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これからの知性とは、知識や経験を手放し「もう一度考える」こと(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第18回
"Think Again: The Power of Knowing What You Don't Know" by Adam Grant 
Viking, 2021年2月出版

アダム・グラントの新刊 "Think Again" (もう一度考える)を読みました。これからの世の中を生きる知恵が詰まっていて、幅広い人々に手にとってほしいと思いました。

アダム・グラントはアメリカの組織心理学の研究者です。書籍のデビュー作『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』がベストセラーになりました。私達は本当はいい人でありたいし人にギブしたい、しかしそれでは競争社会で負けてしまう……と考えています。それに対し『GIVE & TAKE』は、実はギブすることが競争社会で成功する秘訣になり得るということを教えてくれました。

この度の新刊 “Think Again” も、私たちが知らず知らずのうちにもっている思い込みをくつがえしてくれます。私たちは、学んだ知識を活かし、決めたことをやり抜く一貫性が、信頼と成功に大切だという前提を私たちはもっています。それに対し本書では、自分の考えや感情を「もう一度考える」という柔軟性の方が信頼と成功をもたらすことを提示しています。内容を少しご紹介しましょう。

生死を分けた「捨てる」決断

私たちは子どもの頃から様々なことを学んでここまで来ました。授業や研修、親や周りの行動から、自分の経験から、そしてメディアから……。学んだから今がある。学んだことが自分を形作っている。自分とは、これまで学んだことの集積とも言えるわけです。

ところが、初めての状況に直面したり、環境が変化しているのに学びが追いついていなかったりすると、学んだことが生きず、むしろ邪魔になることがあるのですね。

本書の序章に描かれた事例を見ていきましょう。1949年モンタナ州で起きた山火事で、鎮火にあたっていた専門部隊が燃え広がる火に巻き込まれ、15人中12人が亡くなってしまう事故がありました。隊員の生死を分けたものはなんだったのでしょうか。ひとつは、背負っていた重い装備を捨てて逃げたかどうか。重い荷物を捨てたほうが、当然、速く逃げられたわけです。しかも、隊長は「装備を捨てろ!」と指示していました。なぜ山火事のプロたちは10キロ以上の重さの装備を手放さなかったのでしょうか。それは、緊迫した状況では慣れ親しんだ方法に立ち返ろうとする性質が、私たち人間にあるからです。彼らは装備とともに訓練を重ねてきましたから、自分が重い装備を背負っていることすら意識せずにいた可能性があります。加えて、装備を捨てることは、山岳火事の専門家として負けを認め、自らの存在意義を揺るがすことを意味したのです。装備は置いたものの斧だけは手放さなかった隊員がいたことからわかるように、装備と専門家としての自意識は分かち難いものがありました。

生死を分けた理由がもうひとつあります。生き残った隊長は、後ろから追ってくる火の手のスピードが増して逃げきれないかもしれないと感じたそのとき、なんと、自分の前方の原っぱに火を放ち、隊員たちに「こっちに来い」と叫び手招きしたのです。隊長は頭がおかしくなったのか……と隊員たちは別の方向へ逃げていきました。助かった隊長は、何を考えていたのでしょう。原っぱを焼き払えば、そこにはもう燃えるものはなくなるため、山火事が迫ってきてもそこには火がやってこない、そう考えたのです。火の緩衝地帯を作ったわけですね。隊長は水に濡らしたハンカチを口にあてて焼け跡に15分間伏せ、山火事をやり過ごしたのでした。

この事例が示唆することは、まず、私たちが賢明に学んで身に付けた知識(装備)が役に立たないどころが邪魔になる場面があること。そして、そうした場面では、学んだ知識・装備をいったん捨てるなんて思いつきすらしないこと。でも、もし既存の知識・装備をいったん手放し、さらに「もう一度考える」ことで自分のこれまでの考えを見直せば、可能性が広がること。隊長が火を消すのでも火から逃げるでもなく、火をつけることで山火事から身を守ったように。

私たちは山火事に遭うことはおそらくないでしょう。でも、周りの環境や時代の変化が速く、これまで身に付けてきた知識や考え、価値観がフィットしなくなることは、誰しも経験しているのではないでしょうか。たとえば医学に関する情報量は、1950年までは50年かけて倍増していました。それが1980年では7年で倍増し、2010年ではそのスピードはさらに倍になったそうです。ここ10〜15年ほどのダイバーシティに関する価値観も、同じように急速に変化していますね。

アダム・グラントは次のように述べています。

Intelligence is traditionally viewed as the ability to think and learn. Yet in a turbulent world, there’s another set of cognitive skills that might matter more: the ability to rethink and unlearn.
(粗訳)これまで知性とは、考える力、学ぶ力だとされてきた。しかし変化の激しい世の中では、それとは別の認知能力が大切になってくる。それは、もう一度考える力、そして学んだことを捨てる力だ。

しかし私たちはものを考えたり人にそれを伝えたりするとき、知らず知らずのうちに次の3つのPのいずれかのモードになっています。

Preacher(伝道師):自分の信念が脅かされたと感じ、己の正しさを説教する。
Prosecuter(検察官):相手の言い分が正しくないと感じ、間違いを指摘して議論に勝とうとする。
Politician(政治家):相手が自分の味方になってくれるよう、懐柔する。

しかしこの3つの態度では、自分の考えや感情を「もう一度考える」ことはできません。

そこで、著者は「Scientist (科学者)モード」を勧めています。それは自分の主張も感情も、あくまで仮説である、という態度です。何か別の事実に触れたら、自分の主張や気持ちは変わる可能性があることを前提におきます。そして「実験」によって自分の主張や感情を確認します。必ずしも考えを変えなくてはならない、ということではありません。でも、新しい材料にふれたら常に「もう一度考えて」みませんか、と呼びかけているのです。なぜなら、それが周りの人々から学び、より後悔の少ない人生につながるから。

科学者モードであるために、高い認知能力が必要かと言えば、そうではありません。逆に、IQが高いほど素早くパターンを認識してしまうため、ステレオタイプに陥りやすいことが研究で示されているそうです。加えて、最新の研究によると、賢い人ほど一度信じたことを覆すのに苦労するのだそうです。

「じっくり聴く」ことで起こる行動変容

本書は「もう一度考える」ことを3つの切り口から検討しています。1つめは自らの頭と心をやわらかくすること、2つめは他者にもう一度考えることを促すこと、そして3つめは学校、職場、地域社会が「学び続ける場」になるには、という観点です。

本書の中で私が特に興味をひかれたのは、自分の主義主張を強く信じ凝り固まってしまったような人に、もう一度考えてみることを促すテーマです。このテーマでは「聴く」ことが鍵となります。

カナダのある村では、子どもの予防接種を危険視する風潮が強く、接種率は低いままでした。そこで暮らすある若い母親も3人の子どもたちに予防接種をしていませんでした。彼女が4人目の赤ちゃんを町の病院で出産したとき、ある医師が呼ばれました。医師は “motivational interviewing”という手法を用いました。45分ほどのインタビューが終わると、母親は考えを変え、その赤ちゃんだけでなく上の3人の子どもたちにも予防接種を受けさせることにしたのです。

医師は、どのように母親とコミュニケーションをとったのでしょうか。医師は説教をしたのでもなければ、母親の間違いを指摘し議論に勝とうとしたのでもありません。母親の話をじっくり聴いたのです。

医師は純粋に「あなたの考えを知りたい」と興味をもって、母親の話を聴きました。母親は、自閉症が心配なのだと言いました。医師はそこで科学的根拠を示して母親を説得するのではなく、その情報はどこから得たか、まずたずねたのです。インターネットか何かだと思うが覚えてない、と母親がこたえると、「情報がたくさんあって、何が正しいか混乱しますよね」と医師も応じました。その後、母親の考えや信念を聴ききると、医師は自分が専門家として知っていることを伝えてもいいか、と尋ねました。その後も医師が対話を引っ張らないよう、常に母親の質問に答える形で科学的な根拠を示しました。そして「ゆっくり考えてみてくださいね」と結論を母親に預ける形で対話を終えたのです。母親は対話を振り返ってこう言いました。「先生が、『お母さんは、お子さんに最善を願っているのですね。そのことがよく分かりました。ですから、お子さんに予防接種を受けさせようと受けさせまいと、お母さんの判断を尊重します』と言ってくれたんです。私にとって宝物のような言葉でした」

このmotivational interviewingは、行動科学の分野で最も強いエビデンスで支えられた手法だ、と著者は述べています。禁煙、ドラッグなどの依存症治療、摂食障害、高校生の生活リズム、企業の組織変革、環境配慮に向けた地域の対話、離婚調停など様々な分野で活用されていて、1000を超える対照試験がなされ、研究論文の3/4 で統計的にも医学的にも有意な行動変容が示されているそうです。

リーダーこそ率先して、知識や経験を手放そう

アダム・グラントは、ペンシルバニア大ウォートン校というビジネススクールの教授で、“teaching awards”つまりもっとも優れた教授として7年連続表彰されています。本書も専門的な内容が分かりやすく説明され、ユーモア豊かですし、オーディオブックを聴くとエネルギーに満ちた明るい口調が魅力的です。

実は私、ウォートンスクールの卒業生で、2年ほど前に開催された同窓会でフィラデルフィアに行き、アダム・グラントの講演を聴きました。講演内容も良かったのですが、質疑応答がさらにすばらしかったです。卒業生たちは、自分の職場で直面している課題や人生の選択について様々な質問をするのですが、アダム・グラントは簡潔かつ的確に、淀みなく事例や論文紹介を交えながら、スピーディーに答えていくんです。なんという記憶力なんだろうと、本当にびっくりしました。

そんな人気教授のアダム・グラントも、以前は prosecutor (検察官)のように、科学的根拠を矢継ぎ早に述べる傾向があったと書いています。ある学生から相談を受けたとき、良かれと思っていつものようにあれこれエビデンスを示したところ、”logical bully” (ロジックいじめ)と指摘されたそうです。そう言われたアダム・グラントは、はじめは褒められたと思ったそうなんですね。学者の面目躍如だ、と。学生に「いや、そうじゃなくて、反論できないじゃないですか、つらいです」と言われ、はじめて、これまでもアドバイスした相手がなかなか受け入れてくれなかったことが何度もあった、と思い至ったそうです。そんな経験も踏まえて、 motivational interviewingの手法を参考にして学生の相談に乗るようになった、と本書に書かれていました。このように、本書では、著者アダム・グラントの個人的な経験談も折り込まれており、親近感がわきました。いまでは、彼が講演をしたり、執筆した記事を読んだ読者から感想をもらったとき、必ず“What is the one thing in the talk/article I should think again? (この講演・記事について、私がもう一度考えるべきことを1つ、教えてください)”とたずねるのだそうです。

アダム・グラントは本書に関し、自身のポッドキャストで次のように述べています。「私たちは、その場で一番賢い人であることを褒め称える価値観の中で生きてます。そのため、知識や経験を周りを貶める武器のように使うんですね。本来ならみんなと分かち合う知的資源なのに。そんな価値観のもとでは、知識や経験を手放すなんて、自ら負けにいくに等しい。だからこそ、すでにその場や組織で地位を確立しているリーダーから率先して、学んできたことを捨て、もう一度考える必要があります。リーダーはすでに「勝ちが保証されて」いるのですから、自分の知識や経験を手放しても地位が脅かされることはありません」。この言葉も、アダム・グラントが自ら実践したうえで語っていると、私は受け止めました。

本書の巻末には「もう一度考える」ためのティップスが30もまとめられています。専門的なだけでなくエピソードも豊富で、かつ「もう一度考える」を実践してみたくなる内容でした。

執筆者プロフィール:篠田真貴子  Makiko Shinoda
小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。2020年3月にエール株式会社取締役に就任。

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