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2021年10月読んだ本まとめ

今月はテーマを「多様性について学ぶ」として書籍に限らず情報を集めていた。特に『正欲』の衝撃は大きく、自分の認識できている範囲の狭さを思い知らされることになった。

テーマを持って読書を始めたのは最近だが、生活する上での感度が違うことに気づけた。来月は何にしようか。

さよならも言えないうちに / 川口俊和

『コーヒーが冷めないうちに』シリーズが好きだ。原作も映画版も有村架純・石田ゆりこさんの役がぴったりであり、映画を観てからは映像変換するときに自然と切り替わるようになった。その最新作である『さよならも言えないうちに』が出ていたので読んだ。

「過去には戻れるが、現実は変わらない」という設定はタイムリープものの中でも珍しい。結果は変わらないが過程なら変えられるという妙に現実主義的な部分もいい。フィクションだけどぶっ飛び過ぎてないというか。

過去、現在、未来の世界で、圧倒的に大事なのは現在であるにも関わらず、過去を変えたいという人は多い。そんなことはできないのに。

それでも仮に戻れるとして、僕の場合いつだろうか。おそらく、祖父が家族を認識できなくなる前の10年前だろう。祖父のおかげで今があるから「ありがとう」を伝えられたらいいなと思うが、当然祖父はもういなくて伝えることはできない。

読後に多くの人が「伝えられる人が生きているうちに気持ちを伝えておこう」と思うのではないか。僕もそう思った。しかし、実際問題どうだろうか。伝えなければならない人は思い浮かぶのに僕はまだ実行に移していない。こうやって何度も失敗しながら気づいたら手遅れになっているんだと思う。人間ってなんでこんなに行動に移せない生き物なんだろう。いまだにわからない。

思考のコンパス / 山口周

『世界は贈与でできている』を読んだことがありテーマも「贈与」だったので近内悠太さんとの対談は大変興味深かったのだが、それよりもそそられたのが小川さやかさんとの対談。

『都市を生き抜くための狡知 タンザニアの零細承認マチンガの民族誌』はまだ読めていないのだが、お互いに借りを作りながら生活しているタンザニアでの生活に贈与と同じ構造を感じる。「借り」に対して申し訳なさを感じていた時期もあったけど、その「借り」で人々の関係が成り立っている社会があるというのだから面白そうな匂いがする。

今は相手に何かを贈ることに一種の快感も感じていて、巡り巡って違う人から自分に返ってくるものだと思っている。それは物質的なものもあれば、精神的なものや概念的なものに変化することもある。

実際に他人からモノを贈ってもらったり譲ってもらう機会も多い。その行為を受けたら自分の身の回りの人や寄付などによって次へバトンを渡していく。最近はそのいい循環に入っていたが、贈与関係の本を読む中で、あることに気づいた。

それは相手に「負債感のタネを植え付けてしまっているのではないか」ということ。そのことに悩んだ時期もあったが、そのヒントがタンザニアでの貸し借りの仕組みにありそうなのである。

対談の中でタンザニアの人たちは「借り」を完全には返さず、人生の保険として持って生活しているのではないかという指摘がされていた。これに自分と同じような感覚を感じる。直接的に返して欲しいとも思っていないし、贈ったものに対して即座に同じようなものが返って来れば「交換」になってしまうのでそもそも好きではない。好きではないけれど、不確定な未来のどこかで助けてもらえるかもしれない、という気持ちも同時に持ち合わせてもいる。その間で揺れていてもどかしさを拭えないでいる。『都市を生き抜くための狡知 タンザニアの零細承認マチンガの民族誌』を早く読むことにする。

それにしても高いな。お値段以上、なのかな。

宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる あなたの知らないあなたの強み

FFS理論は前から気になっていて、宇宙兄弟も高校のときから好きなので、これは読むしか!となって購入。本にWeb診断がついていて、それよりも詳しく診断を出すには3000円の課金が必要との事だったので迷ったが、研修か何かでやった友人が質問数はそんなに変わらないと言っていたのでしなかった。全部で80問ぐらいの質問だったかな。

結果は「保全性」と「凝縮性」が優位。宇宙兄弟のキャラクターで近いのは「真壁ケンジ」らしい。読んだことがある人なら「あっ。そっち系か。」ってなるだろう、僕もなった。なんとコメントしていいかはわからない。

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優位な因子が「保全性」と「凝縮性」になったわけだが、本の中で特徴としてあがっていたいくつかの項目のうち自分にも当てはまる特徴を挙げてみたい。

【保全性】
☑︎ 好き/嫌い、快/不快、興味あり/なし、と言った情動が判断軸
☑︎ 念のため全部確認したい。
☑︎ 知識やスキルを積み上げていくことを好む。
☑︎ 同業の人たちと自分の専門分野に関してトコトン深く議論する。
☑︎ 興味を持ったことに対して、準備しながら少しずつ体験を増やす。
☑︎  最小公倍数(すべてを網羅した全体)を求める学び方
☑︎ 「やり切った感」が重要
【凝縮性】
☑︎ 「こうあるべき」という価値観
☑︎ 「権威に学ぶ」自分が尊敬できる相手や書物から学ぶ
☑︎ 一度これと決めたらそこに絶対的な価値を置く。
☑︎ 一旦求めた相手のことは信じ切る
☑︎ 「正しいか/正しくないか」が判断基準
☑︎ 正義や道徳といった価値観を大切にしている。(信念、責任感、正義感)
☑︎ 自分なりの「正義」の基準がある

正直、人間は5つの因子全ての要素を持っているので、どれも当てはまりそうな気がした。だけど、傾向として自分がどのような特徴を持っているかを本人が把握しておくことは大事で、少し突っ込んで言えば、相手のタイプがわかれば人間関係の接し方を工夫することもできるかもしれない。すべてが正しいわけではなく、グラデーションなので、これらがキッカケになることはいいこと。だからこそ、多くの企業や組織で導入されていることも頷ける。金額が少し高めなので実現可能かはわからないが、大学の部活動でも取り入れてみたかった。

多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織

「多様性」という言葉を少しでも理解したいと思い、今月はテーマとして読んでいた。ここ何年かで世間一般にいわれるようになった多様性は、性別・人種・年齢・信仰などの「人口統計学的多様性」と呼ばれるもので、この本に関してはもう一つの「認知的多様性」に関しての情報を集めたものだった。

どれだけ優秀な人たちが集まっても、視点が同じ人たちが集まっていれば、同じような見方しかすることができない。視点が多様化すればするほど、見つけられる解決策の幅が広がる。その認知的な多様性が集合知を高める。

スポーツの世界にいるうちは長年スポーツの世界で生きてきた人間ばかりなので、みんな同じような意見になる。ここから一歩踏み出し、スポーツと違うフィールドに行けば、もしかしたら平凡な自分の意見でも価値を持つ可能性があるのではないかと思い始めた。水が簡単に手に入る世界では水は貴重なものではないが、砂漠では状況が違うため水が大きな価値を持つ。正しい例えかどうかはわからないが、そんな感じではないか。ポジションが大事なんだと思う。

庭とエスキース / 奥山淳志

写文集。数十枚の写真といくつかの文章によって構成された作品を読み、妙に惹かれてしまった。話の途中で出てくるものが写真として視覚化されるからかもしれない。はたまた、ここに出てくる「弁造」さんと著者の奥山さんの人間味あふれる2人に惹かれただけかもしれない。

「死んだときに誰が葬式に来てくれるか?」
この問いについて友人と話をしたことがある。たくさんの人が参列してくれるだろうか。仲のいい奴はめんどくさがらずに来てくれるだろうか。そんな会話をした記憶がある。葬式では自分のエピソードを誰かが語ってくれ、思い出話に花を咲かせる。

語られるべき人生はどのようなものだろう。この作品の主役である「弁造」さんは誰かに自分の人生を話すことがあっても、語ってはいない。だけど、著者である奥山さんが14年もの間北海道を訪れ、写真を撮り、会話をし、お互いの時間を共有し、このように本にすることで第三者である僕たちに届く。本当に語られるべき人生は本人がはからずとも語ってもらえるものかもしれない。

今も若気の至りで、こんなことを成し遂げたんだ!と語れる人生に憧れている部分もあるが、もうそんなことは考えなくてもいいかもしれない。今の瞬間を生き、あとさき考え過ぎずその場所で持っている力を出すことだけに集中すべきかもしれない。それがもし語られるべきものであれば、弁造さんのように誰かが語ってくれるかもしれないし、自分で語るしかない人生にあまり意味はないのかもしれない。死んだあとのことを考えても仕方がないし、どう”生きるのか”が大切であってそれが人生で問われている。そう思うようになった。

正欲 / 朝井リョウ

凄い作品に出会ってしまった。朝井リョウさんの作品の思い出に関しては、就活の時期に『何者』を読んだり、生きがいを探していた時期に『死にがいを求めて生きているの』を読んだりして面食らったことを覚えている。でも、これは種類が違う。レイヤーが違うというか、感想も言うことも他人に勧めることも憚られるような類のものである。

「多様性」という単語が飛び交うような社会になり、完全には把握できていなかったけれど、なんとなく外枠は理解しているつもりだった。本当にそれが「つもり」だったのがよく分かった。何にも分かっていなかった。やっぱり自分が知らないことを知らない状況が一番怖い。これから読む人もいるだろうし、内容に関しては触れないでおきたいが、おそらく僕はこれまでの人生で多くの人を無意識のうちに傷つけ、かつ現在進行形でも誰かを傷つけているのだろうと思う。もう傷つけないというのは無理かもしれなくて、傷つけながら生きていくのが社会だ、と開き直ることでしか生きていけないのかもしれない。それぐらい、読む前と読んだ後とでは自分の気持ちが変わってしまうぐらい影響を受けてしまった。受けてしまったが、ときが経てば忘れてしまうのが人間で、また僕たちは誰かを傷つけて、その度に半紙して心を改め、また忘れて人を傷つける。それを一生繰り返していくのだと思う。

読むべきだ、読んでみてほしい、ともいうことができない。だけど、もし興味があるなら少しでも概要を眺めてみてほしい。この作品が多くの人に届いてる理由が必ずあるはずで、それは自分の枠の外のことかもしれないけど、確かに存在していて、知らないよりは知っておいたほうがいいものだと、僕は思う。

僕の姉ちゃん / 益田ミリ
やっぱり、僕の姉ちゃん / 益田ミリ

中学校のチームメイトであり、同じFWとしてペアを組んでいた友人がいる。顔がよくて、勉強ができて、センスがよくて、趣味はサーフィンで、とにかくなんでもできるのだが、聴いてる曲だったり、雑誌だったり結構気があるのでインスタに流れてくる彼の投稿を楽しみにしている。あるとき、『僕の姉ちゃん』っていうドラマを見てみてと言われた。調べてみると原作が益田ミリ。益田ミリに外れなし。もっと調べてみると、主題歌はハンバート ハンバートとOKAMOTO'S。最高じゃないか。

原作もドラマもどちらも面白くて、姉ちゃんの本質突きまくりなチクッと刺さる言葉たちは心に響くはず。特に社会に出たばかりの同世代の男性に見てほしい。会社にいるであろう上司、同期たち。1人は心当たりがある人がいるはずだ。とりあえず1話だけでも再生してほしい。1話が合わなかったらそれ以降はハマらないだろうから。僕はドラマを見たあと、原作を読んだ。クスッと笑いが出てしまう場面が多々ある。脳内で黒木華さんの声で再生された姉ちゃんが最高だった。黒木華さんの演技も絶妙にいそうな感じで違和感がなくて、この人の演技にまた魅了されてしまった。『重版出来』も『獣になれない私たち』もめちゃくちゃ好きだった。YouTubeで調べてたら観たくなった。借りてこよ。


脳の寿命を延ばす「脳エネルギー」革命 ブドウ糖神話の崩壊とケトン体の奇跡

エネルギー代謝の知識は大事。
今思えば当たり前なことなのに、当時大学一年生だった僕は気づけなかった。筑波で唯一落とした単位が「生理学」だ。情けない。そこではケトン体についても触れられていた。あのときの知識があれば、この本の内容についてももう少し頭に入ってきたのではないか。ピルビン酸とか、クエン酸回路とかシンプルに難しかったんだけどね。でも、過去を振り返っても仕方がない、というお決まりの言葉をつなげつつ素直に学びなおそうと思っている

日日是好日 / 森下典子

はじめて「お茶」を飲んだのはまだ小学校に入ったばかりのときだった。祖母がお茶を習っており、何も知らないまま畳に座らされ、苦い緑色の飲み物を飲まされた。飲み方や作法で注意を受けた記憶がある。そのせいなのかあまりいい思い出として残っていない。あの頃から「お茶」に対するイメージは更新されていなかったが、この本を読んで劇的に変わった。

いままでの印象としては、形式ばった礼儀作法を習う大人の趣味ぐらいに思っていた。そのイメージは読み進めるにつれて徐々に崩れていく。思っていたようなものではない。もっと奥が深い行為であり、「自分を見つめる」ためのものだということに気づかされる。

「学校はいつも他人と比べ、お茶はきのうまでの自分と比べる」とある。僕らは常に他人と比べる世界で生きてきた。僕の場合、今も現在進行中である。絶対的な豊かさより、相対的な豊かさは比べる対象が変われば評価も変わってしまうので心が惑わされる。

自分の成長だけ考えて生きていければいいのだけど、他人と暮らす中で完全にそちらに振り切ることはむずかしい。だからこそ、著者であれば「お茶」のようないつもとは違う場所を持っていることが大切なのだと思う。

これは僕にとっては「読書」の空間なのかもしれない。リアルな場ではないが、読書をしている間は現実世界からは離れている感覚になる。特に小説は。

僕らが生きている現実世界の仕組みである資本主義では成長しなければいけないらしい。仕組みだから仕方がない。会社で働く社会人たちもそのレールの上を歩いているので、働いている限り会社の成長に貢献し続けなければならない。

その世界から一歩離れて、昨日の自分と今日の自分だけを比べることができる世界はどうだろう。その変化にだけ意識を向ける。極論、成長してなくてもいい、後退しててもいい。

僕の場合、本を読んだ日は昨日より少しだけ知っていることが増える。そのことに気づき自分が前に進んでいる感覚を与えられる。半歩ぐらいかもしれないが、それでも昨日の位置よりはたしかに前へ進んでいる。

著者の場合は「お茶」を習い続け、何年も同じような動作の繰り返しの中で実感したようだった。僕は本格的に読みはじめてまだ5年ほどなので、著者のお茶歴に比べればまだまだ素人だ。しかし、他人と比較ではない。意識を自分に向け、成長の実感を感じられる毎日を継続して過ごしていきたい。

サピエンス全史 / ユヴァル・ノア・ハラリ

読みはじめて2ヶ月。やっと読み終わった。長い闘いだった。

少し前から巷で社会人のリカレントが流行っているが、歴史に関してはこの本から始めた方がいいのではないか。日本史から学び直すことも悪くはないが、全体像を把握することは何においても大事だ。大きな文脈で捉えれば、現代を生きている僕たちはちっぽけな点に過ぎない。それでもここに確かに存在している。これから僕らに待つ未来はどんなものか。そんなことをいわば強制的に考えさせられる本だった。何が何を人間たらしめるのか。最近考えていることとも合致しそうだ。

学生の時、歴史は大の苦手だった。過去の人間がやったことをどうして覚えなければいけないのか、いささか疑問だった。そんなことは知ったこっちゃない。これからの未来が大事で、過去のことを学んだところで意味がないし、全然面白くな買った。でも、今は違う。過去から現在、未来へは線形的には流れない。流れないからこそ、過去から学び、未来を予測する。予測し、準備する。そのことを学ぶには歴史をとてもいい教材になる。誰もが重要性を今になって痛感する。悔しいが遅くはない、ここから大切。

先日、後輩の子に『サピエンス全史読みたいと思ったんですよね〜』と言われたからプレゼントした。自分が読んだものだけど。後輩なんて目に入れても痛くないぐらい可愛いんだから、本の1冊や2冊痛くも痒くもない。どんどん読んでほしいし、言われれば新刊も買ってあげるよ?貢ぐよ?という気持ちだし、みんな興味があればなんでもやってみるべきだし、挫折してもページをめくってみるべきだと思う。せっかく読書の秋なんだし。

問いのデザイン

「質問」と「発問」と「問い」の違いが興味深い。(P43の表から引用)

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無意識か意図的かは分からないが、学生時代にお世話になった教員や指導者の方々はこれらの使い分けがうまく、目的地への導きがスムーズだった。

指導される側は指導者の言葉に敏感になる。不自然なアプローチにはすぐに気が付く。探られている印象を持ったり、求められている回答へ導かれているなと思ったりする。そうなるともう真意は引き出すことはできない。本音を言って嫌われたい人はいない。本音と建前うまく織り交ぜながらごまかして生きていく方がスムーズにことが進むから。

質問と発問と問い。使い分けがうまかった指導者に共通する特徴はなんだろうか。僕個人のサンプルでいうと、「待つ」技術に長けていると感じる。問いでもなんでも相手側に投げかけるときに、言葉を投げかけた側は不安になる。回答が欲しくなるのだ。できれば自分が想像していた返答が欲しいし、導きたい方へ進みそうな返答を求めがちである。だが、ここで待てるかどうかが勝負になるのではないか。指導される側も考えていないわけではなく、なんて発言すべきか迷っているし、感覚としては存在してても言葉に変換しづらいものもある。それらが形として出てくる前に、指導者側がラベリングしてしまうと似てはいても違ったものとして出てきてしまう。何より本人の口から出すという行為にも意味がある。本人の口からすぐに出ないときには、ここで質問と発問と問いの使い分けが生きる。本人の口から答えるというゴールに向かって組み合わせてあげることが大事ではないだろうか。僕も何かの返答を待ってもらって助言と一緒に家に持ち帰ってじっくり考えたことがある。時間をとって考えることによって、状況が進展し、回答に対する満足感も出てくる。このように焦らず一歩ずつ前に進ませてくれたことによって今の僕があると思っている。スポーツや教育界に限らず、年齢が上がれば誰かを指導するという立場には必ずつかなければならない。そのときにはうまく使い分けて組み合わせて導いてあげられるようにはなっていたい。

観察力の鍛え方 / 佐渡島傭平

サッカーにおいて「観察」という行為は大事。状況が刻一刻と変わる中で何が起こっているのかを観察しながら、それに応じて求められるプレーをする。その状況を理解する力がなければどうにもならない。

いい観察とは「ある主体が、物事に対して仮説をもちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気づき、仮設の更新を促す。」とある。プレー中はこの仮説と実行の繰り返しになる。しかも数秒単位での繰り返しの連続で、絶えず行われている。

この観察→仮説→実行のプロセスは、頭で考えながら行っている僕みたいなタイプもいれば、本能的にわかるタイプの選手も存在する。行動の結果がすべてなので、どちらが良いとかではない。特に感覚的にわかるタイプのものはマネがしづらい。しかし観察→仮説→実行のプロセスは学習することである程度はできるようになる。それがスポーツの上達にも繋がるため、天才ではない子どもたちは小さいときから考えながらプレーすべきだと思う。上手な選手は他人の技術を観察して自分に取り入れるのがうまい。

カスタマーサクセスプロフェッショナル

本筋ではないコラムみたいなところに学びがあった。どんな領域においても、エキスパートを育てたければ、「ストーキング」が一番とあった。間違いないと思う。目標とする人たちの行動に常に注目し、情報の入手先を知り、発言に耳を傾ける。僕は感覚的に自分と近いなという人や、目標にしたい人、カッコいい生き方をしている人はTwitterもInstagramもフォローさせてもらっていて、誤解を恐れずにいうなら ”ストーキング” している。彼らは「貪欲なコンテンツ消費者」であり、テレビ、音楽、書籍、食、ジャンル問わず多くのコンテンツから吸収している印象を受ける。だから僕も彼らが消費しているコンテンツには同じように触れ、一回は脳に通すようにしている。彼らの頭の中が同期できたらいいなと思ったこともある。自分のオリジナリティを出すにはまだ早い。今はまだ目標とする人たちを真似して吸収していく守破離の「守」の時期。でも、みんなちゃんと寝てんのか?ってぐらいにいろんな情報に触れていて追いつかない。悔しいけど、まだまだ食らいついていきたい。その先に見える景色があるだろうし。

ケーキの切れない非行少年たち / 宮口幸治

学校のシステムと部活動というシステムが正常に機能している社会に生まれてよかった。読後、改めて自分の運の良さに気付いた。僕の学生時代の自己肯定感はこれらの成果でまかなわれてきた。たまたま学校の勉強という仕組みが少し得意だっただけで、学校のシステムが苦手なだけで人間的には問題ないにも関わらず、そのせいで非行に走ってしまう子が生まれてしまうのは本当によくない思う。認知機能の低さから、そもそも何が悪いことなのか認知できないのでは?という指摘は鋭い。理解はしていないけど、反省したような態度を取れば解放される。そうなれば誰でも早く解放される態度をとるだろうし、仕方ないことではないだろうか。そのための対処として認知機能の向上を目指して認知行動療法や簡単なエクササイズが紹介されていた。でも、教員として働いている友人は「そんな時間も余裕もない」と辛口なコメントを残していた。子どもたちを変える手段や方法は見つかっているのに実行に移す環境がないのに現実が垣間見える。でも、これも「仕方ないこと」として処理していいものなのかな。

新聞記者、本屋になる / 落合博

僕は密かに「本屋」になりたい夢がある。でも、現実は厳しくて誰でもなろうと思えばなれるだろうが、その世界で生き残っていく割合はサッカー界で生き残っていく確率と同じくらい低い。なんて難しい世界なんだ。最近友人が大手の会社を辞めて企業したらしいが、正直そんな大きな挑戦に挑む姿がかっこよすぎる。どんな考えをもっていたとしても、行動に移さなければなんの意味もない。僕も行動で示せる人間になりたい。

会って、話すこと / 田中泰延

会って話したい人がたくさんいる。それだけでも幸せなことかもしれない。
でも欲張っていいのなら、お酒を片手に美味しいツマミを食べながら友人と語りたい。それ以上に幸せなことはない。早くみんなに会いてえな。










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