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カメ と 兎

「 三兎を追う 」

ハタチの時から心の中にあった言葉。
実際には存在しない言葉であり、自分でつくったものだ。
でも、いつからかしっくりときてそっと胸に秘めてきた。

言葉のなかにある三匹のウサギを、その時々の状況における3つの目的(それぞれ別ジャンル)に見立てて、それらを達成するための合言葉にしている。目指す到達点も年が経つにつれて変化を伴い、日々アップデートしてきた。


ここで、なぜ3つなのか、というところが疑問として浮かぶと思う。
これは高校時代、ひたすら青春を捧げて、追いかけていた文武両道の失敗がキッカケだった。母校は「文武両道の男子進学校」を旗印としており、僕は「勉強」と「部活」の二匹のウサギを必死に追いかけていた。

「二兎追う者は、一兎も得ず」

追いかけてはいたものの、結局は例外に漏れずこの言葉がぴったりの中途半端な結果に終わってしまった。何年かに一人はスーパーマンみたいな何でもできてしまう子が現れるらしいが、それは僕ではなかったし、捕まえ方を間違えていたのかもしれない、と思っていた。


それから大学に入り、タバコ会社の広告である言葉を耳にした。

「二兎追う者しか、二兎を得ず」

聞いた瞬間びびっと来た。
高校時、二匹を追いかけてどちらも捕まえられなかった結果は、事実としてある。だが、二匹を追うリスクを犯したものにしか、二匹を捕まえるチャンスがないという考え方に共感を覚えた。発想を転換して結果より物事に向き合うスタンス、考え方に焦点を当てて捉えることができ、もしかしたら高校時のどちらも追い求める姿勢としては間違っていなかったのかもしれないと捉えなおせた。

「二兎追う者は、一兎も得ず」ということわざを教訓として、一つのことに集中するのもいいが、追い求めた結果を見過ぎるのではなく、視点を変えて、追い求めること自体に意義を見出してもよいのではないかと思いはじめた。

それから、「二兎追う者しか、二兎を得ず」の言葉を気に入り大切にしてきた。当時は色々思い描いていたなりたい姿を目指すという広い意味で「二兎」としていたが、なれたかどうかは別問題として、進路選択(①企業 / ②プロ / ③教員)で迷っていたこともあり、そこから少しアレンジを加えて「三兎を追う」とし、自分の合言葉にしてきた。


また、「三兎を追う」という言葉には、もう一つの意味も含ませてある。

それは「ウサギとカメ」の童話。
足の速いウサギと足の遅いカメがゴール地点まで競走をし、最終的にはカメが勝利する物語である。

この童話からは「ウサギを追いかける=カメ」の構図が浮かび上がる。

さきほど説明した「三兎を追う」という言葉に当てはまると、兎を追いかける自分自身を、足の遅いカメに変換し、同じ立場として認識することができる。童話のなかでは最終的にカメが勝利する話ではあるが、ここでも結果に焦点を当てるのではなく、常にコツコツと歩みを進めるカメの道中の姿勢が大切であり、もっとも強調したいところである。


短い人生ではあるが、四半世紀ほど生きてきて思うのは「上には上がいる」ということ。言い換えれば、どの分野にも自分よりも先を走っている「ウサギ」が必ず存在する。そのウサギの存在を意識することで、たとえ上手くいった出来事のあとでも、自分はコツコツゆっくり前進する「カメ」だと認識できていれば、いつまでも謙虚な気持ちを持つことができる。また、上手くいかなったとしても、焦らず、目の前の小さな一歩に集中して歩みを進めることができる。


まだまだ目指すべきウサギは前にいる。
僕は今日も一歩ずつ追いかける。


いつも応援ありがとうございます!!