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お腹の虫は、タコ!?

キネとミノ #2 「お腹の虫は、タコ!?」

2月21日

 二月のある日の、北風の吹く帰り道。キネとミノはとてもお腹が空いていた。ふたりは今にも、そのきょだいな空腹感に押しつぶされてしまいそうだった。はやく何か食べたい。だけど、何を食べたらいいのかわからない。ふたりはその間を行ったり来たりしているうちに、疲れてしまったのだ。何を食べるのか。早く決めてしまわないと、このまま行きだおれてしまいそうだ。

 彼女たちがそこまでお腹を空かせている理由はこうだった。
 昼休みになってご飯でも食べに行こうとしていたふたりのもとに、とつぜん図書委員の仕事が舞いこんできた。今日中に生徒会に提出しなければならない書類が委員長のうっかりでまったく作成されていないことが判明し、クラスの図書委員だったキネとミノにも召集がかけられたのだ。

 書類はなんとか間に合ったものの、そうこうしているうち無慈悲にも昼休みは終わってしまい、彼女たちはお昼をすっかり食べそこねてしまった。その日は学食で食べようと思っていたので、お弁当を持ってこなかったこともわざわいした。

 女の子とはいえ、いや、女の子だからこそ、昼食抜きとなると不都合が多い。キネは午後の授業中になんどもお腹が鳴ってしまい、そのたびにすさまじく恥ずかしい思いをした。具合のわるいことに、キネの席はだいたい教室の真ん中あたりにあったのだ。

 キネは思った。どうして勝手にお腹は鳴るのか。どんなに熟練した達人でも、お腹が鳴るのを止めることはできないのか。ミノも同じようにお腹が空いているはずだが、彼女のお腹はどうしてわたしより控えめでおとなしくできているのか。そもそもお腹の虫ってなんなんだ。どんな機能があるんだ。
 もしこれが原始時代で、腹ペコ状態で必死の狩りをしているときにうっかりお腹が鳴ってしまったらどうだろう。それを聞いた獲物は逃げて、よけい困ったことになるんじゃないだろうか…

 キネはそんなことを考えながらずっとお腹に力を込めていた。けれどお腹の方はそんなことも関係なしで、捨てられた子犬のようにきゅんきゅんと鳴った。またあるときは、電車が通りすぎるときのように低くごぉーっと鳴った。

 なんなんだ、このお腹は。このボリュームだときっと周囲二マス分の範囲にははっきりと聞こえているのに違いない。彼女はそう考えて顔を真っ赤にした。いったい何がお腹のなかに潜んでいるのだろう?


 いろいろ想像してみたが、彼女に思い浮かんだのはタコのようなかたちの、捉えどころのない影だけだった。骨があって毛が生えているような、そんな堅い生き物が体内にいるとは考えにくい。いや、考えたくもない。すると、タコのような軟体動物なのではないか。ああ、なんて憎たらしい怪物。しかし、ほんとうにお腹のなかにタコがいると考えたら相当な気持ち悪さだなあ、とキネは思わず自分のお腹をなでた。そしてまたお腹が鳴った。

 もはや、彼女にできることはなにもなかった。彼女にできるのは、ただ教室がしずまっているときにお腹が鳴らないことを祈るだけだった。
(はたしてそれは起こったのだが、キネは耳を塞いで聞こえないふりをしてやり過ごした)


 休み時間になると、近くの席の親切なクラスメイトはそれぞれで隠し持ってきていたお菓子やキャンディーを出しあって、キネに与えた。キネは感謝しつつ、それらをありがたく食べた。しかし、それでキネのお腹が満たされることはなかった。

 キネは一番うしろの席にいるミノのところに行って、ここまで自分のお腹の音が聞こえていないだろうかと彼女に訊いてみた。
「大丈夫。さすがにここまでは聞こえてこないよ」
 と微笑んでミノは言った。
「だいたい、お腹の音みたいに体内で鳴る音って、自分では大きく聞こえるけどあんがい周りには聞こえないものだよ。それに、もし聞こえたとしてもだれのお腹の音かなんてわからないでしょ。お腹が勝手に自分の名前をいうわけじゃないんだし」
「そんなことされたらたまんないよ! ねえ、ミノは大丈夫? ミノもお腹ぺこぺこでしょ?」
「まあね。でも、あたしはキネほどお腹の虫はうるさくないからな」
「あれ、やっぱり聞こえてるんじゃ…?」
「ううん、聞こえてない、聞こえてない。あたしはもともと少食だからだよ。朝はちゃんと食べるし。キネも朝ごはんは食べてるよね?」
「もちろん。でも、いくら朝ごはんいっぱい食べててもお昼抜きは痛い。痛すぎる。そしてそんなこと以上に、授業中にお腹が鳴るのは恥ずかしすぎる」
「かわいそうに…。うーん、そうだね。何か飲めばお腹が膨らんで、ちょっとは鳴らなくなるんじゃないかな?」
「その手があったか!ちょっと自販機でお茶でも買ってがぶ飲みしてくるよ」
 キネは体育館のそばにある自販機のところまで行ってペットボトルのお茶を買い、それをぜんぶ飲み干した。わらにもすがりたい気持ちだったが、ミノの言ったとおり効果はあった。空腹感はほとんど変わらなかったものの、そのあとの授業中、お腹はおとなしくなった。キネはミノの知恵にこころから感謝した。


 放課後になった。キネはミノの机にやってくると力強く、何かおいしいものを食べに行こう!と宣言した。
「いいよ。なに食べに行く?」
 とミノは言った。キネは祈るように手を組んで答えた。
「お寿司とか、松坂牛のステーキがいいなあ」
「お小遣いの範囲でいけるところなんて限られるけどね」
 とミノは言った。そして続けた。
「でもさ。じつは最近、そういう高価でおいしいものを食べたいっていう欲がなくなってきたんだよね、あたし」
「おいしいものを食べたくないなんて、そんなことあるの!?」
 キネはとんでもなく驚いた。そして宇宙人でも見るような目つきでミノをみつめた。
「食べたくないというんじゃないけど、そんなにいいものじゃなくても食べられれば何でもいいやっていう感じ」
「それ大丈夫? じゃあ、逆にまずいものでも食べに行く? そうすればおいしいもののありがたさがわかるかも」
 突拍子もないキネの提案に、ミノは思わず吹き出しながら答えた。
「うーん。それはそれでちょっとね。だいたいあたしはなんでもおいしいって思う方だし」
「あ、それはわたしと一緒だね。わたしも嫌いな食べ物っていうと、生トマトと干ぴょうとイクラくらいかな」
「けっこうあるじゃん」
 と言ってミノはまた笑った。キネは言った。
「でも、それ以外はなんでもおいしく食べられるよ。ねえ、とくにおいしいものを食べたくないっていうのは、何か理由があるの?」
「何ていうか、もったいないような気がしちゃうんだね。うまく言えないけど」
「食べない方がもったいないと思うけどな」
「もっと正確にいうと、キネと一緒に食べるんならありだよ。おいしいねって感想も言いあえるし、思い出にもなるじゃない。そう考えるとシチュエーションによるのかな。とりあえずひとりだと、なんでもいいやってなっちゃうのね」
「ふーん。まあミノは普段から自分で料理してるから、それも関係してるのかな?」
「それはあるね。おいしいもの食べるより、おいしいもの作んなきゃいけないんだから。で、何がいい? 晩ご飯もあるしね。あんまりお腹いっぱいにならずに、晩まで持たせられるようなのが理想的だけど」
「そんな都合のいいものあるかな。パフェとかでもいいけど、ここまで空腹だと甘いものって気分じゃないよねえ」

 自転車を引いて帰り道を歩きながら、ふたりは頭を悩ませた。空腹になればなるほど頭が働かなくなるので、良い知恵も浮かばなくなるのだ。もうなんでもいいや、という気分と、ここまでお腹を空かせたからには、それを満たすものは何か特別なものでなければならない、という思考がふたりのなかで激しくせめぎあっていた。

「もう正直、あたしはコンビニでもいいよ」
 と考え疲れたミノは言った。
「とりあえず何か食べたいもん。コンビニなら肉まんとかおにぎりとかいろいろ選べるでしょ。店内で食べれば寒くないし」
「コンビニかー。確かにそれもいいけど、妥協になっちゃうかなあ」
 そう言いながらキネは頭を抱えた。そして思い出したようにキネのお腹がぐうと鳴った。その音は、今度ははっきりとミノの耳にも入った。
「あ、いまお腹鳴ったね」
 とミノは言った。そのとき、ふとキネにすばらしいアイディアがひらめいた。
「そうか、わかった! たこ焼きだ! 今のわたしたちにぴったりなのはたこ焼き!」
「それならお小遣いの範囲内だし、量も加減できるし、しかもおいしい」
 すぐにミノも賛同した。ふたりはたこ焼きで手を打つことにした。

 そのたこ焼き屋は住宅街のなかにあった。キネもミノもその店に行くのは初めてだ。以前、そのあたりに安くておいしいたこ焼き屋があるという話を聞いたことがあったのだ。
 そこはふたりが生まれる前からやっているような古い店で、むかしは1個10円という安さで商売をしていたらしい。今はさすがにそこまで安くはないが、それでも立派な庶民の味方だという。

 古ぼけてかすれた看板と、「たこ焼き」と書いてある小さな提灯が見えてきた。ガラスの引き戸を開けると、まさに目の前ではリアルタイムにたこ焼きが作られていた。
 ふたりを見ると、店主のおばあちゃんは手際よくたこ焼きを作りながら、いらっしゃい、と言った。壁にはラミネートされたメニュー表が貼ってある。それはずいぶん前に作られたもののようで、表面が油でテカテカしていた。

 8個で300円、12個で400円、15個で500円、
18個で550円、20個で600円。

 これにマヨネーズをつけると別途30円。この店に焼きそばやお好み焼きといった他のメニューはなかった。かんぜんにたこ焼きオンリーのお店だ。

「何個買う?」
 とミノはキネに訊いた。
「20個いっちゃう?」
 ようやくたどり着いたたこ焼きを前に、すでにしあわせそうな顔でキネは言った。
「えー。そんなに食べられるかな? まあ、キネがたくさん食べるならそれでもいいけど」
「ここのたこ焼きはひとくちサイズだし、この腹ペコ具合だよ。それくらい余裕だよ」
 たこ焼きは見たところひとくちサイズというには大きいような気がしたが、キネがそういうならそれでいいか、とミノは思った。
「じゃあ20個にしようか。マヨネーズは?」
「つける!」
「すいません。たこ焼き20個、マヨネーズつきでお願いします」

 できたばかりのたこ焼きは白いトレーに並べられ、まずたっぷりとソースが塗られた。ソースはすぐさま生地に染みこんで湯気をあげた。そこに青のりが振りかけられ、そのうえにほとんど粉末になったカツオブシがかけられて、しあげにマヨネーズがこれ以上ないほどのうつくしい曲線を描きながら、瞬く間にかけられた。

 たこ焼きは10個ずつ、2つの白いトレーに分けて作られた。そこにうすい木の包み(いわゆる経木)がかけられ、さらにむこうが透けるほどぺらぺらの紙でぐるりと包まれて、ふたりに手渡された。薄いトレーを通して、手にあたたかさが伝わってくる。さっそくふたりは狭い店内にある丸椅子に腰かけてたこ焼きをつつきはじめた。

 ふんわりとした食感、ダシの効いたほどよくとろける生地、キャベツの歯ごたえ、紅生姜の塩気、それにタコ。そのたこ焼きには、ちゃんと親指の先ほどのタコが入っていた。
「おいしいね〜」
「これだよ、これが今日の正解だったんだよ」
 ふたりは湯気の立つたこ焼きを夢中でつついて、結局ぜんぶ平らげてしまった。キネは言った。
「わたしさ、今日の授業中ずっと考えてたんだよ。お腹の音ってどうして鳴るんだろうって。あんなの、あっても困るだけだよ」
「それね、あたしもずっと疑問だったけど、今日その答えを見たね」
「答え?」
「そう。キネのお腹の音を聞いて、みんな休み時間にお菓子とか食べものを出してくれたでしょ? お腹の音っていうのはまわりの人に空腹を訴えて、あんな風に食べものを恵んでもらうための機能なんじゃないかな」
「ええー! じゃあ、わたしは今日お腹の音をただしく使ったってことだ」
「そういうこと」
「でもそのたびにあんな恥ずかしい思いをするんじゃ、ちっとも割に合わないよ」
「まあそうかもね。もしお腹の音が教室中に響いちゃったら、あたしだったらきっと耐えられないな」
「やっぱり聞こえてたんだー」
「聞こえてない、聞こえてない。あたしもちょっとお腹鳴ってたけど、聞こえなかったでしょう?」
「うん」
「お昼抜きで仕方なかったんだし、大丈夫だよ」
「ま、わたしのおかげでお腹の虫も少しは役に立つってことが証明されたわけだし。ただし、もう二度とそのひみつの機能を使いたくはないけど」
 ふたりは笑いあった。
「ねえミノ、またおいしいもの食べに行こうよ。大人になったら高級なお寿司とか、松坂牛とかさ」
「そうだね」
 とミノは言った。

                          (おわり)

このお話について

このショートストーリーは『アドバルーン』という自費出版の短編集に収録された表題作『アドバルーン』に出てくるキネとミノという二人の女子高生のショートストーリーです。
今回からは短編集に引き続いて、まりなさんにかわいいイラストを描いてもらうことになりました!
このふたりの話は、これからもこんな感じで続いていく予定です。

元となった短編はnoteでも無料公開中!
短編集についてはこちら⇒ アドバルーンTumblr特設サイト
通販もやってます   ⇒ turistas BOOTH

短編集は、双子のライオン堂さまと、タコシェさまでも委託販売中です。

テキスト:マキタ・ユウスケ
イラスト:まりな      ⇒Twitter

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