コンビニの白ワインで乾杯した日
私はお酒が飲めない。そう名乗る。
詳しく言うと、新社会人になって初めての飲み会で、何が理由だか忘れたが「飲み会怖い」と深夜のコンビニで泣いて母親に電話をしてから、飲み会と言うものに抵抗感をもつようになって、お酒も良いものとして捉えられなくなった(ちなみに、母親には鼻で嗤われて電話を切られた。ひどい仕打ちである)。友だちとの席で、でもお酒を受け付けなくなった。とんだ困ったちゃんである。でも、まぁ、健康にはその方がいいよね、なんて思っていた。
いまでは、結婚式や新年の乾杯くらいしか口をつけない。それはお酒というものではなくて、お酒を媒介にした何かしらに敬意を示すためである。まぁ、そういう事にしないと受け付けなくなるくらい、お酒と私には距離感があるのである。
だがしかし、旧き善き時代の気質がある組織に所属している以上、飲み会を全て避けきることはできない。沢山のお酒を飲めないことへのお説教を頂いた。その度に、お酒への苦い思いが積もる。飲んでるふり、も上達した。飲めないのに、飲み会の幹事をしまくったこともある。親しくなりたいな、と思う人がお酒好きと知ると、半ば仲良くなることを諦めてしまうこともある。飲みニケーションの力の強さを私は知っている。ああ、いやや。
私とお酒の関係性はこんな感じなのである。
そして、この春から。申し訳ないが、私は少し安堵している。飲み会が、激減したから。そういう意味では、未知の病原体に感謝をしている(もちろん、それ以外の弊害にはしょんぼりへにょん、としている)。
話は変わるが、還暦過ぎの父親が人生で初のひとり暮しをしている。なんのことはなく、転勤に母親がついていくことを拒否したためだ。孫の世話は、大抵のことに勝利する。
私はこの父親に若干の苦手意識をもっているが、ひとり暮し談義をする点については同士として、共感を深めることができた(わが家のひとり暮し経験者は少ない)。
この夏、運よく逢った父親が上手い、といって白ワインを進めてきた。父親は、私の飲み会恐怖症を知らない。そして、娘と飲む、という父親のロマンから進められた杯をお断りする術を私はもたない。
ワインだなんて。
そう思いながらも、口をつけると、以外と飲めてしまった。
小さなグラスに一杯だけ。
初めてのひとり暮し談義(しかも親の方)をしながら、父親と、乾杯、なんて。
「最近のコンビニの白ワインはあなどれない」
だそうである。
そして意外や意外。
それからというもの、私はひとり、小さなお猪口に一杯、白ワインを飲むことが至福になってしまった。
なんとなく苦手な父親×なんとなく苦手なお酒×ひとり暮し談義のコラボレーションで、新しい扉が開かれてしまったのである。
全く不可思議な現象である。
開かれた扉から、深夜のコンビニで号泣したあの時の私にそっとエールを送る。
何年かしたら、お酒を美味しい、と思う時がくるよ。がんばれ。
なんて。
今日、貴方に起こるささやかだけど不可思議な世界を祝福して。乾杯。
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