見出し画像

それなら私も更年期を語る18

そういえば...という次元ではなく海外へいけなくなったこのご時世。

3ヶ月に一度行っていた生活が一転すれば、更年期にも気分も塞ぎがちになって当然。ということにしよう。

私が小学生の頃、父が言っていた言葉を思い出す。

「君が20、いや30過ぎた頃かもしれない。周辺隣国の時代がやってくる。中国語、韓国語は取得しておくのも、いいのでは」と。

英語は既に何故かその当時フランス人のミレーヌ先生の教室へ通っていた。

まさか中国語や韓国語とはまったく考えていなかったが幼少の頃から習得可能な環境にいたことに今ごろ感謝をしつつ...

その後の私は日本より海外で過ごす時間が増えた。

当時、先輩の伊佐山さんが更年期で苦しんでいたことを思い出す。

その頃の私は30歳。

なぜこんなに苦しんでいるのだろう?と思っていた。

外見ではわからない更年期鬱の症状だったことを今では理解できる。

「あなたにはまだ理解できないことだけど女性であれば必ずではないけれど、こういう時が来るから。迷惑かけてごめんね」と。

当時の私は「伊佐山さん...仕事の疲労が蓄積されて鬱病...」と思い込んでいた。

私は「伊佐山さん、早く元気になろうとか思わないで下さいね。その日、その時の伊坂山さんの状況に合わせましょう」と言っていたらしい。

先週、更年期になったと伊佐山先輩に電話した。

するとそんな話に。

「あなたもこれで立派な女性に仲間入りしたってことね」

「あの当時、私に言っていた言葉をあなたに今そっくり返すわね」

と一言。

相当ご自身を責めて更年期鬱に悩まされていたという。

しかし当時の私はまだ30歳。

30歳の後輩にそのような言葉をかけられても少しは和らいでも経験していない理解もしていない。

そんな人の言葉をどう受け取っていいかわからなかったというのが今になっての回答であった。

確かに。

症状も人それぞれであり、環境もひとそれぞれである。

「経験に勝るものなし」と実感した日でもあった。

今はネットで色々検索ができ、私のように何か希望の光を見つけられる者もいる。

ネットだけではない。

誰かの一言、雑誌のコラムの一言。

それを探す余裕もない人もいる。

更年期とは恐ろしいと感じる人もいる。

とにかく様々だ。

毎回同じようなことをここに書いているが今はそれでいい。

何かを発信したいのではなく、何かに苦しんでいる人が一人でも救われたらと本当に思う。

ただの綺麗事ではあるが苦痛は苦痛なのだ。