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制作日記:「季節を偲ぶ」

嫌いな季節

夏が嫌いである。
暑いし湿度が高いし町中の臭いが際立つし、理性が揺らぎそうな暑さ。
それに、ひととの別れが多い季節で気分が重くなる。
偶然にも、母と父が夏に旅立っている。

母は、夕刻の日差しの中で息を引き取り
父は、夏本番の月初めに突然逝ってしまった

母の時は、もういないのに蜃気楼のように私の前を歩いている母を見ることがあった。それは、後悔は思慕か良く分からない。
もう十年以上たっているのに、昨日ように旅立つ数ヵ月前の二人旅を思いだしては母の手を引いて歩いた情景が浮かび上がる。
なので、あまり都心には夏場は行きたくはない。

父は突然だったので後悔なのか、介護の数年を思い出してはタラレバを繰り返す。具合が悪くなりだしたのも夏場であったし、私自身の精神力が破綻したのも確か夏ではないかと思う。

そして、今年は秋も嫌いになりそうだ。
苦しいときに精神的な支えになったアーティストが突然逝ってしまった。
未だ曲が聴けないほどに、いなくなってしまったことが精神的に辛すぎるのではないかとも思う。

このままでは四季の内の夏と秋が嫌いな季節になってしまう。

今は若い時とは違い精神が衰弱するほど後悔はしない。
しかし、思い出して泣くことは多々ある。
それが、年を取ったことになるのか?

日本の四季が好きなので、嫌いなままではいたくないなと思う。

秋の空

季節を偲ぶ事にした

「偲ぶ」過去や遠くの人、そして場所を恋い慕う。

秋に旅立ってしまったアーティストで好きな歌は「小さな森の人」という、バンドクレジットではない他のアーティストのアルバムに参加した時に録音された楽曲である。
すれ違う妖精と野獣の悲劇の歌詞だが、歌声が切なく綺麗でいまでもiPadにいれて聴いているぐらいだ。
バンドのアルバムでは「樹海」という森の中に深く堕ちていく精神的に苦しい・・しかし、切ない世界観を残されている。

実は、悲報を聴いてから制作に手が付けられない日々を過ごしていた。
ほんの数日かも知れないが、過去に一度描けなくなった自分としては不安に陥るほどの期間だった。

「季節を偲ぶ」描き出し

制作は私にとって、日記のようなもので「作ること」「描く事」は自身の頭の中を整理する一番よい方法。

このままではいけないと危機感はあった。
それと同時に、描けなくなるきっかけが好きなアーティストの悲報である事が・・いままで制作や心の支えになってくれたそのアーティストに対して失礼だという思いもあった。

なので、実際として曲は掛けられないけれども記憶の中の楽曲を頭に流して制作することにした。


いつか悲しみは消えないけれど、思い出になればいい

悲しい別れの中には、癒えないものもあると思う
今現在、私にとって両親の事だ。
母は十年以上まえに他界したが、他界した情景と共に思いだす言葉がある。それは、制作を再開するきっかけにもなり今現在の支えにもなっている。
その言葉を思い出すと人前でも泣きそうになる。
泣いてはいけないと思うけれども、その泣いてしまう行為の意味は不思議と「後悔」でも「悲しみ」でもなくきっかけの様に涙が出るのである。

悲しいことは忘れたほうがいいと言われたことがある。
しかし、無理に忘れなくても良いのではないかとも思う。

悲しむという事は、その人をとても大切に思っていたことを象徴するのではないかと考える。
ここに「後悔」など自分を責めるワードを入れると良くない事柄になってしまうと思い返す。自分を責めるという事は、自分の実力を過大評価していることがまれにある。
母の事を後悔して精神が衰弱し「絵が描けなくなった」数年間。
父の事を後悔し自宅介護が続けられなくなった自分を責め続け、泣き続け体を壊した数ヶ月がある。

「その当時の自分には、その判断が精一杯だった」

それ以上を自分に求めないことで「後悔」の淵から少し抜け出して今がある。
悲しむことは、残された者の思い次第で良いものにも悪いものにもなる。

ただ安らかにあれと、思う事にする
自分違う人生を、生ききってその人たちは旅立った
尊敬こそすれ、後悔はあってはならない

しかしね、言葉にするのは簡単なのだけれど感情はまだ幼い。
理性ではわかってはいるけれど、感覚的には泣いてしまうほど悲しみには弱い。
なので、「季節を偲ぶ」絵を描いた。
悲しいけれど、良い思い出になるように・・

2023年11月8日

脳内で「小さな森の人」を再生中だと思う
完成11月某日

制作日記掲載

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