『探偵と助手の事件簿~街の通り魔と消えた教師』第十一話(完結)


 その後二人は無言で、薪条南署に戻った。目的を知らされていない三島は『ちょっと待っていてくれ』という宮越のメモに頷き、車に残った。

『公安です。会話が聞かれている可能性があるので、可能な限り無言でお願いします。先日捜索した松田浩司さん宅の遺留品はどちらにありますか?』

 訪れたのは、遺留品を管理している倉庫。出迎えた職員にメモを見せ、案内してもらった。段ボールを三つ持ってきた職員は、宮越のメモを拝借し、『何をお探しですか? お手伝いします』と書いた。
 宮越の返事を見た職員は段ボールの横に書かれた内容物を書いたものから一つの段ボールを選び、他は棚に戻しに行く。彼のおかげで探し物はすぐに見つかり、その中から僅かばかり借りた宮越は、『お礼は後日必ず』と書いて、最敬礼して出て行った。

「よし、また柏野基に行こう。一緒に行ってくれるか?」
「良いんですか? 私なんか」
「何言ってんだ。お前じゃないとダメだろう」

 どちらにせよ、これが最後の事件であるチームとコンビ。乗りかかった船には、最後まで乗せていく。オービスに撮られない程度のいい具合の速度で、柏野基の科捜研に顔を出し、新たな証拠品を渡して箱の中にあった毛髪との照合を頼んだ。研究員は報告の直後に直接現れたことに驚いていたが、照合は任せて欲しいと胸を張った。

「良いやつだな」
「ありがたいですね」

 紅茶を飲んでゆっくり休んでいるときに訪れたにも関わらず、二つ返事で受け入れてくれた研究員に感謝しつつも啓志が帰って来る頃には薪条南に戻っていたい二人は、帰りもかなり急ぎ目に高速道路を進んでいった。
 啓志のニ通目のメールに気付いたのは、薪条南署に戻ってきてからのことだった。しかしながら、宮越と三島は他のことに手を出さないように副署長に釘を刺されている以上、佐藤との接触が難しい。

「あれを使いましょう」

 少し思案した三島がそう言うと、しばらく考えた宮越も同じ答えに辿り着いたようだ。

「いや、『あれ』は言い過ぎだろ」

 三島の言いように笑いながらも、宮越はすぐに石井にメールを入れる。返信はすぐにきた。『任せてほしい』とのことだったので、それは二人に委ねて啓志と夕姫の帰ってくる新幹線の駅の方に車を回すことにする。

「さぁ、二人にもきっちり謝れよ。三島」
「はい。若竹くんはともかく、高宮ちゃんは初めて会うのに……。これは結婚式に呼んでもらえないかも」
「結婚式? 何の話してるんだよ」

 三島は、だってぇ、と小さい声で駄々をこねながら助手席で悶えている。妄想もここまでしっかりしていると評価せざるを得ないかもしれない。それにしても、散々悪く言っていた先輩コンビと同じように、初めて会う相手に謝罪しなければならないとは皮肉なものである。
 駅の改札口。待っているのは宮越だけで、三島は夕姫の為にと駅の近くにある、少し並ばないといけないお店のスイーツを買いに行っていた。彼女の性格を考えると、改札で謝罪を始めかねないと宮越が考えたからだ。十分後に改札に顔を出した二人を宮越は車に案内する。三島には先に車に戻っているとだけメールを入れて自販機の飲み物を人数分買い、駐車場に向かった。

「はじめまして! 高宮様。三島陽凪と申します。とても可愛らしい若竹くんのパートナーだと、お噂はかねがねうかがっております。そして若竹くんも、この度は大変失礼しました。肉親より近い存在とはいえ、犯罪者を庇おうとするのは間違っていました。ご希望であればここで警察を辞めることも全く惜しくないのですが、この事件までは全うさせていただけないでしょうか? よろしくお願いいたしますッ!」

 怒涛の勢い。夕姫に対するやや一方的な愛情と、嵐のような謝罪を浴びせられた二人は、はぁ、としか言えなかった。出会い頭に甘い香りのする箱を渡された夕姫は何も聴かなくても許す気でいたようだが、話を聞く限り生真面目な彼女が大事な何かを隠していたのだから、それなりの理由があったのだろうと考えたこともあるのかもしれない。ともあれ、三島が松田と佐藤との繋がりを認めてくれたことは大きな前進だった。

「そうだ。佐藤先生に関することは?」
「それは同じチームのメンバーに任せた。今は啓一氏に関しての事以外の捜査を許されていないのでな」
「啓一氏って、先輩の?」
「なんだ。まだ話していなかったのか」

 全くもって口の軽い、勝手なおじさんである。啓志は溜め息をついて事実を話し始めた。啓一が公安にマークされていることを初めて知った夕姫は、

「言い難いことって、このことですか? 水くさいですよ……」

 と言って啓志の手を取った。俯いていた啓志は夕姫の目を見る。少し潤んでいるのを見て居た堪れなくなったのか、一瞬逸らしてしまう。

「もう、隠し事はしないでくださいね。それは約束してください」
「はい。約束します」

 逸した視線を合わせ直し、啓志は誓った。その言葉を聞いて笑みを見せた夕姫は、バックミラー越しに二人の様子を眺めていた宮越と三島にも声をかける。

「お二人も、ですよ?」
「約束いたします! 高宮様」
「様ってつけるのやめません? 夕姫で良いですよ」
「……有難きお言葉ッ!」

 いつの間にか夕姫に熱狂的なファンが付いたことに、啓志は微笑みつつも若干ひいていた。恐らく同じほどにはひいていた宮越は、先ほど結婚式に呼ばれないかもしれないと、三島が嘆いていたこともついでに暴露してみせた。

「だって隠し事しないって約束したじゃん。三島は」
「それはそうですけど……」

 抗議した三島だったが、今したばかりの約束を履行しないわけにはいかないと、主張を取り下げる。もちろん、宮越のバラしたそれは、夕姫の言った『隠し事』とは少し意味合いが異なっているかもしれないが。この時、宮越には個人的な話を極力するまいと考えた三人であった。
 高宮家に向かう途中、捜査の核心の部分は車では話せないということを三島がスマホのメモを通して二人に伝えると、夕姫はスマホを拝借して、『我が家でお茶していきませんか?』と書いて返した。三島としては声をあげて喜びたかったが、夕姫が声を出さずに誘ってくれた配慮を無下にするまいと必死に堪えている。
 母親にメールを入れ許可を得たため、高宮家で話し合いの時間を取れることが確定した。もちろん、万全を期すために、入って来るときに誰も声を出せない状況であるということも伝えている。

「お世話になります。急に押し掛けてしまいすみません。私薪条南署の宮越と申します。こちらバディの三島です」
「お義母さん。よろしくお願いいたします」
「いえいえ、刑事さんがお家でお茶する機会なんてなかなかないですから。ごゆっくりしていってくださいね」

 家に上がり、リラックスして話をして欲しいという母親の言葉を聞き入れて夕姫と啓志それぞれの着替えを借りた二人は、リビングで夕姫の母親と話をしていた。三島の『おかあさん』表記が少し違う気もするが、そういうことである。

「夕姫はご迷惑をおかけしていないですか?」「いえ、全く。啓志くん共々大変助かっていますよ。少し門限から遅れたこと、私達から謝ります」

 宮越は、夕姫の門限が日没までだったことを思い出し頭を下げた。それを知らなかった三島も、宮越に合わせて頭を下げる。夕姫の母親は手を横に振りながら答えた。

「いやいや、あの子が無事ならそれで良いんですよ。それに、啓志くんが付いていてくれるなら本当は何時でも良いんです」
「信頼されているんですね」
「えぇ、啓志くんがどう思っているかは分かりませんが、夕姫にとって彼は大事な人ですから」
「……なんの話ししてるの? お母さん?」

 母親がペラペラと自分が想像している娘の心情を語っているのを、風呂に入り着替えを終えた夕姫が満面の笑みで咎める。母親は質問に愛想笑いで応え、この話題は終わることになったが、啓志もシャワーを浴び着替えて戻ってくるまで、四人で雑談を続けることになった。
 啓志が戻ってくるとやはり事件の話はリビングではしにくいということで、今日は啓志の借りている部屋で話を進めることになった。飲み物は後で母親が持ってくるということで、各々が希望する飲み物を告げ、二階に上がる。

「さて、こちらは概ねメールしたので、そちらの進捗を教えていただけませんか?」

 座布団が四枚並んだ殺風景な部屋。借りているとはいえ、あまり荷物を広げていない場所で話し合いは始まった。啓志の言葉に宮越が答える。

「まずは、探偵。君が見つけた柏野基のご遺体だが、身元が分かった。名前は橋本総司、二十八歳。殺人未遂の前科あり。恐らく睡眠薬を飲んだ上で火を放った自殺というのが、科捜研の見立てだ」
「そうですか。自殺でしたか……」
「ただ、これはただの自殺じゃなかったんだ。気にしていた黒い小箱の中には毛髪と加工の施された紙が入っていた。紙にUVライトを向けると文字が浮かび上がる仕掛けだ。三島、見せてやれ」

 宮越が声をかけると、三島は携帯を取り出し画像を開いて見せた。

「父さん……。残念だよ」
「悪いな、探偵。これが証拠と言うつもりはないが、俺たちは君のお父さんをやっぱり追わないといけないらしい」
「いえ、仕事なんですから当たり前です。こちらこそ、父がご迷惑をおかけします」

 疑いが確信に変わった瞬間。宮越は言葉を選びながら事実を伝えていく。啓志は深々と頭を下げ、親族の悪行を謝罪した。

「でもな。今回も、というべきか実際に彼に会った、つまり『一杯食わせた』相手は啓一氏ではないと俺は考えている。そろそろ結果が出るはずだが……。それまでは話の進めようがないな」

 宮越がそう言って伸びをした時、彼のスマホが鳴った。慌てて通話を始めた宮越。声がワントーン上がってしまっていたが、相手の声を聞いてすぐにいつもの声に戻った。

「なんだ。お前か」
『なんだとはなんだ。頼まれごとをきっちり済ませたから連絡してやったのに』
「そうか、それは悪かった。ちょうど依頼主の探偵が目の前にいるんだ。代わるか?」
『そうだな。その方がスムーズに話ができそうだから代わってくれ』

 嫌味っぽく話し相手の変更を求められた宮越は、投げるようにスマホを啓志に渡した。首を傾げる啓志に、

「ほら、佐藤先生の件を聞いてくれた刑事だ」

 と言うと、彼はすぐにスマホを顔に近づける。

「お電話代わりました。若竹探偵事務所の若竹啓志と申します。この度は父がご迷惑をおかけしています。また、無理なお願いを聞いてくださりありがとうございます」
『お、おう。良いんだよ。じゃあ早速頼まれたことなんだが……』

 石井は、啓志が思いの外まともな挨拶をしてきたのでまごつき、逃げるように本題に進んだ。

◆◆◆◆

 石井と啓志の通話から十分後。今度は三島のスマホが鳴った。待ってましたと言わんばかりにワンコールで通話ボタンを押した三島に相手は少し驚いたようだが、咳払いして話し始めた。

『お世話になっております。科捜研の黒田です。先ほど毛髪の照合が終わりました。……お見事です。小箱の中の毛髪は"松田さんの物"でしたよ』
「……! そう、ですか。ありがとうございます」
『メールで改めてご報告を入れますので、ご確認ください。それでは、ご一緒できればまた』

 通話終了の機械音が繰り返し鳴るのを止めることなく、三島はうなだれる。宮越はその様子を見て通話の内容をある程度想像できた。三島の耳元に行って小声で確認し、二人にも告げる。

「箱の中には、松田先生の毛髪があったそうだ。そして、同封の紙には啓一氏に一杯食わせたという文言があった。……これがどういうことか分かるかい? 探偵?」
「松田先生が、父親のフリをして彼に会いに行った。ということでしょうか?」

 啓志は恐る恐る答える。宮越は彼の目を見て、少し笑みを浮かべた。

「俺も、そう思っている。しかも、しかも、だ」
「勿体つけないで早く言ってくださいよ」

 宮越の言い方に、啓志ではなく三島が少しムッとした表情でツッコミを入れる。彼は手のひらを出して彼女を制してから言葉を続けた。

「今、松田は見た目がほとんど啓一と同じになっている。そう思うんだ」
「……整形、っていうことですか? 確かに彼はしばらく仕事を休んでいたようですし、もともと顔の雰囲気は近かったと思いますが、そんなことに何のメリットが?」
「探偵、君ですら父親が公安にマークされていることを知らなかったんだぜ?」
「……あ」

 宮越の荒唐無稽に思える考えも、あの時の違和感を思い出せば合点がいく。現場には夕姫だけいなかったが、火災現場に現れたという啓一の推理として聞いたものは、誰の目から見ても微妙で結論ありきのものだった。

「それであの時の推理がめちゃくちゃだったのね」

 先ほどまでうなだれていたはずの三島だが、あの時一番推理を酷評していた自分の考えの正しさが誇らしかったのか少し嬉しそうに言った。ある程度の筋書きは啓一からもらえていたのだろう。しかし、

「恐らく、現場に出向くことは啓一氏本人に頼まれたんだろう。彼の持っている携帯を調べたらわかることだ。もしかしたら小箱を回収したかったのかもしれない。しかし、それはできなかった」

 松田にとってハプニングは、最悪の形で訪れた。火事にあまりにも早く気づき、勇気をもって火に近づいて初期消火を行う複数の住人たち。それに、何やら見覚えのある制服の子供。彼は天を仰いだはずだ。

「そうか、私達がすでに初期消火をしていたから……。だから何もできなかったのか」
「そういうことだ。そして、細工できなかったということは、青いツナギは彼のものだということでもある。これは校長に彼の顔写真を見せたらはっきりすることだ」

 宮越の推理によって、柏野基での火災に関してはほぼほぼ解決した。『我々に任せて欲しい』と言った事件を無事終わらせることができ、内心胸を撫で下ろしていることだろう。しかし問題はここから。どうやって啓一に扮した松田を捕まえるのか、ということだ。

「三島さん。松田先生の連絡先、知ってますよね?」
「え、えぇ。知ってるけど」

 啓志は三島に訪ね、肯定の返事をもらった。彼女はスマホを取り出し、ディスプレイの文字を確認させてくれた。何かを思いついたようでニヤニヤしている啓志に、夕姫が言う。

「悪いこと考えてます?」
「人聞きの悪いことを言いますね。これは必要なことですよ?」

 お互いに乾いた笑い声を少し上げてから、三島の方を見た。

「彼を心配させることなく呼び出せる場所、どこか知りませんか?」
「そうね。思い出のある公園なら来てくれるかもしれない。みんなでこっちに来た時によく集まっていたの。……でも、若竹啓一に成りすましてるなんて聞いてなかったし、私の言うこと聞いてくれるかしら?」
「きっと、大丈夫です。彼も今頃、思っているような状況じゃなくて困っているはずですから」

 啓志の言葉に、三島はハッとした。確かにそうだ。啓一が公安に追跡されていることを知っているなら、成りすまそうなんて思わないだろう。一度の不正会計に対して、背負うリスクが大きすぎる。

「逆に、もうここまでバレているから素直に自首したほうがいいとか、施設のことなら心配しなくてもいいとか、そういう単純な言葉で想いを伝えるべきなんじゃないですか?」
「……確かにそうね。やってみる」

 啓志の言葉に三島は頷き、文字を打ち始めた。当然、すぐに返事が来ることはなかったが、帰宅した後に返信があり会う約束ができたようだ。宮越は見た目が奇抜すぎて信頼を勝ち取れそうにないという、三島の独断と偏見により一緒に行くのは啓志ということになった。
 すでに調べなければいけないことは済んでいたので、啓志もそれに同意して翌日の朝、薄暗いうちに会いに行くことにした。

「会うのはお久しぶり……ですね」
「すまない、ひなちゃん。こんなことに巻き込んでしまって」
「いえ、いいんです。私は」

 松田の風貌は変化していたが、三島は啓一の顔も知っていたのですぐに声をかけることができた。謝罪する松田に、啓志にも何か言うように目配せをする。松田は被っていたパーカーを取り、頭を下げた。

「若竹啓志くん。本当に申し訳ないことをした。罪から逃れようとするなんて間違っていた。協力して欲しいことがあるって、ひなちゃんから聞いているけど何をしたらいい? なんでもやるよ。いや、やらせてください」
「その言葉が聞けて安心しました。お願いというのはですね……」

 松田は啓志の提案に頭を抱えながらも、やると言った手前覚悟を決めたようだ。決行は今日の午後四時。学校の校長室で、ということになった。

 校長室には、啓志、夕姫、三島、警察から連れてこられた佐藤と校長、副署長、そして最後に啓一の見た目をした松田が入ってきた。松田が来ることは多くの人にとって想定外だったらしく少し騒ついたが、啓志が話し始めるとみんなが一様に静かになる。宮越は万が一の時のためにと、車で待機することになったらしい。ここに姿はなかった。校庭では部活動をしている生徒の声が時々聞こえてくるが、そろそろ終了の時間だろうか。

「さて、ここにいる松田さんは皆さんの悪事を知っています。つまり、犯人を隠そうとした佐藤先生、三島さん。密かに私の父と繋がりを持って捜査を混乱させた副署長。今はここにいませんが、海外に逃亡した若竹啓一。そして事件を起こした上で自殺を強要された高橋さん。不正会計を行った校長と松田さん。松田さんはさらに連続通り魔の容疑もかかっていますね?」
「はい。全てを認めます。申し訳ありませんでした」

 開始一分で一気に進む展開に、大人たちは口を挟みたいと思っているようだがなかなかうまくできない。校長の椅子から立ち上がった啓志は、さらに続ける。

「流れとしてはこうです。松田先生は、自身が過ごしてきた児童養護施設の危機を知り、すぐにまとまったお金を用意したかった。そう思っている時に、ちょうど校長から不正に加担するように圧力を受け、この機会を利用してお金を手に入れてしまいました。しかし、すぐに使うとバレた時にお金の流れがわかってしまう。そうなることを心配した松田先生は、少し時間を置いて、かつ横領したのより少し少ない金額を施設に寄付することにしました。それでも、いつかは償うつもりがあったのでしょう。不正会計の証拠はコピーして保存されていました」
「私に魔が刺したせいでこんなことに……。罪を君に押し付けようともした私は、なんて愚かなんだ」

 松田の事情を知り、校長はその場で崩れ落ちる。松田は、いいんです、と校長に一言かけた。

「このことを相談されましたね? 佐藤先生、三島さん」
「えぇ、だから海外に逃げればいいんじゃないかって。勧めたんだけど。なんで見た目を変えてここにいるのよ」
「私は、直接聞いたわけではないんですけど、事実は知っていましたし、できれば逃げてほしいなんて思っていました」

 佐藤、続いて三島が啓志の言葉を肯定する。

「啓一氏と松田先生は、スマホも入れ替えてそれぞれに成りすまして連絡をとっているのは見事でしたが、想定外の事もあって綻びが出ましたね」
「そうだね。何より、君の探偵としての能力を見誤っていたと思う」

 松田はスマホを取り出し、啓志に渡した。三島は松田のスマホと連絡をとっていたつもりだったが、実際は元々啓一が使っていたスマホにメールしていたようだ。それで施設の中田からのメールは、海外に逃げた啓一がそれっぽく返していたということになる。
 こうして各々が犯行を認める中、副署長は納得いかない様子で啓志に声をかける。いつもの穏やかな表情も口調も、そこにはなかった。

「私が君のお父さんと繋がっているっていうのはどういうことなんだい? ひどい言いがかりだよなぁ」

 悪態をつく副署長に啓志は透明な袋の中に入った茶封筒を見せた。人差し指と親指で持ってぶらぶらさせている。

「これ、立派な証拠になると思うんですけど、どうでしょうかねぇ?」
「私はそんなもの知らんぞ」
「いえ、これは松田さんが若竹啓一の指図により若竹啓一に扮して、あなたの部屋で受け取った茶封筒です。調べれば、あなたの指紋が出てくるはずですよ」

 往生際の悪い副署長に、松田も小さなレコーダーをちらつかせた。舌打ちをした副署長は自身の罪を認めるように目を瞑り、押し黙った。

「この一連の事件、事実が見えればごく単純なものですが、若竹啓一が至る所に指図することによってどこか繋がっているような印象を持たされていました。ただ、海外に逃亡しているのがよくなかったですね。イレギュラーに対応できなかった。……それにしても、みなさん」

 啓志の呼びかけに、大人たちは視線を向けた。少し間を置いてから話し始める。強く握ったてからは、血が滲んでいる。汗も相まって痛みがあるはずだが、探偵は構わずに続けた。

「主張や信念はそれぞれあると思います。ですが、あなた方のやり方は、到底許されるものではありません。それでも、私はあなた方をどうすることもできません。残念ながら、私にはできません」

 探偵の仕事に犯人の逮捕は含まれていない。これ以上は警察の仕事ではあるが啓志としては知っている人が多く、できれば自分からそこに行って欲しいという思いが強いようだった。ここまで言っても、大人たちは何も言わない。啓志は頭を掻き、首を横に振る。

「ですから、お願いです。少しでも罪の意識があるなら……自首してください」

 深く頭を下げ、しばらくして顔をあげると多くの者が頷く中、一人だけ反応が異なる者がいた。

「これで私も終わりか。ならばせめて息子だけでも……しょうがないな。大人の世界に不躾に顔を突っ込んだ君には、痛い目にあってもらおうか」

 啓志は夕姫を他の人のそばに押し込み、自身だけが部屋の角に追い込まれる形を作った。副署長の腕が振りかぶられる。俯いた啓志がニヤッと笑ったのを彼が見た時には、すでに後頭部に痛みが走っていた。

「子供に、手を出すんじゃないよ」

 後ろから鮮やかな蹴りを入れたのは、松田だった。啓志に、大丈夫かい?と声をかけると、外で待機していた警察官を呼び込み、伸びている副署長を運ぶように頼んだ。想定内の出来事だったとはいえ、実際に襲われるとなかなかスリルがあったようで、啓志は冷や汗をかいて作り笑いをしていた。

「松田先生、約束通り動いてくださってありがとうございます。……では、後の皆さんは認めて自首してくださるということでいいですね」

 松田に腕を持ってもらって立ち上がりながら、青いハンカチで汗を拭い尋ねる啓志。皆はバラバラだが返事をし、後のことは各々に任せることにした。甘さが出た、と言われればそうなのかもしれないが、もちろんそれだけが理由ではない。彼にはまだやることがあった。

「あ。佐藤先生は残ってください。まだ言わないといけないことがありますので」
「何かしら? 私だけでいいの?」

 啓志は、三島と共に出て行こうとしていた佐藤を呼び止める。そもそもの依頼主であり、事件に関わるきっかけを作った佐藤。しばらく会うこともないだろう、ということで依頼完了の挨拶でもするのだろうか。

「何とぼけてるんですか。連続通り魔さん」
「……え?」

 啓志の声に表情が凍りつく佐藤。想定していなかった言葉に思考が追いついていないのだろう。

「おかしいと思っていました。現場だという林の状況も屋上で助けを求めたのも、黙っていれば成立するはずの松田先生の逃亡を有りもしない事件をでっち上げて邪魔したのも。全ては松田先生に罪を被せるためだったんですね」
「何を根拠にそんな……」
「だから、昨日公安の刑事さんに言われませんでしたか? 起きてもいない事件をでっちあげるのは虚偽申告罪。最大で十年の懲役です。黙っていれば、せいぜい犯人隠匿で三年以下の懲役か罰金刑。どちらが耐えやすいかは言うまでもありませんね。で、です。なんでそんな行動を取ったのか、私なりに考えてみたんですけどね」

 事実を並べられて何も言い返せず、動かない佐藤の周りをゆっくり歩く啓志。夕姫は二人のことを心配そうに交互に見ている。
 陽もすっかり落ちて、部活動をしている生徒たちも帰路に着いたようだ。すっかり静まり返った室内と啓志の鋭い視線と佐藤の不満げな表情で作られた張り詰めた空気に、夕姫は息が詰まったのか窓を開けて深呼吸をした。

「例えば自分が犯した犯罪よりも軽い刑であれば、それをあえて受けに行くということはあり得るんじゃないかと。殺人未遂は懲役五年以上。場合によっては極刑もあり得る罪です。そちらと比べると、最大十年の懲役は割りとマシに見えてきますよね」
「そんなことで私を連続通り魔呼ばわり?」
「勿論それらはきっかけに過ぎませんよ。だから、調べてもらいました」

 啓志はスマホを取り出し、画面を差し出した。そこには遺留品の爪と、そこに付いた被害者以外の血痕が認められることを示す報告書が映し出されている。佐藤の強気な言い分は消え去り、手を隠して俯いた。

「そういうことなんですよ。観念してください。それとも、鑑定に出していただけますか? 例えば、その欠けている部分以外の爪、だとか。勿論、犯行が可能だったことを表す状況証拠もあります。……どんな動機で犯したのかは分かりませんし、知りたくもありませんが、あなたは罪を重ねすぎたんです。二十件余りの傷害事件、その内お二人の方は重傷ですから、先程も述べた殺人未遂の適応が視野に入ってくるはずです。あなたは、犯行に慣れてくるにつれて証拠になり得る物の管理が杜撰になりすぎたんですよ。先生」
「チッ……。しょうがないじゃない。その……ヘヘ。最初は酔っぱらいに絡まれて勢いで怪我させちゃったんだけど、その時の反応を見て楽しくなっちゃったんだもの。そうだ、自首……自首させなさいよ」
「残念です。あなたは良い教師だと思っていました。私の人を見る目もまだまだのようです。……三島さんお願いします」

 犯行を認めながら一瞬笑い、口元を手で覆う佐藤。普段見せない狂気が顔を覗かせた瞬間だった。その様子を見た三島が、目に涙を浮かべながら佐藤の両手に手錠をかけに来る。三島を睨み少し暴れる佐藤だったが、その奥から宮越も姿を見せると、抵抗も程々に連れて行かれた。佐藤が二人に連れられて角を曲がるのを見送ると、啓志は力なく近くにあった黒い革製のソファにへたり込んだ。

「お疲れ様でした。先輩」
「これで良かったんでしょうか……」
「どうでしょうか。それはわかりませんが、犯罪は犯罪です。罪を償って出てくる彼らの人生に、期待するしかないんじゃないでしょうか。明日は変えられます」
「そうですね。答え合わせは未来まで待ちましょうか。高宮くんも、頑張りましたね。ありがとうございました。それにしても『楽しかった』ですか……。恐ろしい話ですね」
「一瞬どうなるかと思いましたが、何事もなくて良かったです」
「ストレスの捌け口に通り魔、ですか。なんとも困った人です。一応分厚い雑誌はお腹に仕込んでおいたんですけど、刺されたりしなくて良かったです」

 不安そうに呟く啓志を夕姫はそっと励ます。佐藤の見せた姿に少なからず驚いた二人だったが、事前に答え合わせをしていた分、予期できる範囲の事だったようだ。啓志は、週刊の少年誌をシャツの下から覗かせていたずらっぽく笑う。
 それから啓志は思い出したようにスマホを取り出して、高宮家に電話をかけた。夕姫は耳を近づけ通話の内容を聞こうとしたが、啓志が立ち上がり背伸びをしたのですぐに諦めた。

「もしもし。すみません遅くなって。お陰様で無事に解決しました。お約束通り帰りにお寿司を買いますので、もう少しお待ちください」
『解決したの! 良かった。ゆっくり帰ってきてね』
「はい。ありがとうございます」
『とりあえず、今日はゆっくりお話ししましょう。これからのこととか、ね』
「よろしくお願いします。それでは」

 わざとらしく口を膨らませて無言の抗議をしている彼女の頬を、人差し指でゆっくり押す。少しずつ抜けていく空気。緊張の糸が解けた二人は、どちらからともなく笑っていた。
 啓一のことや、これからの生活のことなど。考えなければならないことは山程あるが、今日は目の前にある幸せに思いを向けることにしたらしい。

◆◆◆◆

 翌日。放課後の若竹探偵事務所では、啓志がいつも通り読書に勤しみ、夕姫が珈琲を淹れていた。

「今日は暇ですね」
「そうですねぇ……」

 変わったことと変わらないこと。すべてを大切に抱きしめながら、二人の時間は今日もゆっくり進んでいる。

〜完〜

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

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