『探偵と助手の事件簿~街の通り魔と消えた教師』第十話


『おい! 探偵!』

 啓志が考えていると、携帯から宮越の声が聞こえてきた。そういえばまだ通話状態だったと気づいた啓志は、そっと通話終了のボタンを押そうとした。

『今、切ろうとしただろ! わかるぞ! なんとなく!』

 啓志は周りを見回す。当然なのだが監視カメラはない。ここ数日のうちに啓志の行動パターンを洞察できる特殊能力でも備わったのだろうか。宮越を見ていると、人間の可能性というものを感じざるを得ない。

「で、なんですか?」
『おいおい、随分な言い草だな。スピーカーホンにしてくれ。探偵が言えないことをきっちり伝えてやる』
「あ、お断りします」
『ちょっ』

 啓志は通話を切り、中田をまっすぐ見つめる。急に合わされた視線に彼女は一瞬逸してしまうが、啓志が何か大切なことを伝えようとしていること。そして警察の言葉を借りればそれが『言えない』と思うほど深刻な話であることに気づき、もう一度視線を合わせた。

「大変言い難いですし、信じてもらえないと思うのですが……」
「若竹くん、だったかしら。私ね、言われたことはまず信じるようにしているの。特に君のような若い子の言うことはね」
「それは、やっぱり立場上というのが大きいですか?」
「そうね。ここに来る子達はそれなりに心に傷を抱えているのに、ここでも大人に信じられない心の痛みなんて負わせたくないっていうのもあるけれど、やっぱり信じたいじゃない? その方が素敵じゃないの」

 頷く二人を見て中田は、ふふっ、と笑い言葉を続ける。

「それに、あなたも私が話を聞くことができる人だと判断したから、刑事さんではなくて自分の言葉で『それ』を伝えたいと思ったんじゃないの?」

 中田の言葉に、啓志は前のめりだった体を椅子の背凭れに預ける。その勢いで見上げた天井は白く、暖色の丸いLED照明があるだけだった。

「流石です。中田さん探偵に向いてますよ」
「子供の考えてることは何となく、ね。それ以外は全然分からないから探偵は難しいわ」

 啓志の言葉を中田は謙遜して否定した。長年、子供と真剣に向き合ってきた彼女に自分の小手先が通用しないと観念した啓志は、中田の言葉に甘えて今掴んでいる暫定的な事実を伝えることにした。

「実は、松田さんには横領の疑惑がかけられています。二年ほど前のことです」
「えっ……。それって」

 中田の表情が途端に曇る。かつてこの施設にいた彼に犯罪の容疑がかけられている。しかも、恐らくこの施設のために。自分のせいで、教え子が道を踏み外したのだろうか。自分のせいで。一度堕ちた負の感情は、不確定要素が多ければ多いほどに加速し、沈んでいく。

「それでも、私たちはまだ、ご本人にお話を聞いていませんし、証拠もありません。当時の交友関係などがわかる物など、残っていませんか?」「私たちも、松田さんのことを信じたいんです」

 そこを抜け出すために必要な差し伸べられた手に、ふと気づく。中田の思考がこれ以上悪い方向に進むのを、二人の声が止めてくれた。

「そうね。私も信じないと。ありがとう。アルバムがあったと思うから、少し待ってて」

 額に滲んだ汗を手で拭い、中田は立ち上がった。部屋に残された二人は、それぞれに思いを述べる。

「伝えて良かったんでしょうか。宮越さんの言い方よりは、かなりソフトだったのは間違い無いですけど」
「どうでしょう? でも、こうやって協力してくれたのですから、前進はしているんじゃないですか。それに真実なら、いずれ耳に入ることになりますし。これで良かった、ということにしてくれませんか?」

 夕姫が見ると、啓志の手は僅かに震えていた。相手にとっての恩人にかけられた容疑を伝えるのは高校生の彼にとって大変なことだったのだろう。考える間も無く、夕姫は啓志の手を握る。

「そうですね。これで良かったんです。そして、私たちは人の思いに振り回されずに真実に辿り着かないといけません」
「高宮くん……ありがとうございます。もう大丈夫です」

 青いハンカチで汗を拭い、啓志は感謝を口にした。夕姫はまだ不安そうな表情で啓志を見ていたが、彼の言葉を信じることにしたようだ。自身も落ち着くために珈琲を飲んだ。

「……苦い、けど甘い。面白い味ですね」
「アーモンドの香りが甘く感じさせるんでしょうか? 本当にお店を紹介してもらおうかな」
「お待たせしました、一冊しか見当たらなかったけど、これは割と卒業間近の写真だからわかりやすいと思うわ」

 そんな話をしていると、中田が一冊の橙色のアルバムを持って戻ってきた。真ん中辺りのページを開いて啓志に渡す。

「松田さんは……これですね。って、これは……」
「こんなことってあるんですか……」

 渡されたアルバムの写真には、松田と一緒にピースをして映る佐藤の姿があった。

「これって、佐藤さんですよね?」
「あら、そうよ。松田くんとはここにいた時は結構仲良かったわね。お二人も、お知り合いなの?」
「佐藤さんも松田さんと同じで、私たちが通っている学校の先生をしているんです」
「そうなの!? あの二人が同じ学校で? 感慨深いわねぇ」

 夕姫の答えに中田は驚いた様子と同時に働いて生計を立てられていることに安堵しているようだった。言おうと思えば佐藤も今、自身で犯罪を仄めかして警察にいる状態であることを伝えられたのだが、先ほどの松田に関しての報告でかなりダメージを受けた印象があっただけに、これ以上は本当に気絶しかねない。啓志は佐藤のことを言うのを今日のところは止めておいたようだ。

「それで、他に親しくしていた方とか、いませんでしたか?」

 啓志の問いに、中田は少し考え込んだ。その間、珈琲を一口飲んで彼女が記憶を辿るのを待つ。アナログ時計の針の音が何回耳に届いただろうか。中田が何かを思い出したようにアルバムをめくり始めた。

「この子。名前は……」
「これって、三島さんじゃないですか?」
「え……」
「今は警察で働いておられます。別件で一緒に仕事をしているので」
「ひなちゃん、警察になったの……そう……」

 啓志の説明を中田は納得してくれた。深く聞かれると佐藤のことも話さなければならなくなるところだったので、内心ホッとしたはずだ。
 しかし、松田と三島が知り合いだったとなると、これはなかなかややこしいことになってくる。今はそのことを声に出すわけにはいかないが、施設を出たら一番に宮越に連絡を取ることを決めた。

「あの、佐藤さんや三島さんの写真、スマホのカメラで撮っても構いませんか? 本人に事情を聞くのに使いたいのですが」
「えぇ、この写真は同じ年に施設を出た子はみんな持っているものだし、構わないわ」

 許可を得て、スマホにそれぞれの写真を収める。

「そうだ。確認しておきたいんですが、松田さんはお金のやり取りをする中で直接こちらに来たりしましたか?」
「え? えぇ。彼が来た時に施設の存続について相談して、それからはメールとかでやり取りしたわ」
「そう、ですか」

 初めからメールだけのやり取りであれば、匿名を望む誰かが松田を名乗って行動を起こした可能性も考えられたが、やはりこの件に関しては松田が無関係ということはなさそうだ。

「送金された時とか、松田さんは施設について何か言っていましたか?」
「そうね。『子供たちの居場所は絶対に守って欲しい』って、そういうことは言っていたと思うけど……」
「なるほど……。わかりました。また何か思い出したことがあれば、名刺にある連絡先にお願いします。お時間取ってくださりありがとうございました」
「いえいえ。松田くんのこと、よろしくね。信じたいけど、もし、本当に彼が悪いことをしていたら、ちゃんと罪を償うように言ってあげてね。その時は……」
「その時は?」
「いや、なんでもないわ。ごめんなさい」

 珈琲を飲み干して、啓志は立ち上がった。夕姫もそれに倣ってリュックを掴み立ち上がる。

「もし良かったら、また来てね。これまでの探偵としてのお話とか、これからやりたいこととか。子供たちに聞かせてあげて欲しいわ」

 中田の言葉に啓志は頷き、必ず、と約束した。多くの新たな情報を得た二人は、中田に見送られて施設を後にする。見上げた施設。窓から小さな子供が数人顔を出し、こちらに手を振っていた。二人は笑顔で手を振って応え、もと来た道を歩き出す。

「『その時は』って何なんでしょうか?」

 最寄り駅に向かう途中、夕姫はポツリと言った。先ほど啓志が宮越にメールを入れている間もぼーっとしていたが、その間もずっと、帰り際に言っていた中田の言葉の意図を考えていたようだ。

「あぁ、それですか。恐らく……」
「恐らく?」
「施設を閉めるんじゃあないでしょうか。私にはその覚悟ができているように思えました」

 啓志は夕姫を一瞥し、歩き続ける。一方夕姫は、立ち止まって俯いてしまった。振り返った啓志はそんな夕姫を見て駆け足で戻り、しゃがみ込んで目を合わせてフォローする。

「いや、私がそう思ったというだけのことで、本人は松田さんが悪いことをしていたらビンタしてやる! くらいにしか思ってないかもしれませんし?」
「そ、そうなんですかねぇ。でも、もし横領されたお金が施設に使われていたってなると、続けにくいんじゃないですか? やっぱり……」

 やっぱり、の先は夕姫には言えなかった。彼女の言う通り、間違いなく続けにくい状況にはなる。あることないこと書いて儲けようとする記者がいたり、過去の些細な失敗や目についた悪いところを大袈裟にネットに書き込むような一般人もいるだろう。
 もちろん、それはそれで罪に問われる。しかし残念ながら、事実無根の情報を鵜呑みにしてしまう人というのは世の中に一定数存在している。そういう人たちが声をあげることもなく少しずつ距離をとって、そしていつの間にかいなくなるということは大いに考えられる。それでも彼女は、あの施設を続けるのだろうか。それは彼女が慮る子供たちの為になるのだろうか。

「それもこれも、最後まで調べ尽くさないとわかりません。私たちにできるのは、それだけです」

 そう言って啓志は、駅構内の売店に向かった。目的はもちろん帰り道に摂取する夕姫のご飯の調達。後ろを付いてきた夕姫はかごの中に弁当とサンドイッチを入れて飲み物の棚を物色しに行った。かごにもっと重みを感じるはずだと思っていた啓志は振り返り辺りを見回す。

「帰りは、私にも三島さんのこと教えてください。……知らないひと……」
「え、彼女は公安の刑事さんで、宮越さんの相方ですよ」
「それだけですか?」
「……一度泊めてもらいました」

 真顔で詰問してくる夕姫の迫力に押され、自白していく啓志。彼女もこの事件捜査を経て確かに成長しているようだ。啓志にとっては嬉しくもあるが、尋ねられた内容が内容だったので辛くもある誤算だった。啓志の回答に、夕姫はわざとらしく一歩後退りして見せる。

「え、浮気……」
「断じて違います‼︎」
「本当ですか?」

 ここまでを売店内でやってしまうのだから、全く若いというのは恐ろしい。啓志はそのことに気づいたようで、眉をひそめる店員に飲み物を一杯奢って詫びることにした。まだ納得できていない様子の夕姫を引きずるようにして改札を通り、電車を待つ。

「で、事件のことなんですけど。何だか松田先生のことも佐藤先生のことも校長先生のことも、全部繋がっているようで微妙に繋がってないような。そんな気がしてきたんですけど」

 電車に乗った二人。夕姫は先ほどまでの話題をすっかり忘れたようにこれまで調べてきたことの感想を呟くように言う。啓志は急な話題の変化に戸惑いつつも、彼女の思考に一理あるとも思った。

「何か根拠みたいなものはありますか?」
「うーん。何かと言われたら、はっきりは言えないんですけど」

 そう言いながら夕姫は、リュックからノートを取り出し松田から順番に名前を書いていく。青いツナギの男まで書いたところで、互いの関係を振り返り始めた。

「松田先生が海外に逃げるのを手伝うつもりだとしたら、佐藤先生は何もアクションを起こさないほうが良かったですし、今さら校長先生を学校で襲って横領を明らかにする必要のある人物も見当がつきません。佐藤先生と松田先生からしたら、横領が明らかになることだけは避けたかったはずですから、青いツナギの人物と二人が繋がっているとも思えないし……。それに、青いツナギの人物と事務員さんに資料を隠すのを依頼した人物が別人なのか。それとも互いに連携したのかもまだ……」
「なんだか絵に書いたような、ちぐはぐですね。それでも繋がって見える……」

 少なくとも二つの別々の思惑を持った人たちが、今回の事件に関わっている。そう考えると、確かにしっくりくる。そしてその中でも、

「とにかく、佐藤先生の動きは、どう考えてもおかしいですね」

 本人がどういうつもりであんなことをしたのかは分からないが、佐藤の行動は客観的に見て賢明なものとは言えないだろう。松田の家を調べようと啓志が動き出したのは、佐藤が前日に事件について話したからだ。それがなければ松田はもっと悠々と逃げられたし、佐藤が警察に連れていかれる必要もなかった。これが打ち合わせ通りのこととは到底思えない。うーん、と唸りながら、啓志は夕姫の簡易テーブルにあったハムサンドを拝借して一口食べた。

「あっ! 先輩のホイップサンド一つもらいますよ」
「どうぞ。交換ですね」
「食事とデザートの交換でお互い得しましたね」「値段的にはこっちのが高いので微妙なところですが……そうか」

 二人の間ではよくある、何気無い食事の交換。得かどうかの判断をしたことで啓志は何かに気付き、宮越にメールを入れる。先ほど送ったメールの返事は、まだ来ていなかった。
 時は昨日の夕方に遡る。一時間の運転の後にようやく交代してもらった三島の携帯が振動している。発信者は啓一の足取りを追うために依頼していたNシステムを解析していた科捜研の男性職員だった。

『大変お待たせしました。解析が終わりましたのでメールに添付させていただきます。そちらにも一応書いておりますが、車両は若竹啓一氏本人名義で借りているレンタカーでした。恐らくですが、これは単純にご自宅に向かっているように見えますね』
「え⁉︎ そうなんですね。ありがとうございます」
『とは言っても、自宅方面で何もしないとも限りませんし、解析依頼は正しい判断だったと思います。三島さんの熱心さにも心打たれました。こちらこそありがとうございました。また何かありましたら……』
「いやいや、勿体無いお言葉です。はい、それでは……」

 思いがけない結果に少し拍子抜けした感じで首を傾げながら通話を切る。運転している宮越に報告すると、こちらも想像していなかったようで間抜けな声を上げた。

「つまり、我々は……帰宅すれば良いってことか? あ?」
「ダサいからオラつかないでくださいよ」
「ごめん……」

 アナログ人間な宮越でも、科捜研の解析を疑うほどではない。それでも何処にもぶつけようのない不満を吐き出すと、一回り以上若い後輩にダサいと評され、思わず謝罪してしまった。ただ、啓一は家に帰るためにわざわざ公安を撒くようなマネをするのだろうか。
 しかし、メールにある添付画像は運転しているのは啓一にしか見えない。彼が家の方面に向かっているのは、どうやら間違いないようだ。

「とにかく、薪条に戻りましょう。明日には箱の解析や火事場のご遺体に関しても進展があるかもしれません。今はわかっていることをやるしかないですよ」
「それはわかってる。よし、飛ばして帰るぞ」
「ほどほどでお願いしますよ」

 高速道路に乗った乗用車は重低音で唸りながら帰路を進んだ。薪条南署に戻ってきたのは午後八時。副署長のぶら下がり会見なども終わり、静かになってしばらく経ってからのことだった。

「自宅に帰った形跡は、ないですかね」
「昨日あたり、息子の方が荷物をまとめに戻ったはずだから分かりにくいが、この紙切れはきっと人が入ったかどうかがわかるためのものだろう。確認したらどっちが挟んだかは簡単にわかるさ」
「とりあえず、ここは離れましょうか。鉢合わせしたら最悪です」

 ライトで照らしながら玄関に立つ二人。啓志にすぐメールを入れようとする宮越を諌め、若竹探偵事務所を離れる。啓志が紙切れの存在を知らなかったことは、彼が夕姫の部屋から返信したことでわかった。啓志は松田の出た施設に行くと報告があったが、宮越は明日からの動きを決めかねていた。自分達が啓一を見失うきっかけを作った老人を探していた二人には、すでに薪条に戻ってくるように伝えているが、その先のことは話し合っていなかった。

 翌朝まで、啓一が帰ってくる僅かな可能性を考えて交代で張り込んだものの、成果を得ることなく朝を迎えた。三島が近くのコンビニで買ってきた温かい珈琲を勢いよく飲み、宮越は言う。

「これじゃあ、探偵に顔を向けられねぇ。あいつは我々に父親のことを委ねてくれたんだ。かけられた嫌疑を否定するでも肯定するでもなく、自分の持ち場で必死こいて食らいついてる……それに比べて我々は、情けねぇな」
「酔っ払いみたいに泣き言溢してもしょうがないですよ。朝から会議室で話し合いなんですから、しっかりしてください。それに彼らも言ってましたけど、『イトヒク探偵』が簡単に動くわけありません。こちらも慎重に動かないと彼のイトに呑まれますよ」

 イトヒク探偵。彼は公安の内部ではそのように呼ばれていた。自分の手ではなく、前科者や啓一が犯罪をもみ消した人物に自分の意図したことを行わせる。弱みを握られた人は彼の言うことを聞かざるを得なくなってしまい、やむなく手を汚す。ただ、直接的な証拠が残らないので逮捕に踏み切ることができず、今に至るまで追跡することしかできていなかった。
 それでも今までに何度か好機が訪れていた。その機会を散々逃してきているのは、こちらの行動がある一定のところで彼に伝わってしまっているかのように上手く逃げられるからだ。
 そして、実行犯が捕まり知らぬ存ぜぬを貫かれては、警察としても無理に啓一を引っ張ることができない。その繰り返しだった。経路は未だにわかっていないが懸念材料は少ない方が良いということで、今は情報共有を制限し最小限の人数で調べている。これが万全の体制だったのだが。

「見失うのはねぇよな」
「それは、そうですね。たらればですけど」

 二人の乗った車は若竹探偵事務所を離れ、薪条南署に向かう。時刻は午前八時。啓志と夕姫が、新幹線に揺られている頃のことだった。

 会議室には、公安の四人と副署長。宮越と三島は若竹啓一が薪条南に戻ってきていること、そして一度事務所に立ち寄ったらしいということを報告した。石井と藤堂は結局お婆さんを見つけることができず、探しているうちに啓一の居場所についての宮越のメールを確認してこちらに戻ってきたらしい。

「石井くんと藤堂くんは、とんでもないことをしてくれましたね。田舎の旅は楽しかったですか?」

 副署長は表現を変えることなく嫌味たっぷりに二人を叱責し、右手を差し出した。出すものがあるだろう、ということだ。二人は促されるまま辞表を出し、頭を下げた。

「謝罪なんて役に立ちません。今は結果をだしてください。それまでこれを預かっておきます」

 非情なようだが、どこかで誰かが責任をとらなければならない。この決定に異論を唱える者はいなかった。

「副署長。僭越ながら、ここは若竹啓一氏を見つけ出すために増員も視野に入れるべきだと思いますが、如何でしょうか?」
「いや、必要ないでしょう。それに、今は連続通り魔事件の捜査でみんな手一杯なのでね」
「そうですか。わかりました。では引き続き、彼の借りたレンタカーの動きを解析してもらい、足取りを追います」
「そうしてください。そっちの二人はやることがなければ通り魔事件の応援をしてください。足取りが分かり次第、そちらの捜査に戻るということでどうでしょう?」

 提案をあっさり断られた宮越は、憮然とした表情で背凭れに体重を預け、これからの予定を報告してた。三島はそんな宮越の態度を見て副署長と宮越を交互に見ているが、副署長は全く気にしていない様子で他の二人に声をかけている。
 石井と藤堂は、どちらにせよやることがはっきりしていなかったからか、副署長の言葉を肯定し、その仕事を取り掛かることになった。

「あ、宮越くんと三島くん」

 会議室を出ようとした宮越と三島を、副署長が呼び止めた。またしても敬礼してかしこまった挨拶をしようとする三島を宮越が留める。副署長は二人の背後に回って肩を叩き、呟いた。

「君たちも、まずは自分の責任を果たしてください。持ち場以外のことにあれこれと手を出すのは、感心しません」
「あの、それはどういう……」
「良いですね?」

 再び肩をポンと叩き、副署長は振り返ることなく去っていった。

「私達がアレを調べていることを知っているのは何でなんでしょうか?」
「誰かが情報を流してるんだな。まぁ、関係ないさ。こちらも草の者を送り込んでいるからな」

 副署長の背中を睨みながら、宮越は言い捨てる。三島は何のことか、よく分かっていないようで首を傾げた。

「草の者? 密売人ですか?」
「そんなわけあるか。草の者は昔で言う忍者。諜報員みたいなものだな」
「なるほど、知らなかったです」

 そう言う三島に対して宮越は、ボロボロのメモ帳と透明なボディーのペンを取り出して文字を書き始めた。そこには、『ハッタリだ』と書かれている。

「そういうことだ」

 ここまでされると三島も察しがついたのか、黙って頷いた。情報を流す者がそれを仕入れる方法の一つは盗聴である。所轄の人間や科捜研や消防署員が情報を流している可能性も無くは無いが、彼らは今までの啓一追跡で関わることがなかった。ということは。

『副署長は、啓一と繋がっている可能性が大きいと思う』

 いつものシルバーの乗用車に乗り込んだ二人。すぐに三島が携帯で何かを打ち込み始めた。

「どうした? 探偵から何か連絡があったか?」
「いえ、科捜研の方をちょっと急かそうと思って」

 言葉を並べながら、三島は送信画面を見せる。そこには、盗聴の疑いがあるので電話では当たり障りのないことを言い、大事なことはメールで書いて送って欲しいという要望が記されていた。宮越はサムズアップしながら、

「急かすなよ。彼らも頑張ってるんだから」

 と言って形式的に咎める声を聞かせる。盗聴が思い過ごしならそれでも良い。ただ、これ以上注意を怠って犯人を逃すことだけはしたくなかった。まだ残っていた冷たくなった珈琲を飲んだ宮越は、シートベルトを締めてエンジンをかける。

「とりあえず、また事務所の近くで見張るか」
「そうしましょうか」

 あくび混じりの返事をする三島に、どうせ何も起きないから寝ておけば良いと言う宮越。彼なりの優しさなのかもしれないが、一言できっぱりと断られた。刑事としてはともかく人として、まだそこまでの信頼は獲得できていないらしい。結局昼過ぎに科捜研から連絡が来るまで、カフェインとクエン酸とブドウ糖をあらゆる形で摂取し、三島は眠気と戦っていた。

「科捜研の黒田です。大変お待たせしました。調査を依頼された黒い箱の中身と、火事現場のご遺体に関して結論が出ましたのでお知らせします。まずは黒い箱の中ですが、中には毛髪と一枚の白紙が入っていました。毛髪は検索にかけましたが前科はなく、何方のものかはわかりませんでした。それで、ご遺体なんですが、こちらも身元はわかりませんでした。行方不明者の中で鑑定できるものをご提出いただけていない方もおりますので、引き続きそれらのものが回収出来次第、調査したいと考えています。あまりお役に立てる情報が出なくてすみません。後程方向内容を改めて画像添付して送りますのでよろしくお願いします」
「あ、はい。ありがとうございました。急かしちゃってすみません。引き続きお願いいたします」
「ハハハ。良いですよ。最近は当たり障りないように依頼する方が多いので、いい意味で刺激になりました。それでは」

 通話を終えてすぐ、携帯にメールが届いた。そこには、『ご遺体には前科がありました。名前は橋本 総司(ハシモト ソウジ)、二十八歳。容疑は当時の同僚に対する殺人未遂。体内から微量ですが睡眠薬も検出されました。恐らく睡眠薬を飲んだ上で火を放ち……ということです。毛髪は電話の通り誰のものかわかりませんでしたが、紙には仕掛けがあってU Vライトを当てると画像の通り文字が浮かんできました。報告は以上です。捜査の進展をお祈り申し上げます』と書かれている。並べられた事実の数々に声を出すのを我慢するために自分の手で口を押さえていた三島だが、画像を開くためにその手を離して携帯を操作した。

『若竹啓一に一杯食わしてやった。罪は償ったのに脅されるのは許せない。これは置き土産だ。良識のある捜査員に見つかることを願う』

 ライトが当てられた紙にはそう書かれていた。この文章が全く信頼できる訳でもないので証拠としては決定的と言えないが、今回の件に若竹啓一が関わっているのはほぼ間違いないと考えて差し支えない状況になった。
 これを遺した誰か、恐らく橋本総司は過去の犯罪のことで脅された上で何かを啓一に強要されたのだろう。問題は一緒に入っていた毛髪である。

「誰のものとも一致しなかったというのは、どういうことなんでしょう」
「どうなんだろうな」

ここで二人は各々のメモに文字を書き出す。

『若竹啓一のものでしょうか?』
『そうかもしれないな』
『なら探偵くんに事務所を開けてもらえば』
『まだこっちには帰ってきてないだろう?☆』

 探偵と助手が県境を二つ跨いだ先にある、松田の過ごした児童養護施設に行っていることをすっかり失念していた三島。宮越も宮越で、煽るためとはいえ『☆』はなかなかのものである。

「待つしかないですね」
「だな」

 探偵事務所に開いている箇所がないか少し探ったり、窓を少し押し引きしてみたり。一見すると不審者のようなことをして、適宜コンビニで食料を調達したりして時間を潰した。そうして数時間経った頃。啓志から送られてきたメールで車内の空気は一変する。

「おい、これはどういうことだ!?」
「……すみません。佐藤さんに会った時に松田さんの話も聞いたのですが、まさかこんな大事になると思わず」
「残念だよ、あと、ごめんな」

 宮越としては、三島と松田が過去に知り合っていたこと。施設で特に親しくしていた数少ない友人の一人だったことを、こんな形で知りたくなかった。まだ出会って僅かな時間しか過ごしていないとはいえ、上司である自分を信頼してもらえなかったことは、宮越自身の失着でもある。

「宮越さんが謝るようなことでは……」
『ここへの着任は誰の指示だ?』

 三島が話しているうちに、再びメモにペンを走らせる。その質問に三島は、『副署長の推薦を署長が承認して配属になったと聞いています』と答えた。宮越は合点がいったようで頷き、エンジンをかけて車を走らせた。

「お前の前任者はな、服務規定違反で飛ばされたんだ。それも、俺の能力が無いから。上司なんて立場向いてないんだよな」
「そんなことは……。私の場合はただ、日数が少なすぎただけで」
「そう言ってくれるな。惨めになるだけだ」

 中途半端な慰めは、宮越の心を救うものになり得ない。自責で物事を考えすぎる傾向は、時に理不尽に自分を痛めつける棘になることを彼も知っていた。それでも、自分を主語にして考えなければいつの間にか消えていく仲間を責めてしまいかねない。仲間は永遠に仲間として見ていたい、彼の想いが彼を守り、傷付けもしていた。

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