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相乗効果を狙おう:2つ目のテュルク語のすゝめ

自分の経験した現地の話を何か、しかし自分のnoteでもあらかたトルコやアゼルバイジャンのあれこれについて自分が語れることは語り尽くしてしまったような気がしている昨今、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

さて、たまに個人的に「もともとトルコ語をやっていたのに、どうしてアゼルバイジャン語を始めたのですか」と聞かれることがあります。

回答は、おそらくシンプルに済まそうと思えば済むでしょう。「アゼルバイジャン語が楽しそうだったから」と(その経緯も上記マガジンに書いたことがあります)。

「なぜアゼルバイジャン語を?」についてもう少し

では、よく2つもやろうと思いますね、一つでも大変なのに…とこられたらどうしたものか。そう、トルコ語だけでもいくらでも時間と労力を割こうと思えば割けます。なぜそこにアゼルバイジャン語をもってくるのか。

その答えになるかどうかわからないのですが、今日はその答えの候補になりそうなことについて一つのポイント、すなわち「複数のテュルク諸語をやることのシナジー効果」について少し述べてみようと思います。

相乗効果について考えてみる

シナジー効果。すなわち、「相乗効果」というくらいの意味でここでは使ってみましたが、自分の場合はもともとやっていたトルコ語を理解するのに、アゼルバイジャン語を勉強することが効果を発揮していると思えるのです。

具体的にはどのあたりで?と言われると、なかなか難しいところもあるのですが、今回はいくつか具体例を出してみようと思います。

1. (ほぼ)似ている部分を両言語で学習することで、知識としての定着に寄与する

トルコ語、アゼルバイジャン語ともにテュルク諸語のうち南西語群(オグズ語群とも呼ばれることがあります)に属する言語です。とりわけこの2つの言語は音韻や形式(語幹や接辞の形とここでは考えてください)相互に類似している点が多いことで知られています。

トルコ語とアゼルバイジャン語の単語の比較(その1)

上の表では、トルコ語とアゼルバイジャン語のいくつかの語のうち、母音あるいは子音の一部に対応関係がありつつ結果としてよく似ているように見えるものをいくつか提示してみました。

なお下3つ「土地」「橋」「葉」の各語は、音位転換で子音が逆になっているものです(特に/r/と/p/がそうなりやすいようですが、他の例がこの記事を執筆している時点ではいいものが浮かびませんでした)。

もちろんこれらはかなりシンプルな語ですから、両言語それぞれの語学の一部としてさほど大した部分ではないとも言えますが、どちらかの言語を先に学習していれば、もう一方の言語の学習が楽になる点としての好例にはなるかもしれません。

文法も、似ている点はいくらでも指摘できます。

(1) Ben anne-m-e mektup yaz-ıyor=um. (トルコ語)
私 母-私の-に 手紙 書く-進行=私は
「私は(自分の)母に手紙を書いています」
(2)Mən ana-m-a məktub yaz-ır=am. (アゼルバイジャン語)
私 母-私の-に 手紙 書く-進行=私は
「私は(自分の)母に手紙を書いています」

(1)がトルコ語、(2)はアゼルバイジャン語です。先に提示した上記リンクでも言及したことがありますが、母音調和(後に続く母音が先にある母音の影響を受けて変化する現象を指します)、語順(OV型、修飾語が被修飾語より先に来る)、名詞に付加される人称語尾や格語尾、動詞活用のパターンと、両者には多くの点で共通している点があるということは間違いないでしょう。

2. 逆に両者の違いを知ることで、より双方の個性と特徴を理解できる

では、両言語にはほとんど違いはないのか?と思われる方も多いかもしれません。ここをどう評価するかがポイントで、全く両者が同じとは言えない点は、実はすでにここまででもみてきました。

たとえばトルコ語にはƏ(ə)(発音記号としては[æ])という字母がなく、音素としての母音の数は8種ですが、アゼルバイジャン語はこのƏ(ə)も含めて9種の母音があります。

アゼルバイジャン語のほうが母音が1つ多い
(ただし、上の表は各言語の音素ではなく、字母で表示してあります)

また、前節で「似ている語」のリストを提示しましたが、逆に全く異なる語が使われている場合も同じく数多く挙げることができます。

これは特に外来語においてわかりやすいと言えるでしょう。現在どちらの言語もラテン文字を用いて表記するという共通点はあるとはいえ、歴史的経緯の違いがこういったところに反映されている、とも言えます。

トルコ語とアゼルバイジャン語の単語の比較(その2)

他にも、目的格の語尾の付き方がわずかに異なると言う点があります。
以下(3)と(4)の組み合わせがその一例です。母音で終わる名詞に目的格の語尾が付加される場合、トルコ語は-yi/-yü/-yı/-yuのいずれかが付加されるのに対して、アゼルバイジャン語では-ni/-nü/-nı/-nuとなります。

(3) Ben Ali-yi okul-da gör-dü-m.(トルコ語)
私 アリ(人名)-を 学校-で 見る-過去-1単
「私はアリを学校で見ました」
(4) Mən Əli-ni məktəb-də gör-dü-m.(アゼルバイジャン語)
私 アリ(人名)-を 学校-で 見る-過去-1単
「私はアリを学校で見ました」

また、トルコ語では動詞の不定形(語幹に-mek/-makを付加した形)に目的格語尾が付加されることがないのに対して、アゼルバイジャン語では対照的に不定形にこの格語尾が付加される形が用いられます。

(5) Sevil satranç oyna-ma- çok sev-iyor.(トルコ語)
セヴィル チェス 遊ぶ-動名詞-を とても 好む-進行
「セヴィルはチェスを指すのがとても好きです」
(6) Sevil şahmat oyna-mağ-ı çox sev-ir.(アゼルバイジャン語)
セヴィル チェス 遊ぶ-動名詞-を とても 好む-進行
「セヴィルはチェスを指すのがとても好きです」

トルコ語で-mek/-mak型の不定詞には目的格語尾が付加されないため、(5)のようにもう一つ別の語尾-me/-maによって動名詞が作られます。この語尾なら人称語尾や格語尾が付加されてもよいので、結果としてアゼルバイジャン語とは異なる動名詞あるいは不定詞の文法項目となっているわけです。

他にも、義務を表す表現で語順が結果的に逆になっているものがあります。

(7) Yabancı dil-ler-i öğren-me-m gerek. (トルコ語)
外国の 言語-複数-を 学ぶ-動名詞-私の 必要だ
「私は外国語を学ばなければいけません」
(8) Gərək xarici dil-lər-i öyrən-əm. (アゼルバイジャン語)
必要だ 外国の 言語-複数-を 学ぶ-願望:1人称単数
「私は外国語を学ばなければいけません」

トルコ語の知識がある方は、(8)のアゼルバイジャン語の文を見て一瞬えっ、と思うかもしれません。

つまりアゼルバイジャン語では、「必要だ」の意味を表すgərəkを使って義務的であることを表す場合、文頭にこの語を用いて、さらに続く動詞が願望形でなければならないのです。この点はトルコ語のgerekの使い方とは決定的に異なるところと言えます。

なお、この願望形もトルコ語とアゼルバイジャン語でパターンが全く違っていたりするのですが、今回はそこには触れないでおきましょう。

少し話が長くなりましたが、要点は「トルコ語とアゼルバイジャン語とで違うところもいくらでも見つかる」ということです。

これによって、それぞれの言語の学習ということに立ち戻ったときに、それぞれの言語の語彙や文法の特徴がさらに際立って見えるということはあるように思います。

これらの「違う部分」についての意識が定着すれば、それだけ言語知識としてそれぞれの言語の理解に役立つことにも十分期待できるでしょう。もっとも定着するまでは、一方の知識が正しい運用に対してマイナスに作用するというリスクもないことはないのですが。

3. 世間話のネタになる(かもしれない)

さて、3つ目の効能。これはもうそのままで、授業なり人前でのトークなり、世間話のおりにネタの一つになるという話です。

トルコ語とアゼルバイジャン語の関係での有名な(というかベタな)ネタ話に、「アゼルバイジャン行きの飛行機に乗っていたら機内アナウンスで、『この飛行機はまもなく降ります』と流れたとき、乗っていたトルコ語話者の乗客が『この飛行機はまもなく落ちます』と聞き取ってパニックになったそうな」というものがあります。

これは要するに先ほどの2つ目と関連した話で、

düşmek 落ちる(トルコ語)→ düşecek「落ちるだろう」
düşmək 降りる(アゼルバイジャン語)→ düşəcək 「降りる(降下する)予定だ」

動詞の形、およびそれぞれの動詞の中核的な意味が共通しているところから作られたネタ話なのだろうと思います。ひょっとしたら多少は実話に基づいているエピソードかもしれませんが。

というのは、「飛行機」も「まもなく」も両言語でおそらく違う語を使うと予想されるからで、トルコ語ではそれぞれuçak, birazdanといった語なのに対して、アゼルバイジャン語のほうではtəyyarə, təzlikləとまったく違う語なのです。ひょっとしたら、トルコ語話者の乗客が「飛行機」「まもなく」の部分は理解しなかったけれど、"düşəcək"のところだけは聞き取れて「オイなんかわからんけど今「落ちる」とか言うたやで!!」のようなことになった…とか、そういうことはあったかもしれませんね。なかったかもしれんけど。

「人間のサロン」…ではなく、「メンズサロン」。そのこころは…?
(2021年12月撮影、バクー;アゼルバイジャン)

上の写真。トルコ語「だけ」知っていてこの看板を見ると、一瞬おおっ、と思う可能性はあります(私は初めてバクーに行った時、この看板を見て思わず笑ってしまいました)。

トルコ語ではkişiは「人」で、特に性別のいずれかを表す語ではないのですが、アゼルバイジャン語ではkişiは「男性」のほうを表す語なのです。

ですからこの看板は「メンズサロン」のようなことなのですが、トルコ語の知識だけだと「!?人間サロン?じゃあ他の動物用のサロン(ここでは美容室くらいの意味ですね)が…??」と一瞬考えてしまうこと請け合いだとか、そうでもないとか。

以上で、「相乗効果」についてうまく例を出して説明できたかどうかはあまり自信がないのですが、ひとまず似ているところもそうでないところも、それぞれの言語を知ることに対しては最終的にプラスになるだろう、という趣旨です。

「2つ目のテュルク語」のすゝめ

そういえば昨年末にとある企画で、私個人のnoteでこういう記事を書いたことがあります。

この記事では、「テュルク諸語のうち一つ(とりわけ、トルコ語が代表になりがちなのですが)をやっても、他のテュルク語が即座にわかるわけではない(だから、各言語にわたしたちは興味を持ちたいですよね)」という趣旨のことを書きました。

今回ここまで書いてきた内容は、まさに上のリンクの記事内容の追加的な内容にもなっていると思います(そうだといいのですが)。

一つだけ見ていてもわからないこと、見えないことはたくさん潜んでいるように思えるのです。別のテュルク語に触れてみることで、最初に勉強した言語について気づくこともたくさんある、と。

バリエーションはすなわち、悦びなのであります。(バクー、2021年12月撮影)

私個人の場合は、当面はトルコ語とアゼルバイジャン語を中心に。必要に応じて、「友の会」のほかのメンバーがやっているタタール語やウズベク語にも目を向けてみたいなとも思いつつ、趣味と実益を兼ねながら触れていこうかなと思っています。

みなさんもせっかくですから、どうですかひとつ。2つ目のテュルク語。
え?まだ一つも触れたことがない?それはいけません。あのですね、オススメの言語がありましてね…トルコ語っていうんですけど、これg(以下略)

(文責:吉村 大樹(テュルク友の会代表))