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鴉と自分~「幻想の扉」作品と詩画集を振り返って~

こんばんは、卯月螢です。
自分の感覚と向き合いながら、絵や詩や文章を制作しています。

銀座ギャラリーステージワンで開催中の「幻想の扉」本日で四日目です。
今回は作品の搬入後に展示のタイトルから着想を得た短い詩画集
「幻想の扉~鴉の夢路」を掲載しました。

読んでいただいてご反応いただいてありがとうございます。
前回単体で出した「fragile」とは少し違った文章になっていたのではないのでしょうか?

今週の火曜日に少しですがギャラリーで在廊をしたのですが、ご一緒した作家さんと「何か人生の転機になるような出来事があったとき、制作するものも変わるのか?」という話になりました。
私事、介護現場にいた時の経験や知識など在宅介護では一切役に立たたないという挫折をしてそのままもう会えなくなってしまいました。
しかし、親の残してくれた言葉だったり使っていた遺品の整理とか過ごしてきた時間を振り返ると数十年こだわっていた事が馬鹿げていたように感じたり・・凝り固まった価値観にひびが入り違う何かが見えてきた。
そういう体感を変化と呼ぶなら変わったような気がします。
現在出展している作品でいうと
「魂の花束」という作品は一年前と今年では表情が違っていると考察します。昔だったら目が蝶で塞がれていたさろうし、唇の表情もだいぶ歪んでいたようにも思います。

「魂の花束」2023年
180×140㎜


ほんの微かなことですが、何かを表現する事において微かなことが重要だったりします。
「変化」を起こせばすべて生まれ変わるのか?
そうではないと今は思います。

自分が「変化」したと思うには「変化する前の自分」という比べる対象が必要です。それは人に言われるものでも、照らし合わせる教科書もない感覚的なものですが、「変化する前の自分が消えたわけではない」のですね。

・・実はさっきほんの数分前に気が付いたことなのですが・・
「幻想の扉~鴉の夢路~」を読み返して、ぽつぽつと昔の自分が顔を出している下りがそこかしこにあり・・嗚呼。居なくなってないのだな・・と実感したばかりです。
自分があまり好きではなかったし、他人を羨むばかりだし、憎んでいたこともあるし・・「居るな・・」と居るから詩や文章が書けるのだなと気づきました。
これが制作をしない人生を生きていたら、「変化」した時点で昔の自分はいなくなるのかといえば、そんな人生を歩んだことがないので何とも言えませんが・・・、今から制作していくものの輪郭を際立たせるために存在するのかもしれないと思うにとどまります。

「鴉」2022年/150×100㎜
制作当時は昔から使っているキャラクターという認識でしたが、
気付いた後では自分でも見え方が違います

最後に「鴉」という作品があります。
これは詩画集でもストリーテラーとして存在するものなのですが、昔の私とこれからの私を暗示しているような存在だと気づきました。
堕天した天の使いの鴉が、世を彷徨う。
傍観者としとて、けして主人公にはならない存在。
自身も他人の事を察することができても、その人の人生に関わることはできず・・且つ、自身の事がわからず悩んで生きている。
「傍観者」であり「放浪の者」
そう思うとなかなか愛着がわきますね。
「変化」した今、どんなことを感じ制作して生きていくか少し楽しみな気さえします。

今回の展示でほぼ今年の展示参加は終了すると思うので、よろしければ詩画集ともども原画もご覧いただけると嬉しいです。

残すところ2日間
最終日は16:00終了です。
東京メトロ有楽町線新富町駅1番出口から徒歩二分
銀座ギャラリーステージワン
東京都中央区銀座1-28-15鈴木ビル1階

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