『探偵と助手の事件簿~街の通り魔と消えた教師』第一話

あらすじ


 通り魔事件が起きている街、薪条(まきえだ)市の高校に通う自称探偵とその助手。ある日、高校の教師から受けた相談を契機に同校の教師が一人行方不明になっていることに気付く。
通り魔を殺したと言う教師と突然に姿を消した別の教師。簡単に解決できるはずだった事件の謎は、見つからない遺体によって深まり、絡まっていく。
二人は真相に辿り着けるか。啓志(けいし)の探偵としての成長を描く長編ミステリー。


『第一話』

 丑三つ時を少し過ぎた駅前の大通り。酒を飲んでふらふらと歩いている女性が一人。週末ということもあってこの時間でも歩いている人はちらほら見える。しかし、それは大通りだからこそ。
 一つ二つと角を曲がれば、街は表情を変えてしまう。女性が歩く道も例に漏れず、人通りも灯りも少ない路地になった。

「ちょっとだけ、飲み過ぎたかしら……」

 そう呟いて自販機で水を買おうと鞄の中に手を突っ込んだ時、背中に違和感を覚えた。熱を感じる背中に恐る恐る手を伸ばすと、異常に濡れた感触に目を白黒させる。
 そして手に付着した自身から流れる液体を見て彼女は声もなく倒れ込んだ。脇を通り過ぎていく人の姿を見て助けを求めようとするが、やはりうまく声が出せない。
 遠ざかっていく意識の中で、誰かの押し殺したような嗤い声だけが耳に纏わりついていた。

 それから三ヶ月経つが、未だに意識は戻っていないらしい。この事件を初めとして、これまでに六件の連続通り魔事件が発生していた。
 警察も当然懸命な捜査を続けていたが、いかんせん証拠品が少ない上に目撃情報も上がってこない。証拠品も前歴者にヒットせず。正直、手詰まり状態だった。
 「これだけ事件が起きても、深夜に一人でふらつく人が絶えないことに呆れた」というようなコメントをしたコメンテーターが炎上して、情報番組を降板したりもしたが、事件が起きて以来の目立った進展というのはそれくらいなものだ。
 今日も何処かで事件が起きるのではないか。声なき声が街に伝播し、夜に出歩く人も少なくなっていた。そんなある夜。
 街に現れた通り魔は、また或る人の人生に影を落とした。

◆◆◆◆

 県立薪条南(まきえだみなみ)高校は、県内有数の進学校でありながら工業科も備えているという特色をもっている。そんな学校の進学科の校舎の四階。エレベーターから降りてすぐ目の前の両開きの木製の重厚な扉の横に、『若竹探偵事務所』と大胆に筆で書かれたベニヤ板が立て掛けられている。
 学校の関係者は基本的に見て見ぬ振りをする、その部屋のドアをノックする一人の少女がいた。生憎の悪天候ということもあり、授業を終えた校舎内は静けさを保っている。数ヵ月前から近隣を騒がせている連続通り魔事件の喧騒など全く感じさせない。
 事件は決まって夜に起きていたからだろう。それがまるで別の街の出来事。或いは起きてもいない作り話であるかのように、いつも通りに時が進んでいた。

「失礼します」

 返事を待たずに向かって左のドアを開けた少女は、その音に反応した部屋の住人にそう言って右手に提げていた鞄を部屋の右隅にある古びた木製の椅子の上に置いた。住人は読んでいた本に栞を挟んで、それを右側にある机の上から二段目にある鍵付きの引き出しにしまった。鋭い目尻とは対照的な穏やかな口調で答える。

「おや、遅かったですね」
「ごめんなさい。今日は日直だったもので」

 申し訳無さそうに話す彼女に、ふふっ、と笑ってみせる。窓に打ちつける雨のせいかその声は微笑の対象には聞こえなかったようだが、少し上がった口角に、少女はムスッとした表情になった。

「もうっ! ……ほら、お詫びの珈琲牛乳です」

 がに股気味に自身の鞄に近づくと、チャックを開けてすぐの所に収められていた紙パックの珈琲牛乳が顔を出した。短髪の住人は投げるようにして好物を渡す彼女の顔を一瞥し、会釈をして添付されているストローを挿す。一口含んで机に置くと、彼女の顔を見ずに口を開いた。

「なんというか、気分を害したのなら謝ります」「そういう謝り方なら開き直られた方がまだマシですよ」
「んー、そうですか」

 難しいなぁと呟きながら頬を搔く少年に、少女は溜め息混じりにボソッと呟く。

「……それより、先輩が本を読んでおられたということは、今日も、依頼はないんですね」
「そんなことはありませんよ。学年主任の真下先生から飼い猫の捜索を頼まれました」

 嫌みったらしく、も、を強調した言葉を放った彼女の思惑は功を奏さず。したり顔で依頼書と印字しているB5サイズの紙を右手の人差し指と親指で摘むようにぶら提げた。とはいえ言い返された彼女の方も特に悔しがることはなく、あぁ、と言って頷いた。

「ミーちゃん、また脱走したんですね」
「まぁまぁそう言わず。月1のお得意さまですよ」

 どうやらこの二人。本人のいない所で学年主任の管理能力を疑問視しているらしい。毎月の恒例行事のようになっている現状に、仕事を与えられている喜び以上に手間を感じているのだろう。
 そんなに頻繁に脱走するなら完全に室内飼いにしてしまってはどうかと何度か提案したが、絵に描いたような暖簾に腕押し、糠に釘であった経験が、彼らをある意味諦めさせていた。

「いやぁ、もっと大きな事件が起きないものでしょうか。校内で起きたらすぐに対応できるのですが」
「平然と嫌なことを言いますね。通り魔の話題は当然ご存知ですよね」
「いや、これは失敬。もう少し考えてから口にするべきでした」

 連日報道されている通り魔事件。報道を通して犯人のものと思われる遺留品があるらしいことは伝えられていたが、警察はまだまだ確証に近づけていないらしい。そんな状況での軽率な発言を咎められて視線を伏せた彼、若竹啓志(わかたけ けいし)は机の上に置いていた好物を持って口に運ぼうとしたが、その手は途中で止まる。無意識のうちに余計な力が入ったのだろうか、珈琲牛乳がストロー挿入口の脇から漏れ出てしまった。

「ちょっと、どうしたんです……か」

 彼にしては珍しい間抜けなミスに、彼女は制服のポケットから取り出した淡い青色のハンカチを手渡そうとする。が、全く気づかない様子に異変を感じたのだろう。窓の外を見ている彼の視線をなぞる。

「人! ですか!?」

 彼女は思わず声を上げた。雨、放課後、屋上、そして独りでいること。嫌な予感を持ってもおかしくない条件がこれでもかと並べられていた。

「行きますよ!」
「え、あ……はい!」

 容器から内容物が幾許か脱走した珈琲牛乳を自分の机に置き、さらに被害を拡大させながら脱兎の如く事務所を飛び出した彼に一瞬間呆気にとられた彼女、高宮夕姫(たかみや ゆうき)だったが、すぐに後を走り始めた。
 修復工事を終えたばかりの渡り廊下を駆け抜けると、一段抜かしで階段を駆け上がる。冗談を言っていた先程までの表情とは違う所謂探偵らしい彼がそこにいた。
 一階分の階段をあがると、そこに普段は二重の施錠がなされている屋上へと続く扉が姿を見せる。しかし、今は錠が外れて床に落ちていた。先ほどの人の姿は、やはり見間違えではなかったようだ。啓志は固唾を飲んで扉を見据える。
 まだ助手の彼女は到着していなかったが、躊躇(ちゅうちょ)することなく蹴破(けやぶ)る勢いで扉を開けた。

「……佐藤先生!」

 佐藤という名の国語科担当の女性教師。マイペースでいつも微笑んでいるイメージが強く、密かに憧れている生徒も多いらしい。そんな彼女の、普段からは想像もつかない姿がそこにあった。肩まである黒髪も、いつも着ているパンツスーツもびっしょり濡れている。遅れて到着した少女は、肩で息をしながら二人の会話を見守ることにしたようで、屋上の人物の正体に目を丸くしながらも声を出さずにたたずんでいた。

「若竹くんに、高宮さんも……。私、私どうしたら……」

 困り果てた表情で話す佐藤の姿に狼狽(ろうばい)しながらも、啓志は彼女を落ち着かせることに努め、そっと近づいて肩に手を掛ける。それから、ひとまず屋内に行くことを勧めた。啓志の行動にどれ程の効果があったのかはわからないが、何度か深呼吸をしてから佐藤は立ち上がってくれた。

◆◆◆◆

「どうしよう。私……」

 佐藤は大人しく屋内に戻ってはくれたが、相変わらずの不安感をどこへぶつけるべきか。悩んでいるようだった。
 最悪の結果を避けられた安堵から少し気持ちに余裕が出たのか、その様子を見て、勿体をつけたようなわざとらしい咳払いをする啓志。走ったときに乱れた服と髪を整えてからこう言った。

「私でよろしければ、うかがいますよ」

 何とも古くさいベタな台詞だが本人としては会心の出来だったらしく、自分で何度か小さくうなずいている。そんな啓志の言葉を俯いて聞いていた佐藤は、申し訳無さそうに二人の表情を見た。次に出す言葉でも考えているのだろうか。

「……じゃあ、相談というか。聞いてくれるかしら」
「ええ、お願いします。何かあったんでしょう?」

 自称探偵の高校生に相談するようなことだ。聞いてもらったら案外すっきりして、自分を削られるように感じていた大きな問題が、実は蹴り飛ばせるほど小さなものだと気づくことだってあるし、問題自体がなくならなくても見方一つで日々の笑顔を取り戻せることだってある。事実は変えられなくとも、その事実をどのように受け取るかは自分の選択する権利だ。手放すのは勿体無い。
 事実、啓志の探偵業の中で悩みを聞くというのは割と多い分類の仕事だった。変わり者の視点は意外と喜ばれ、人目を避けて意見を聞きに来る人は猫の捜索より少し低い頻度で、それでも一定数定期的にいた。そういうことで佐藤が話し始める前には慣れた手付きで制服の内ポケットから小さな手帳とボールペンを取り出し、話を聞く準備を整えていた。

「その、実は……昨晩、殺人を……」
「へ?」

 しばらくの沈黙が訪れた。
 それもそうだろう。啓志がいくら相談を受けてきたとはいえ、刑事事件に関して相談されたことなど未だかつてなかった。先生の愚痴がほとんどで、つっこんだところでせいぜい生徒や家庭の悩み程度のこと。ただ、屋上で何かを考えていたことからしてそんな軽い話ではないということに勘付いても良かった気がしなくもない。いや、勘付いてはいたが目を逸らしたかったのかもしれない。
 確かに大きな事件と対峙することは望んでいた。だがそれは、あくまでも想像の世界で巡らせていた無責任な妄想。それが、ごっこ遊びのような甘く単純なものであったことを、彼自身が今まさに感じているだろう。とはいえ、依頼人の前でいつまでも狼狽(うろた)えているわけにはいかない。

「さ、殺人ですか」
「間違いなく、私が……」

 確認のために尋ねようとしていた啓志の言葉を遮るように、意を決した面持ちで頷き肯定する。

「と、とりあえず部室に戻りませんか?」

 いよいよ継ぐ言葉に窮している啓志を見かねて、夕姫が提案した。安堵の表情を浮かべた彼を見てから、視線を佐藤に向ける。

「そうね。ここだとこれ以上は話しにくい、かな」

 佐藤も提案に同意して、三人は歩き始めた。道中の沈黙は必然。佐藤と夕姫を引き連れる形になってはいるが、啓志の心中は穏やかではないだろう。静かに深い息を吐いてこの先のことをぼんやりと考えているようだった。

◆◆◆◆

 部室に戻ると、先ほど噴出させてしまった珈琲牛乳の香りに出迎えられた。頭をかきながら現場に近寄った啓志は、制服の上着の右ポケットから濃紺のハンカチを取り出して拭き始める。

 その間に夕姫は、佐藤が座るためのパイプ椅子を啓志の机の正面に向かうような形でセッティングし、着席を促した。

「えっと、レモンティーで良いですか?」
「えぇ、ありがとう」

 座っている状態で尋ねられた佐藤は答えながら立ち上がろうとしたが、夕姫はそれを手で制してから彼女に背を向ける。気遣いを受け取った佐藤は素直に座って待つことにしたようだ。部室に入ってすぐに渡された純白のタオルで濡れた髪やスーツを丁寧に拭いている。

「先輩も、同じもので良いですか?」
「力を不意に入れてしまっても大丈夫なカップに入っていれば何でも構いませんよ」

 佐藤の分を入れ終えた頃、ようやく拭く作業を終えた若竹は、すっかり茶色が染まったハンカチをぶらぶらさせながら答える。

「ふふ、分かりました」

 自虐的なネタに思わず笑みを浮かべた夕姫は、彼にカップを持って行く時にどこからか取り出した透明なビニール袋も手にしていた。黙って差し出すと、

「ハンカチ、洗ってきますよ」

 と言いながら袋の口をぐいぐいと彼に向け、シャカシャカ音を立てながら詰め寄る。どう答えるべきか思案していた啓志だったが、

「どうせ今日はミーちゃん探しで洗えないんでしょう? たまには助手を使ってください」

 そう言う夕姫の押しに負けて、ハンカチを袋へ入れた。そんな二人のやり取りをずっと見ていた佐藤の視線にようやく気づいた啓志は、わざとらしく咳払いをして両肘を机に乗せて手を交わらせる。机の上には先ほど出したメモ帳とは違う、A4サイズのノートを引き出しから取り出していた。

「さて、では先ほどのことをもう少し詳しくうかがってもよろしいでしょうか?」

 切れ長の目を一層鋭くして佐藤を見る。雰囲気の変化に気づいたであろう佐藤は、組んでいた足を戻し、飲んでいた紅茶を机の上に置いた。

「どこから話せば……えっと。そうね」
「もちろん学校外での事件ですよね? それなら例えば、校門を出たところからとかで良いですよ」

 思い出そうと天井を見上げる佐藤に、啓志は話を繋げてきっかけを与えようとする。それから黒い正方形の一本用ペン立てから白いボールペンを取り、ノックしてペン先を出した。

「そうね……。昨日は残って作らないといけない書類があったから、学校を出たのは二十時くらいだったかしら。最近起きてる事件のこともあるし、昨日は車検で車がなくて自転車で来たんだけど、帰りはタクシーで帰ることにしたの」

 佐藤の言葉を走り書きでメモしていく啓志。何度か頷いてから疑問を口にした。

「そこまでは賢明な判断をされていますね。それで、なんで事件に巻き込まれることになるんですか?」

 啓志の疑問は当然のものだと言えるだろう。時間が遅くなったとはいえタクシーを使ったのなら問題は生じ難いように思える。それに、万が一タクシーの運転手が被害者なのだとすれば、連絡がつかないと今頃は大事になっているはずだが、今のところそのようなニュースは聞いていない。

「う、うん。それがね……。手持ちの関係で少し手前で下ろしてもらって少しだけ歩いたの。その時に後ろから肩を叩かれて……。それから先は曖昧な記憶なんだけど、でも人を刺してしまって、近くの林にまで引きずっていったのは間違いないわ」
「なるほど、そういう事情があったんですね。では、その方の特徴など、覚えておられますか?」

 自身の行動を悔いている様子の佐藤の表情を一瞥して、メモを書きながら話を進めていく。

「そ、そうね。背は私より少し高いくらいだったけれど、でも所謂中肉中背っていうやつかしら。顔は……フードのせいでよく見えなかったわ」

 何一つヒントにならないようなぼやけた回答となったことで申し訳無さそうな表情になる佐藤を、夕姫は心配そうに見ていた。啓志はそんな二人を交互に見てからメモを閉じてゆっくり立ち上がった。

「それなら、今から現場に案内してもらえませんか?」
「え? 今からですか?」

 啓志の申し出に、問い掛けられた本人より早く夕姫が反応する。啓志は、あぁ、と呟きながら左腕に付けている時計に目を向けた。ターコイズブルーのベゼルに白い文字盤のシンプルな時計が指している時刻は十六時二十三分だった。

「大丈夫です。一応、確認したいだけなので」

 夕姫の助手としての活動は彼女の両親の希望により日没までとなっている。彼女が気にしていたのは、そのことだろう。啓志の答えに安堵の表情を浮かべた夕姫は、質問の対象者に改めて目を向けた。

「大事なことなんです。よろしくお願いします」

 なかなか返事をくれない佐藤に、啓志は深々と頭を下げた。現場は早めに確認するに越したことはない。それが彼女の証言通り路上であるならば尚更そう言えるだろう。幸い先ほどまで降っていた雨は止み、灰色の雲の隙間から日差しが顔をのぞかせ始めている。

 ただでさえ雨で流れた可能性のある証拠が、更に飛ばされたり踏みつけられたりしたら、捜査は間違いなく難航する。そうなると、意図せずに真実がねじ曲がってしまう可能性がより高まってしまう。熱心な啓志の姿に佐藤は何度か細かくうなずき、ようやく肯定の答えを返した。
 佐藤の反応に笑みを浮かべた啓志は、待っていましたと言わんばかりにすぐに口を開いた。

「それでは、善は急げです。早速出発しましょう」

 そう言うとノートを鞄に突っ込んでからチャックを閉めることなくそれを持ち、二人の横を通り抜ける。二人が振り返った頃にはドアの左側のノブに手をかけていた。

「えっ、あ。はい!」
「それは良いけど、どうやっていくの?」

 佐藤の質問に、啓志はドアノブを捻りながら、自分が費用を持つからとタクシーで移動する事を提案した。

「でも、あなたはまだ……」
「いや、私も一応親の事務所に所属してますから、経費で落とせます」

 二人は顔を見合わせて微笑み、啓志の後を追って部室を後にした。啓志は既に、スマホを片手に電話を掛けている。どうやら運転手に直通の電話のようで、一言二言個人的な話をしてから学校前に来てもらえるように頼んでいた。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門


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