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ここから⇒人生の広場"夏のつる草"

今年もまたあの季節がやってくる。大自然の脅威。"あちら側"からわれわれを脅かす侵略者。そう、それは夏のつる草。その恐ろしさをあなたは知っているだろうか…?

どうしてつる草を恐ろしく感じるのか?

ぼくはジョギングが趣味で、いつも晴れている日は川沿いの道を走る。まっすぐ直線の道を走るのは精神的にキツイものだけれど、幸いにもその川はゆるやかなカーブが連続している。
大きく蛇行しながら他の川と合流し、ゆったりと海へ伸びていく川が好きなのだ。空はどこまでも広く、山に沈む夕日は愛おしく、広がる田園と遠く白山まで連なる山々も素敵だ。
時折大学生がカヌーの練習をしているのも風情がある。
こういうコースが身近にあるということにはちょっと幸せを感じられずにはいられない。

しかし、これからの季節はその幸せなコースに影を落とすものがある。
ちょうど今ぐらいの時期から草が脅威的なスピードで伸び始めるからだ。
草にも大きく分けて二つのタイプがある。
直線的に上に伸びる草と地面に沿って横に伸びる草である。
上に伸びる草は、もう既にぼくの胸くらいの位置まで伸びている。
これからもっと伸びるだろうが、これはいくら伸びたところで道を覆うようなことはないし、邪魔にもならないからまだ許せる。
伸びたいなら勝手に伸びてればいいんじゃない、という程度だ。

しかし横に伸びるタイプの草はそう簡単にはいかない。
多分そのタイプの草にも色々種類はあるんだろうけれど、なかでも群を抜いたスピードで舗装された道を侵食するがそう、つる草なのだ。
まずは下の写真を見ていただきたい。
これはつい先日撮った写真である。

この、まるで何かの触手のようなツルの先端。今はまだ出はじめだが、これからこの触手が何十本もにょきにょきと道に這い出てきて、アスファルトを覆うことになる。

つる草というのかツタというのか。いずれにしてもそれは俗称であって植物の固有名ではない。ぼくはまだその正しい名前を知らない。
葛なのかと思うけれど、葉の形がちょっと違うような気がする。
まあでもきっと葛と似たような植物なのだろう。
葛は生命力が非常に強く、外来種として持ち込まれたアメリカでは刈っても刈っても伸びて建物を侵食する様からデビルプラントと呼ばれ恐れられているというが、そう呼びたくなる気持ちはぼくにもよくわかる。

このツルは、もしかすると「だるまさんが転んだ」のようにぼくの見ていないところでは本当にうねうねと蠢いているのではないか?
そんな疑惑すら浮かんでくる。
ぼくが目を向けた時だけさっと一時停止しているのだ。
実際、このツルを定点観測して早送りで見たらきっと触手のように手探りながら動いているのが見えるはずだ。
植物と人間とでは時間感覚が違うだけで、彼らもまた生きて確かに動いている。
夏のつる草を見ているとそれを確かな事実として実感することができる。

真夏のアルファルトの上は地面とは比べものにならないほど熱いから、ツルの多くは途中で枯れて千切れて道で干からびる。その姿がまたなんとも言えず気持ち悪い。でもそのすぐ後ろには次のツルが控え、前のツルの屈辱を挽回しようと手を伸ばしている。

このとき新しいツルは前の干からびたツルを下敷きにしていくから、今度は簡単には干からびない。そしてつる草がアスファルト侵攻に成功したエリアから他の植物もその生息範囲を広げるのだ。
つる草はいわば自然界の切込隊長なのだ。
植物が先行すれば、そのあとには当然虫もついてくる。
そういう自然のサイクルは見ていて本当に感心してしまう。

彼らは、植物とはいえ明確な意志を持っているように感じられる。
それはなるべく遠くまで自分たちの生息範囲を広げよう、という揺るぎない意志だ。
よくよく考えてみれば、やはりこの時期から増える虫や毛虫の方がよっぽど走る上では邪魔だし危険なのだが、それらを気持ち悪いとは思っても怖いと思ったことは一度もない。
それは、虫や毛虫が意志を持って動くのは当たり前だしその結果人に迷惑を掛けるのも当たり前、という意識がぼくにあるからだろう。
しかし植物がそうやって直接的に我々を脅かすということはあまりない。
ぼくがつる草を見て恐怖を感じるのは、きっとそれが理由なのだろう。

刈り込みVS植物

河原の草は定期的に刈り込みが実施されている。年に一度は刈っておかないと見通しが悪くなって危険だし、草むらに獣が住み着いたり虫の発生源になったりするからだろう。
ぼくの住む福井県では土木事務所が河川の管理を行っており、年に一度は河原と堤防全体の刈り込みが実施されている。当たり前だけど河原も堤防も川の上流から下流まであるのだから、その範囲は相当なものだ。土木事務所に問い合わせたところ、エリア別に何十社にも分担して委託し、部分部分刈り込みをしていくのだと言う。
だから夏から秋にかけては委託された業者が軽トラックでやってきてはブインブインと草刈機や小型のコンバインのような機械を操って一生懸命刈り込みしている姿を見ることができる。真夏の炎天下もブインブインやっているのを見ると仕事とは言え頭が下がる。そして刈り終わった草を集めて燃やしている風景もなかなか味があって良かったりする。

しかし彼らの地道な努力にも関わらず、刈り込みの一週間後に同じ道を通るともう緑は青々と茂っている。いや、一週間どころか二日後ですらもう息を吹きかえして「うおお刈り込みなんかにゃ負けねえぜ」という草の勢いを感じる。二週間も経つと、一度刈られたという事実を忘れそうになってしまう。それくらいあっさりと元通りになってしまうのだ。

ぼくがいつも考えるのは、この河原の平和な風景も何かがあって刈り込みが実施されなくなったら、おそらく2、3年で全く異質なものになってしまうだろう、ということだ。
ぼくたちはアスファルトや刈り込みで植物の活動を一時的に抑制しているに過ぎない。だけど彼らが本来持っている圧倒的な生命力が落ちたことは、おそらく有史以来一度もない。ただわれわれの方が早く動くことが出来るから、普段はそのことに気が付かないだけだ。

ヒッチコック映画の『鳥』のように、身近な自然も一度バランスが崩れてしまえば黙示録的な脅威になりうるのだろう。
いつの日かわれわれが動くことを辞めてしまったら、あるいはこの地を去ってしまったら、緑はあっという間にその場所を文明以前の世界に戻してしまうだろう。

 …と、まあ暑い中を走っているとついつい極端な方向で物事を考えてしまう。
とにかく、物言わぬつる草の存在は考えれば考えるほどに怖い。
自然の前では謙虚にしているのが一番だ。

マキタ・ユウスケ

『ここから⇒人生の広場』は毎週2回更新です。
バックナンバーはこちらから

第1回『ここから⇒人生の広場
第2回『リップクリーム
第3回『ベンチ
第4回『夕日はどこに沈む?
第5回『灯台を見にいく
第6回『東京で流れるジョビン

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