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【読書メモ】『乱読のセレンディピティ』(著:外山滋比古)

不思議と昔から読書は好きでした。初めて買ってもらった「本」は小学生1年の時に誕生日プレゼントで貰った『ドラえもん』の第1巻だったような、今でも手元に置いてあります。といっても、小学生くらいだとそうそう大量の本を手元における余裕もなく、通学路の途中にあったそこそこの規模の図書館に通っていた覚えがあります(寄り道は許されてなかったので、帰宅してからです、たぶん)。

今でもうろ覚えながらも、『オズの魔法使い』や『サザエさん』、『ズッコケ三人組』、『シャーロック・ホームズ』、『エターナル・チャンピオン』、『宇宙皇子』、『銀河英雄伝説』、『魔界都市』、『吸血鬼ハンターD』など、比較的冊数が多いシリーズを手に取っていたかなぁ、と思い出してみたりも。

中学生、高校生になって少し資金面(小遣い)に余裕が出てくると、雑誌(ジャンプ派でした)以外の漫画(コミックス)を買うことも増えていったのかな、といっても大概が古本屋調達でしたが。一方で小説やノンフィクションを買うことが少なかったのはおそらく、図書館で手に取ることができていたからかな、と今更ながらに。

当時の地元図書館で一度に借りれるのは5冊で、期間は2週間くらいだったかな。その2週間との制限もあったからか、読むスペースは結構早かったような覚えがあります。それでも一冊に1時間くらいはかけていたとは思うのですが、まぁ、今から思い返すと流し読みに近かったかなぁ、と、うろ覚えです。

そういえば今はどの位借りれるのかと検索してみたら、2週間は変わらずに10冊まで借りれるようです(Google先生便利)。今住んでいる所は30冊(2週間)まで借りれるのですが、30冊は結構多いなぁ、さすがに2週間で30冊はさすがに読み切れる自信はないな、、閑話休題。

さて当時、親からは早く読めばよいってものじゃないなんて揶揄されたことも覚えていますが、今でも(老眼がきつくなった以外では)文章を読むこと自体が苦にならないのは、この時にいわゆる「乱読」してたおかげかなぁ、なんて『乱読のセレンディピティ』の背表紙を見ながら。『思考の整理学』の外山さんによる、題名通りに「乱読」を軸にした読書のススメな一冊となります。

風のごとく、さわやかに読んでこそ、本はおもしろい意味をうち明ける。
本は風のごとく読むのがよい。

出典:『乱読のセレンディピティ』

熟読はもちろん大事ですがそれが全てではない、むしろ熟読では気づけないこともあるとは、雑食かつ粗読が多い身としてなかなかに興味深い内容でした。そしてさらに興味深かったのは、次の点。

二十五年でさえ、同時代批評はのり越えることができないのである。
近いということは、ものごとを正しく見定めるには不都合なのである。

出典:『乱読のセレンディピティ』

とある時、イギリスの有力書評誌である「タイムズ文芸批評」が二十五年前の誌面を再現したところ、ほとんどの書評が正当性を欠いていたとのことです。近づき過ぎても客観的な見方をするのが難しくなるのかな、と。逆に、これを乗り越えられるものは「古典」と呼ばれるようになるのでしょうか。

作品そのものを作るのは作家であるが、その価値、歴史的評価が決まるのは、作品、作者から三十年以上たったときからである。

出典:『乱読のセレンディピティ』

意外と「歴史的事象」ともつながるなぁ、、と。いい意味で突き放して判断できるようになるには三十年くらい後の方がいいとは、なるほどと肚落ちした見方でした。

セレンディピティ(serendipity)思いがけないことを発見する能力、特に科学分野で失敗が思わぬ大発見につながった時に使われる。

出典:『乱読のセレンディピティ』

一世代(約三十年?)くらい前の書籍を読み返してみる事で、何某かの「発見、気づき」があるのでしょうか。確かに、思いがけない事との出会いはある意味で失敗とのバーターだしなぁ、、なんて感じた一冊でもあります。


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