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自閉症の科学者が自分に読ませたかった「人間の取扱説明書」(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第34回
"Explaining Humans: What Science Can Teach Us About Life, Love and Relationships"(人間の説明書)
by Camilla Pang(カミーラ・パン)2020年3月発売
「地球に生まれて5歳になったとき、生まれてくる場所を間違えてしまったと私は思った。」
(It was five years into my life on Earth that I started to think I'd landed in the wrong place.)

本書"Explaining Humans"(人間の説明書)は、そんな書き出しから始まる。著者のカミーラ・パンは母親に「人間について説明したマニュアルは無いの?」と尋ねたことがあるという。人間という生き物が見せる行動を説明するガイドブックを彼女は探していたのだ。

まともがわからない

生物化学の学者であるパンは、8歳のときにASD(自閉スペクトラム症)と診断され、26歳のときにADHD(多動性症候群)と診断された。他人が「ふつうに」できることができず、幼少時には「あいつはエイリアンだ」「あなたは動物園にいるべきだ」と言われたという。

だから彼女は人間を理解するための説明書が欲しかった。本書は「人間を外から見たガイドブック」であり、自分に読ませたかった本であると彼女は語る。説明のよりどころとなるのは、彼女の人生に一番大きな喜びを与えた「科学」である。

科学が教えてくれる多様性の重要性

本書は様々な分野の科学理論を、人間と社会のふるまいについてのアナロジーとして紹介する。その対象は多岐に渡る。タンパク質の体内での働きは、異なる役割を持った人間の集団がどう活動するかを理解するために役立つ。機械学習について知ると、人間の意思決定についても理解が深まる。熱力学は、日々の生活にどうやって秩序をもたらすかを教えてくれる。ゲーム理論は、「エチケット」という名の社会の迷路を理解する道具になる、と本書は語る。

科学のレンズを通して考えることで、直感的には「当たり前」と思える社会のルールや人間の感情を見直す新しい視点を得られる。それが本書の面白さだ。例えば「直感に反して、機械学習は人間の意思決定がより『機械的でなくなる』手助けをしてくれる」といった記述がある。
本書を読むと、世の中の「当たり前」を当たり前には理解できなかった自閉症者のパンが歩んできた道のりを追体験である。多様性が生物や社会にとっていかに重要であるかを説明して、「自分が自分であることを謝らないで」(Don't apologize for being yourself.)と彼女は語りかける。

まるで僕らはエイリアンズ

本書を読んで思い出すのは、脳神経科医をしながら作家として数多くの著作を残したオリヴァー・サックスの『火星の人類学者』という名作医学エッセイだ。

90年代半ばに書かれた同書の中で、カミーラ・パンと同じように科学者(動物学者)でもあった自閉症者の女性は「自分は火星の人類学者のような気がする」と語る。人間同士の直感的な交流が理解できず、ある状況で人がどんなふうに行動するかを「膨大な経験のライブラリー」から予測することになるので、まるで火星で異種の生物を研究している学者のようなものだからだ。

どうすれば人混みの中をぶつからないで歩けるかを「人間テトリス」として数学的な課題として解かなければならなかったというカミーラ・パンも、きっと同じように生きているのかもしれない。

さて、では彼女たちは特別な存在なのだろうか。カミーラ・パンは本書で「私は、愛や共感や信頼がどんなものなのか、直感的にはわからない。けれども、それを知りたいと強く思う」と語る。人間の気持ちは、結局のところ、外からは見えない。社会で「当たり前」とされている多くのルールも、なぜそれが必要なのか聞かれると、はっきり答えられる人は少ない。よくわからないからこそ知りたいと考えて、何かを学びながら生きている人はみな、多かれ少なかれ「火星の人類学者」なのではないだろうか。

カミーラ・パン著"Explaining Humans"は2020年3月に発売された一冊。過去にはスティーブン・ホーキングも受賞した英国の王立協会科学図書賞を史上最年少で受賞している。ちなみに中国語版のタイトルはその名も『人類使用說明書』である。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

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