようと試みる。簡単に言えば、水が一定の条件を満たすと氷に変わるように、企業や集団の振る舞いも一定のサイズを超えると変化するのだ。

水と氷の相転移が起こるとき、水分子の間には相反する力が作用している。ルーンショットが生き残れるかどうかを決めるのも、2つの力の綱引きである。

たとえば著者が経験したような小さなバイオテック企業では、プロジェクトが成功すれば誰もが大きな報酬を得られるため、「成果・やりがい(stake)」が重視されやすい。

一方で、組織の規模が一定のしきい値を超えると「組織内の地位(rank)」への関心が上回る。この状態では、不確実なルーンショットにはダメ出しをして、現状のビジネスの拡大を主張して、会議で好評価を得ることが合理的な選択だ。

こうした成果と地位の綱引きの存在は、直感的にも理解できるかもしれない。けれども、相転移というアナロジーを用いる重要なポイントは、何がその変化を引き起こすのかを知ることで、変化を予測可能にして、管理できるようにする点にある。

マジックナンバーは変えられる

水が一定の温度を下回ると必ず氷になるように、車の数が一定の密度を超えると必ず交通渋滞が起こるように、ルーンショットを育てるのに適した集団の規模には上限がある。著者が「マジックナンバー」と呼ぶその数字は150人だ。これは「ダンバー数」と呼ばれる、人間が社会的な関係を維持できるとされる上限数にも適合する。

ただし、水に塩を入れると氷になる凝固点が低下するように、相転移を引き起こす要素(コントロール・パラメータ)を調整すれば、このマジックナンバーは引き上げられる。つまり、より大きな組織になっても新しいアイデアを育成できる。

具体的に本書が検証しているパラメータは、報酬の公平な分配、ひとりのリーダーが直接管理する人数などであるが、ここでも重要なポイントは、変化の要素を具体化して検証可能にするという点にある。

組織が「ルーンショット」を潰さずにいられるためには

さて、本書はこのルーンショットと相転移の関係について、理論だけでなく古今東西の事例も交えながら展開する。

たとえば遠藤章(あきら)という応用微生物学者をご存知だろうか。本書内のある章は彼のエピソードが中心である。

血液中のコレステロール値を下げて心臓疾患の予防に用いられる「スタチン」の発見者として彼は知られる。本書によれば米国内の心臓疾患による死亡率はピークの1960年代から75パーセント以上も下がっているという。

けれども、スタチンの開発は何度も中止されており、遠藤章が所属していた三共(現・第一三共)は米国のメルク社にスタチンの販売を追い越されたという。ルーンショットを育てることがいかに困難であるかの例である。

他にも本書では、第二次世界大戦時にアメリカの軍事技術の発展に寄与したヴァネヴァー・ブッシュらを紹介しながら、「フェーズの分割(ルーンショットを研究する組織とその他の組織は分ける)」「動的平衡(両方の組織は平等に扱う)」といった原則を提唱する。

また、ルーンショットには、誰も思いついていない製品を開発するような「P-type(Product type)」だけでなく、製品は同じだがあり得ない価格でそれを販売するような「S-type(Strategy type)」もあると分類する。後者にはウォルマートなどが含まれるが、実はフェイスブックやグーグルも後者に該当すると本書は分類する(彼らはSNSや検索エンジンの最初の発明者ではない)。

ただし、そうしたケース・スタディにおいても、本書が着目しているのは、天才的な個人や突然変異的な企業よりも、イノベーションを起こすための集団的な行動の法則だ。カルチャーよりもストラクチャー、である。

サフィ・バーコール著『ルーンショット』は2019年3月に発売された一冊。クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ』の次に読むべき本として、またはマルコム・グラッドウェルによる一連の著作の隣に並べるべき本として、非常にオススメである。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

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