世間に溢れる反対運動は、怒りではなく嫌悪から来ているのでは?という話

もうタイトル通りでしかないのですが。
脳科学の研究結果を分かりやすくまとめてくれている脳には妙なクセがあるという本を読んでいた時に、下記の文に目が止まりました。

「また、相手の提案を拒否するかどうかの決断ともっとも相関していたのも、やはり嫌悪だったといいます(「怒り」でないのが面白いと思います)。」
池谷祐二『脳には妙なクセがある』扶桑社:2013年


ほぉ…。と唸ったものです。
この文章の前後としては、味覚を感じた時の表情筋の動きと、モラルや道徳観を見積もることができる最後通牒ゲームというゲーム中の表情筋の動き(感情の動き)との共通点を述べている文なので、この一文はメインに据えられている話ではないのですが私は非常に興味深いなと思いました。

なんといっても、私は近年のインターネットに蔓延る異様な炎上率と、特定のコミュニティや意見をバッシングする風潮の根幹なのではないかなと思うのです。

人々は皆、理由ある怒りだと言いながらバッシングし、炎上させますが、正直なぜそこまで叩くのか私には理解ができない事が多々あります。
むしろ、炎上がまた別の炎上を呼び、コミュニティ同士の言論闘争が加速していて、必要以上に憎しみ合う状態が加速している節さえ見受けられます。

例えば私はフェミニストですが、児童を模したラブドール廃止運動やあまりにも厳しい二次元ポルノ反対運動などには正直賛成出来ません。
何故ならそこには現実的な被害者はいない為です。
語弊がない様に言っておくと、児童ポルノや二次元ポルノに触発された犯罪者がいないと言っているのではありません。あくまでも現時点で罪を犯していない小児性愛者や二次元ポルノを好む人に視点を置いた際の話です。
もちろん、そういった児童型ラブドールや二次元ポルノこそが児童や現実の人間への性的加害のきっかけとなる…という意見は分かります。
しなしどうしようもなく特殊とされる性癖を持った人間が、現実の被害者なく居場所を手に入れられている現状を破壊する行為ではないか?と懸念がある為、私はこれらの運動に賛成することはできません。

人は何も自ら選択して性的嗜好を決める訳ではないのですから、犯罪に直結してしまう性的嗜好を持った人間が、罪を犯さないように最低限欲求を発散できる自由は、思想良心の自由として認められるべきものだと私は考えます。

ゾーニングさえされていれば、現実の被害者のないポルノを必要以上に規制するのは不要であり、正直なところ二次元に対する規制の声は、自らの嫌悪感から来る拒否感を怒りとして主張している面があると思っています。(コンビニでエロ本を売るな、などのゾーニングに対する声は正しい声かなと思います。)

しかし、YouTuberのレペゼン地球防衛軍がセクハラパワハラをネタにして大炎上した件などは、その後セクハラパワハラを訴える人が狼少年のように扱われかねない為、正しい反対運動だったと私は考えています。
こちらは同じ《かもしれない》を主軸に置いた話ではありますが、《犯罪に走る恐れがあるかもしれない》と、《被害者の声が消されるかもしれない》では大きな違いがあると思うのです。
ここを深く追求すると、児童ポルノに誘発された犯罪者がいないとでもいうのか!という理論になって話が逸れてしまいそうなのでここでやめておきますが。

もちろんこういった話はフェミニズム思想だけにとどまりません。
女性専用車両は男性差別であるなどという意見や、同性婚や夫婦別姓は家族制度を崩壊させるなどという意見、ヴィーガンに対する激しい抗議活動や異様なまでの右寄り運動なども、もっともらしい理由を付けた反対運動を名乗っていますが、全て自らとの思想の違う人間に対する嫌悪感から拒否しているのに過ぎないな、と感じるのです。
言うまでもなく異様なまでにフェミニズムに対して反感を持つ粘着質なアンチなどもこちらに該当するでしょう。

先程はメインでフェミニズムの活動について例を挙げましたが、むしろ男性によるアンチフェミニズム運動や、アンチ同性婚・夫婦別姓運動の方など、現在の規範でアドバンテージのある存在の方が、無意識的かつ日常的にこのような認知のすり替えを行っている方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

このように、本来は自らの意見や思想と異なる人間に対する排他的、差別的感情であるにも関わらず、それを自らの理性的な理由ある怒りだと無意識に主張をすり替えて、反対運動を起こしていると考えると、現在の怒りと反対意見に溢れたインターネット界隈に納得がいく部分が多々あります。

完璧な世界というのは世の中に存在しておらず、他人は他人であり自分ではないのです。必要悪は必ず社会にどうしても現れてしまうし、自分とは180度違う事で悩んでいる人がいる。
自分が嫌悪する存在も人間であって、悩みがあって、苦しんでいる。
という当たり前の事に、あまり想像がついてない人の意見が多く目につくような現状が、正直最近のインターネットや社会を息苦しいものにしているなと感じてしまいます。

何かに拒否感や怒りを感じた時の、それが本当に適切な怒りや悲しみの感情なのか、はたまた個人的な嫌悪感から来る拒否感なのかは、冷静に考えなければならないな、と書いている私も自省します。

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