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百聞は一見に如かず、でしょうか。

今や時はネット時代。ネットで検索すれば、自室にいながら無数の情報が手に入る。ジャーナリストやライターを名乗る者でも、現場にほとんど出ることなく、ネット検索によって記事を書いたりする事例が増えていると聞く。そんな「検索ジャーナリズム」には警鐘を鳴らしたい。

出典:「<正論>机上の「戦後教育」と異なる現場」(『産経新聞』2024年2月7日)

早坂さんとのお名前に聞き覚えが?と思ったら、『世界の日本人ジョーク集』の著者さんでした。こちらで取り上げられているのは「エスニックジョーク」、あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、国民性や民族性の特徴を端的にとらえた風刺ネタで笑いを誘うジョークとのこと。でも最近だと「差別」「ポリコレ」とかで一方的に封殺されてしまう懸念も強まってるのかな、、確かに行きすぎると民族差別などにもつながるため、なかなか舵取りが難しい部分があったりも、は理解できます。

ウィットとして受け入れられるかどうかを十分に配慮しながらジョークを披露する。そのあたり、アメリカ人は非常にセンシティブである。

出典:『世界の日本人ジョーク集』

あくまでジョークなので、相手にどう受け取られるのかとの気遣いが大事になります。そういった意味で、ジョークは会話(コミュニケーション)の潤滑油なのかな、と感じさせてくれたりも。逆に、相手が不快になったのを見てから「ジョークだよ、ジョーク」で誤魔化したりするのは、ねぇ。少し前に某極右系全体主義な政治団体の方々が自分の子どもよりも若い女性にコナかけて云々、なんて騒動もありましたが、まぁ、みっともない言い訳だけはしたくないなぁと他山の石デスネ、、閑話休題。

さて、日本人である私としては、日本人がどう見られているのか(生真面目、高い技術力、融通がきかないなど)を覗けたのも楽しかったのですが、諸外国の民族や国民に対するイメージに触れることができたのも非常に面白かったのを覚えています。

そういった意味ではある種、比較文化的な視点を得ることもできるのでしょうか。あくまでステレオタイプですので、それだけで先入観につなげてしまうのは危険でしょうけども。それでも、結構意外な特性が見えたりもして、初版は2006年ですので時事ネタは大分風化していますが、今現在(2024年)にさらっと見返しても、うなずいてしまう部分が多かったです。ちなみに個人的に印象に残っているのは、こちらの「到着時間」について。

ある時、世界的な音楽コンクールが行われた。
開始一時間前にドイツ人と日本人が到着した。
三〇分前、ユダヤ人が到着した。
一〇分前、イギリス人が到着した。
開始時刻ピッタリにアメリカ人が間に合った。
五分遅刻して、フランス人が到着した。
一五分遅刻して、イタリア人が到着した。
三〇分以上経ってから、スペイン人がようやく現れた。
ポルトガル人がいつ来るのかは、誰も知らない。

出典:『世界の日本人ジョーク集』

疲れた頭を柔らかくしたいなぁ、なんて時にパラパラとめくってみたりも楽しそうですし、異文化な方々との会話の引き出しとして持っておくのもよさそうです、なんて風に感じた一冊です。

専門的な取材をすることもなく、浅い知識で相手を論破することなどに汲々(きゅうきゅう)とする者が増え、不正確な情報が垂れ流されている現状にも危惧を覚える。今こそ地道に現場を歩き、地を這(は)うようにして取材する姿勢が肝要ではないか。

出典:「<正論>机上の「戦後教育」と異なる現場」(『産経新聞』2024年2月7日)

なお、早坂さんのジョーク集シリーズは好きで、何冊か本棚に並んでいたりしますが(ヘッダ画像)、スルッと肚落ちするネタが多いのは、地道な取材姿勢で身に着けた体験からくる、現実の迫力が背景にあるからでしょうか、ジャーナリストってのは、やはり取材してなんぼだよなぁ、なんてことも感じました。

そういや某極右系全体主義な政治団体には、裁判所から「取材しないジャーナリスト」のお墨付きをいただいている方もいましたね、、こちらも他山の石としよう、少なくとも「自分なりの根拠を自分の言葉でかみ砕いてから発信する」ようにはしたいところです、、まぁ、自戒も込めて。

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