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「ペンを武器に活躍するジェームズ・ボンド」ローガンの一生

園部哲のイギリス通信 第2回
"Any Human Heart(心ごころ)" by William Boyd
2011年1月出版

スコットランド人作家、ウィリアム・ボイドは1982年からこれまで、14冊の小説を書いている。2~3年に一作というペースをコンスタントに保ち、常に次作が待たれる人気作家だ。フランスでもドイツでも全作品が翻訳され、一冊たりとも廃版になっていない。

ところが日本では大分前に4作が邦訳されただけで終わっている。かつ、すべて絶版だから目下、日本語では読めない作家になってしまっている。なぜ日本のマーケットに浸透しなかったのか。その理由はわからないけれど、彼の代表作で最も人気の高い本作品(9作目)が、日本の海外文学愛好者のレーダーから落ちているらしいのはもったいない。

ローガン・マウントスチュアートという作家の1906年から1991年まで、85年の人生を描いた大長編。オックスフォード大学卒業後、すぐに文名を馳せるが、中年以降はジャーナリストとしての仕事に携わる。第二次大戦中は海軍に所属してスパイまがいの活動をしたり、後半ではドイツ赤軍に力を貸して利用されかけたりするが、最後は未着手の小説の構想を抱えたまま、フランス南西部の小村(ここでもレジスタンスの「英雄」に関する逸話に絡む)で人知れず死んでゆく。ヨーロッパの各都市を転々とし、ニューヨークやバハマ、ナイジェリアでも活躍するローガンの生き様は、たとえるならば、「拳銃を持たずペンだけで生きたジェームス・ボンド」といえようか。

登場人物の数は多いが、中心的存在がローガンの学友ピーター(ベストセラー作家になる)とベン(学業を放棄し画廊経営で成功する)、そして何人もの妻や愛人。作品の構造は90%以上がローガン自身の日記で、残りがローガンを紹介する伝記作家の注釈、という体裁をとる。あたかもローガンという男が実在したかのような設定だ。

もっとも、小説とは実話を装うものだ。なのに、なぜわざわざそんなことを述べるかというと、ボイドには「前科」があるからだ。夭折した天才画家ナット・テイト(Nat Tate)という架空の人物の伝記を、写真やら作品つきで出版し、英米の読書界と絵画界をだましたことがある。世間がまんまとだまされたのには理由があって、ジョン・リチャードソンというピカソ研究で有名な美術史家が「テイトを知っている」と請け合い、かのデヴィッド・ボウイもこれに加担するという、豪勢な共犯があったからだ。
このだましというかジョークは長続きしなかったが、ナット・テイトのまぼろしの作品が実際にサザビーで競売にかけられ100万円で売れた、というオチまでついている(その絵画の作者は誰あろう、ボイド自身だった)。もっともこのジョークは、ろくでもない現代絵画が馬鹿値をつけていた90年代の風潮に対する毒針のようなもので、やたら小難しい言辞を弄するフランス思想界をおちょくったソーカル事件(ニセ論文が格式ある評論雑誌に掲載された事件)の絵画版ともいえる。ナット・テイト(Nat Tate)なる名前には、ロンドンの二大美術館、National GalleryとTate Galleryの頭の数文字を拾った名前である、という種明かしが最初から仕掛けられていたのだが。

以上、一種の著者紹介を長々と述べたのにも理由がある。本作"Any Human Heart"にもこのナット・テイトが厚かましく登場するからだ。ローガンが、親友ベンから短期間経営をまかされたマンハッタンのギャラリーに、彼が歴史的実在の画家として現われる。同様に(?)実在する著名人が、ローガンの知人としてふんだんに現われるのが、本作品の一番の特徴でもある。

そんな前提を知らずに読み始めた僕は、ローガンが1926年1月27日、パリのとあるレストランで眼帯をしたジェームズ・ジョイスに出会って軽妙な会話をするシーンにぶつかり、「なんだろう、この大胆で図々しい設定は!」とわくわくしたわけだが、その後、ローガンはヘミングウェイにも出会い、10年後スペイン内乱に取材で出かけた折には、人民戦線側で取材中の彼に再会したりする。このようにしてローガンは、ヴァージニア・ウルフ、エヴリン・ウォー、ピカソ、イアン・フレミングなど大勢の文化人と出会い、挙げ句の果てには「王冠を賭けた恋」のウィンザー公とその愛人シンプソン夫人とも親しくなる。それが有名人との邂逅カタログに終わらず、各個人の伝記に忠実な枠内での出会いに抑えながらも、フィクションならではのインタラクティブなふくらみのある小話に仕上げられており、それがあちこちで螺鈿のような輝きを放つ。

ローガンの85年間の人生にあらわれる女性たちとの交友や性交渉も、この「ゆりかごから墓場まで」物語の二本目の柱であり、まぶしい青春時代から没落後の晩年まで、さまざまな女性たちが彼を夢見心地にさせ、人生の各局面を伴走し、彼より先に死に、ある者は死を分かち合う。最も印象的な女性は2番目の妻フレイアで、彼女との別れの状況は無残であり、胸がつぶれるほど悲しい。

本作品は、ローガン・マウントスチュアートを主人公とした小説であるには違いないが、ひねった見方をすると真の主人公は第二次世界大戦を中心にした20世紀の欧州文化・芸術・風俗とそれを担った歴史的人物たちであって、彼自身強烈な思想を有するわけではないローガンはその狂言回し、というふうにも読める。思想希薄なローガン、というような言い方をしたけれども、彼には「人生とは幸運と不運の総和だ」という考え方があり、事実彼の人生は、幸運という寄せ波と不運という引き波のエネルギーもまれて右往左往し、無数の人々との交わりを繰り返すが、結局は人それぞれの心と心に架ける橋はない、という意味合いの本作タイトル("Never say you know the last word about any human heart."というヘンリー・ジェイムズの言葉から借用)に表わされた一種の諦念に収束する。

調査に3年、参考書籍250冊、執筆一年半という、ていねいに造りこまれた本作品に、読者が退屈することはないと請け合おう。

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。通算26年ロンドン在住。翻訳書にリチャード・リーヴス『アメリカの汚名:第二次世界大戦下の日系人強制収容所』、フィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流』(いずれも白水社)。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』のロンドンを担当。

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