"何も考えてない"INTPによる、外見や学歴の話

「何も考えてなさそう」「頭悪そう」「辛いこととかなさそう」INTPの私がよく言われる言葉3選。

性格類型界隈では、INTPは分析家グループで、主機能がTi(内向的思考)、思考・洞察が得意だという認識が、当然のように広まってる。

だから、そのような扱いをされることは少ない。だが、現実ではそんな認識は常識ではないし、むしろ私は「何も考えてない」ように見えるらしい。

実際、私が思慮深いかどうか、頭が良いか、は測定不可能だし、一旦置いておくとして。
私が主張したいのは「何も考えてない」という言葉を投げかけてくる人間の方が、考えが浅い愚か者だということだ。

以下、主張する理由を何点か書いていく。

①見た目で人を判断しすぎ

おそらく、私は若い女で、しかも顔のパーツも曲線的、服装もフェミニン系だから、「こういう女は何も考えてないバカだ」と見た目で判断されているのだろう。

(少し話の趣旨がズレるが、、多くの若い女性が「垢抜けている」のは、外見に関して、自己分析と改善を繰り返し重ねているからだ。容姿という可視部分すら客観視できず、気を配れない人間から「何も考えてない」と言われる筋合いはまるでない。)

なんにせよ、どんな容姿の人間でも必ず、思考は持ち合わせている。「何も考えてないよね」と言う人間は、そんな当然ことにすら、考えが及ばない程度の脳の持ち主なのだと思っている。

②学歴は無意味?

現在、私は女子大生なのだが、学歴フィルターで切られることはまずないだろうという大学に、一般受験で合格し通学している。

そのことを知ってる人にすら「何も考えてないよね」「勉強しないで合格したのね」と言われる。(本人を前にして、そんな事実無根の否定をできる品性を疑う)

で、そういう発言する人に限って低学歴だし、「学歴がある人は信頼できる」とか訳わからないことを言い始める。理解に苦しむ。

ぼやきは置いといて、ここで一旦、なぜ学歴が重要か、立ち返って考えてみたい。

学歴という能力主義は、ある種の「平等」が保たれる、分かりやすい評価基準なのだ。

受験=「大学合格という期限付きの目標に対して、必要なタスクを考えて実践して達成する」ことで、難関大学であればあるほど、達成困難な目標を達成したということになる。

つまり、高学歴(特に一般受験組)には、思考力・実践力・改善力が一定以上備わっている。だから、社会において、学歴は重要視されているのだ。

この話で伝えたかったのは、"高学歴にはそこそこの思考力が担保されてる"という認識があるから、学歴社会は存在してる。なのに、その本質的な認識がないまま、学に対して上記のような発言をする人は考えが浅いよねっていうこと。

※一応注釈すると、学歴が全てではないことは痛感しているし、高学歴でなくとも頭が良い人はいる。逆も然り。むしろ、勉強は持たざる者に残された最終手段だと思っているので、他の能力を持っている人は心から尊敬する。

感想
最近、「何も考えてない」とバカにされることが多く、結構頭に来ていたので書いてみた。

私にも原因があるとは思う。求められない限りは、会話上で自分の考えを話さないタイプだし、他人に賢いと認められることよりも、知識や持論を独占することに価値を感じるタイプだし。

それにしても、「何も考えてない」って他人に言う人って、何が目的なんだろうってシンプルに気になる。

相手を「何も考えてない」人間だと見做すことで、相対的に思慮深くなった気分になるのかな。全然分かんない。

とにかく、モヤモヤを言語化してみてスッキリした。口の悪い駄文に、最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。




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