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From sign to frame -駐禁看板の記録-

★駐禁看板を観察してみた


街の中でこういう看板を見かけたことがないだろうか?

駐車禁止看板。
私の住む大阪ではかなり頻繁に遭遇する看板である。
大阪市内はとにかく土地が無く、猫の額ほどのスペースですら時間貸しの駐車場になっている。しかも駐車料金が高い。そしてどこも常に満車。
その為、ちょっとした用事を済ませたい時、少しだけなら・・・という誘惑に負けて路上駐車してしまう人が少なくないわけだが、その路駐を阻止するために設置されているのが、件の駐車禁止看板である。

駐車禁止看板は大抵、黄色の鉄パイプのような素材でできている。そして中央に「駐車禁止」などと書かれた白いトタンが金具で鉄パイプフレームに固定されていることが多い。トタン部分の文言のバリエーションは様々あり、よく見かけるのは5、6種類程度だ。

婦警さんのバージョンも多い。

だいたいどれも「駐車禁止」を訴えかけている訳だが、初めはピカピカの駐禁看板だった看板たちも、風雨にさらされ、邪魔者扱いされ、時には車や人が衝突したりしているうちにボロボロになり、いつしか真ん中のトタン部分が取れてしまう。

ついに取れてしまいました

「駐車禁止」の文字が無い以上、こうなった看板はもう、本来の目的を果たせなくなってしまっている。これはもはや看板でもなく、ただの物体である。黄色いフレームの物体。
意味が無くなったらお役御免で即処分、かと思いきや、なんの意味も持たない存在にもかかわらず、このフレームだけの状態で街の中にそこそこ存在している。意味が無いなりに、それぞれの場所でそれぞれの在り方で存在しているのだ。

★それぞれの在り方のいろいろ

ここでは、フレーム状態になった駐禁看板の様子をいくつか紹介する。

⑴何体かまとめて隅に追いやられている。
ボロボロのカラーコーンとセットのパターンもある。
案外重いし場所を取るので、わざわざ倉庫等まで運ぶのは大変だろうと推察する。
⑵何体かをロープやチェーンで繋いでバリケード化。
点が面になることで駐車阻止能力が高まる。
壁面が広い場合や人間・車両の侵入を阻みたい際に有効。
⑶壊れた土台をカラーコーンで補い再活用。
過酷な路上に長年設置されていると土台からもげてしまうこともあるが、
カラーコーンの上の穴にブッ刺すことで再起可能となる。
古タイヤとセットのことも多い。
⑷持ち主の創意工夫で新たな意味を付与。
この例では、フレーム状態なのを活かして反射テープをぐるぐる巻きつけ、
光によって物体の存在を示し、駐車を阻止しようとしている。
残念ながら奥に駐車されているが……
⑸活用のあてもなく路上に放置。
いざ捨てるとなると結構困るサイズ感と素材のため、
壊れた場所でそのまましれっと放置されていたりもする。

・・・等々。
処分したくてもなかなか処分し辛く、買い替えるにしても割と経費の掛かる駐禁看板をなんとかしたいという持ち主の思いが感じられる。

★"フレーム状態の物体”を記録する

看板としての役目は果たせなくなっても、街の片隅にひっそり存在している"フレーム状態の物体”を、出会ったら撮影して記録するようにしている。

撮影するときは水平に、フレームが中央に来るように撮るのがマイルール。真っ正面からフレームと対峙すると、フレームの枠で街の景色が切り取られるようで、しかも普段は見ることのない新鮮な視点で景色が見えて面白い。

この視線の高さで風景を見ることってあまりない。
私の視線は意味を無くしたフレームに強制させられる。

2021年から始めた記録がぼちぼち溜まってきたので、GoogleMapのマイマップ上にまとめることにした。
これが意外と大変で、GPS情報が残っていないものもあり、写真の風景とわずかな記憶からストリートビュー上を彷徨うことも多々あった。我ながら何をしているのかわからないが満足です。
下のリンクから見れるので是非見てほしい。今後も見つけ次第、逐次増やしていく予定。

やはり行動範囲である大阪市内が多い。もちろん大阪以外に行った時も探しているが、これが意外と見つからない。六本木や渋谷、上野など行く先々でもキョロキョロ探したが、全然見つからなかった。ていうか大阪に多すぎるのか?
今後は大阪以外にもエリアを拡大して見つけていきたいですね。

★フレームの奥に透けて見えるもの

大阪に限らず、日本の都市は土地が足りない。日々ビルド&スクラップを繰り返す街において、効率や有用性が重視され、不必要なものが省かれるのは当然のことである。
その最中で、この……意味がなくなっても、本来の用途を果たさなくなっても、つつましく街に存在し続けるフレーム状態物体のいじらしさ。意外と個性もあって、ついつい目で追ってしまい、記録し始めてしまった。
言うまでもなく、私は路上観察の徒である。

……見回すとこの世の物体はほとんど意図だらけで、疲れてしまう。もちろん、この世に存在する物体はすべて意図して作られているわけだが、しかし、われわれとしては、観察によって、その意図の線上からズレてしまった部分を発見しようとするのである。

筑摩書房「路上観察学入門」/赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊 編

この世の物体を意図して作るのは人間であるが、意図の線上からズレてしまった部分をズレたままに放置しているのもまた、人間である。

私が観察をする中で感じる物体への猛烈な愛しさは、物体そのものの存在のいじらしさも勿論のことであるが、その奥に透いて見える、誰か知らない人間の生活とそれに伴う判断や行動に対する「人間っておもろいな〜」という感情もかなりある。
実際、私自身はこのフレーム状態物体の観察以外にも色々と路上観察をしているが、実は廃墟にはあまり関心がない。生活と共に現在進行形で変化する物体にどうしても惹かれるのだ。
駐禁看板に限らず、「意図の線上からズレてしまった部分」を追い続けるのはもう路上観察者のサガなのでどうしようもない。人の営みの中で無数に下される判断や行動、その痕跡としての"物体"をこれからも観察し続けることになるだろう。

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