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ここから⇒人生の広場"東京で流れるジョビン"

東京の街を歩くと、そこかしこで様々な音楽が流れている。場所に応じて、季節に応じて、時間に応じて。そんななかで、きっとあなたもどこかでアントニオ・カルロス・ジョビンの書いた曲を耳にしているはずだ–––
今回は街中で聴くジョビンの音楽について書いてみたいと思います。

BGMとしてのボサノヴァ

店舗などでのBGMとしてよく使われる音楽は、どんな音楽だろう?
J–POP、洋楽、ロック、クラシック、ジャズ、ブルース…
もちろん行き先によって変わる。
ぼくはカフェや本屋やレストラン、あと雑貨屋やレコード屋に行くことが多い。
そういう場所では、大抵ボサノヴァかジャズかクラシックあたりが流れている。
中でも、自分が普段からよく聴いているからかボサノヴァが流れていると思わず何の曲が流れているのか耳を澄ませてしまう–––
ボサノヴァが流れているということ。
それはジョビンの曲が流れているということであり、イパネマの娘が流れているということだ。
それらは全くイコールではないけれど、確率で言えば大体そういうことになる。

大定番、イパネマの娘

イパネマの娘は不思議な曲だ。
ぼくが初めて(それはボサノヴァの代表曲でありビートルズのイエスタデイに次いで世界で最も多くカヴァーされている曲ということになっている)意識して聴いたとき、正直に言ってそれほどピンと来なかった。
こんなに地味で繊細な曲が、どうして世界的な大ヒットになったのだろう?
そう思ったものだ。

しかしそれからもぼくはこの曲を何百回と、様々なバージョンで聴き続けている。
そうして驚くのは、イパネマの娘という曲の持つ圧倒的な擦りへらなさだ。
先ほどビートルズのイエスタデイに次いで、と書いたけれど、
実感としてはイパネマの娘ほどカヴァーされている曲は世界的・歴史的に言っても他にないのではないだろうか?
ボサノヴァのアルバムで定番なのはもちろんだけれど、ちょっとした街中でのコンサートやジャズの生演奏でもイパネマの娘が取り上げられる機会は非常に多い。
どんな楽器で演奏してもいいし、男が歌っても女が歌ってもいい。
もちろんインストでも構わない。
カジュアルでもフォーマルでもいける、リラックスしたムード。
自然さ。そしてさりげなさ。
そうした感覚はイパネマの娘だけではなく、ボサノヴァ全般に通じる感覚だ。
それは場の雰囲気を壊さない、謙虚な音楽だと言ってもいいかもしれない。
ボサノヴァがBGMとしてもよく使われるのは、
そうした音楽的特徴がその目的と合致するからだろう。

はたしてこの状況を、ジョビンは喜んだだろうか?

だから外でジョビンの曲を見つけるのは悪くない気分だ。
隠されたメッセージを見つけたような気持ちになる。
それにまだわからないことも多いけれど、
さっと曲名まで頭に浮かぶようになるとなかなかに嬉しい。
それがボサノヴァでジョビンの曲だということはわかっても、
曲名までわかるようになるには結構時間が掛かるのだ。

だけどその一方で、東京のような大都会の中でジョビンの音楽が消費されているのを見るにつけちょっと複雑な想いを抱くこともある。
というのも、ジョビンは自然主義的な人物だったからだ。
森を散歩して、鳥の姿や鳴き声を観察してそこから曲想を得る。
まるでベートーヴェンやブラームスといったクラシックの作曲家がやっていたようなスタイル。
それを現代に継承していたのがジョビンなのである。


そんな彼が書いた繊細でやさしい音楽が、都会の情報過多で神経過敏になっている部分を緩和されるために使われるのは、ある意味では非常に合理的だと言えるけれども、どこか正しくないことのようにもぼくには思える。

「はたしてこの状況を、ジョビンは喜んだだろうか?」
そう自分に問いかけてみる。
だけどぼくは、別にその答えを知りたいとは思っていない。
それにそうした状況を鑑みて悲観しているという程でもない。
ボサノヴァは、本国ブラジルを含め世界に忘れ去られた音楽だと言われる。
それが日本では普段から耳にすることができる音楽として定着している。
あなたもどこかで、きっとしらずしらず耳にしているように。
ご存知の方もいるかもしれないけれど、一部の日本人は、ともすればブラジル人以上にブラジルの音楽を愛好しているのだ。
そういう都市は世界中探しても他にはないのかもしれない。
そう考えるとジョビンだって、異国の地で自分の死後もこれほど自作が愛されていると知って、喜んでくれるかもしれない。

「はたしてこの状況を、ジョビンは喜んだだろうか?」
という仮定の質問。
それは例えば、

ぼくたちはジョビンのように、
もっと世の中の違うところに目線を向けるべきなのではないだろうか?
たまには社会の歯車から抜け出して、
自然のなかに身を置いてみるべきなのではないだろうか?

そういう新しい問いかけを運んでくることもある。
だから、自分の中でジョビンにそう問いかけることには意味がある。
ぼくにとってはとても意味がある。
そう思うだけだ。

マキタ・ユウスケ

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第1回『ここから⇒人生の広場』
第2回『リップクリーム』
第3回『ベンチ』
第4回『夕日はどこに沈む?』
第5回『灯台を見にいく』

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