見出し画像

「会社員にしかできない最高の働き方」を発信する理由~パーソナルな軸~

体幹が弱いと良いパフォーマンスが発揮できない。
言葉の表現においても枝葉を解像度高く伝えるには、大本の軸を充実させることが大事。

「会社員にしかできない最高の働き方」を発信していくにあたって、もう一度この一番大事な軸について考えてみようと思います。

「社会的モブキャラでも人生を豊かにできる」と希望も含め、私はこの仮説を持って実験を続けています。

これは結果的に自分が今置かれている立場が、中小企業の会社員という「社会的なモブキャラ」なのでそれにフォーカスしてみていると言ってしまえばそれだけのことです。

ただ振り返ってみると、誰もがそうであるように私は私でオリジナルの部分を持って生きてきました。

自分のことをさらけ出すことはデメリットも多いとは思いますが、書籍にも書いていなかった話を少しばかり展開してみることにします。
というのも、発信者がどんなにもっともらしいことを言っていても、その人自身のバックボーンがはっきりしていないと中々信用しづらいと思いますし、私自身もそう思うからです。また、フェイクニュースが世の中に溢れている中で、何がホンモノなのかも見分けがつきづらくなっていることも事実です。そういう観点からも発信者は、ある程度さらけ出す必要性があるのではと感じております。

半生を振り返っていくと、
まず私は佐賀県の田舎町で生まれ育ちました。
そこでは、はなわの「佐賀県」の歌詞「ヤンキーがモテる」が表すようにヤンキーと言われる人たちが幅を利かしていました。
思い出したくもない過去ですが、中学校の時は、廊下を歩いているだけで肩がぶつかったと因縁をつけられ、胸ぐらを掴まれトイレでボコボコにされ、血だらけになったこともありました。
成長期が遅いのもあってフィジカル的に抵抗することも出来ませんでした。
自然な流れでしたが、そんな生活から潜在的に抜け出したい気持ちもあり、いわゆるヤンキーがいないと思われる進学校に行くことを選んだように思います。
(余談ですが、ヤンキーと言われる人たちも家庭的な問題でそうならざるを得なかった事情があったり、私自身もヤンキーから受けたしわ寄せを自分で昇華できず他にあたってしまっていたり、、今思えば、個人が不安定になると負の連鎖が生まれてしまうということも目の当たりしていました。)
高校に行くと、ヤンキー問題からは抜け出すことができましたが、自分より頭が良い人ばかりで勉強についていけなくなりました。
国公立大学に行くことが理想ルートの学校だったので、好きな科目以外の勉強を全くしなかった私は担任の先生からも見放されました。
数学だけはできると思っていましたが、一番になれるわけでもなく、上には上がいることに落ち込みました。(ただ、一回だけ県下一斉模試の数学でトップをとったことは嬉しかった。※マグレです)

そこで大学は教科が絞られている私立を自然と選ぶのですが、数学が好きだとはいえ数学科等の理系学部に行ったとしても自分よりも好きで出来る人が沢山いるということは目に見えていたので、理系数学を活かして受験できる文系学部はないかと探してみました。
そしたら東京理科大学の経営学部という、文系なのに理系数学と英語だけで受験できるところがあるということを知り、そこを受験することにしたのです。
無事に入学はできましたが、大学に入ると次は、大学の中でも経営学部は肩身が狭いと感じずにはいられませんでした。理系学部が王道の学校で、嫌な思いをすることも少なくなかったと記憶しております。
大学では応用数理というゼミを選択しましたが、プログラミングなどについていけずこの分野に関しても挫折。
就職先はゼミの先生が薦めるようなIT系はムリだなということで、書籍にも書いたような理由で保険会社に就職したのでした。
その保険会社も大手で、たくさんの入社ルートがあり、私はその中で営業部長候補生として入社。
営業を実践でき、かつ給料もいいということで選んで入ったのですが、入ったらまた肩身が狭い思いを感じずにはいられませんでした。
総合職というエリートと言われるルートから入ってくる人たちに営業部長候補生というだけで鼻で笑われるようなこともあり、壁を感じずにはいられず居心地が悪かったのを覚えています。(もちろん総合職の中でもフラットに話せる人は沢山いたのですが)
そこから退職し、書籍に書いたような話に入っていくのですが、
私は一貫して「ただ平和に過ごしたい」と思っていてそこにはスムーズにいかないことがあるから試行錯誤していたのだと思います。
 
もちろん自分の書いていることを見返していると、家庭的な事情でそもそも大学に行く選択肢が無かったり、災害や紛争で理不尽な不幸に見舞われている方々などとは比べ物にならないな悩み事だと感じております。

平和ボケだったのかもしれませんが、私のような環境下でも一人の人間がメンタル面も含め、ただ平和に生きることの難しさを感じずにはいられませんでした。

そして今何を考えているかというと、会社員とそれを取り巻く環境について。
会社員という立場にいると、「経営者に雇われているサラリーマン」「ただ言われたことをやる仕事。ダサい。」というイメージがまだまだ強いように思います。
特にピラミッド型の組織の場合は、考えなくても仕事があるので指示待ち人間を量産しやすく、それが所謂今のサラリーマン像になってきたように感じています。
ただこれらのイメージは今の私にとっては幻想で、会社員でも自分次第でクリエイティブでカッコいい仕事ができると実感しております。(この辺りは書籍に詳しく書いているのでまだの方はお読みいただけると幸いです。)

私は学歴も職歴も中途半端で、いわゆるエリートではないのですが、それでも試行錯誤しながら、周りの方々からの助けもあって「ただ平和に過ごしたい」という気持ちは忘れずに生きることができています。
少なくとも、人生を生きていく中で、「平和に過ごす」状態は今現時点が一番いいのかなとも思います。
それが、社会的モブキャラの立場でもできてるということは、参考になる方々も多くいらっしゃるのではというのが一つの希望でもあります。

起業家やアスリート、アーティスト等の分野では様々なセンセーショナルな人たちがいて、私にはこれらの分野でそんなことをできるポテンシャルは持ってないことは重々承知しております。

だからこそ、私はこの「会社員」、中でも世間的には圧倒的多数である「中小企業の会社員」としてセンセーショナルなことをチャレンジしたい想いでいます。

それがインパクトが薄いにしろ、YouTubeだったり、MCだったり、書籍出版だったりのチャレンジに繋がっているのだと思います。

できるかできないかというよりも、後ろ向きではなく前向きにその方向性でいくということ自体に価値があると信じている今日この頃です。

少なくと自分自身を殺さず、正直に向き合い、その想いを大切に丁寧にいきたいと思っております。

今回は学び要素のないどうでも良い話でしたが、今の自分は生きてきたすべての環境から出来上がったものですし、軸をはっきりさせるためにも敢えて振り返ってみました。

そして先日宇津木妙子さん(女子ソフトボール元日本代表監督)の講演の際にMCとして一緒に登壇させていただきましたが、「自分をさらけ出す大切さ」をご教示いただいたので書いてみたくなりました。

改めてこれらを私の一つの軸として今後もnoteを発信していきたいと思いますので、少しでも信用できる(?笑)と思われた方はフォローしていただければ幸いです。

これからもお付き合い、どうぞよろしくお願いいたします。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?