『探偵と助手の事件簿~街の通り魔と消えた教師』第四話

 その日の夜。啓志は自室のベッドに制服を着たまま横になっていた。
 あの後向かった二社でも来校した人物の所属を確認できた。お昼の後の一服を楽しんでいるお姉様方に声をかけて聞き出してみたり、本人が戻ってくるまで会社の入り口近くで待ってみたり。一社目の反省を活かして、正攻法ではない攻め方でミッションをこなしていったようだ。
 残すは夕姫との通話でも話していた隣県の住所のみ。会社名は書いていないが、個人で事業をしているということだろうか。事務員の武田が言うには園芸の関係で来た人物らしく、事前に連絡があったので特に確かめたりはしていない、とのことだった。

「問題は、誰がわざわざ呼んだか。なんだよなぁ……」

 こういう表現は賛否あるかもしれないが、公立の学校の園芸のために、県外から人を呼ぶ必要性はほとんど感じられない。学校の関係者との繋がりで呼ばれることなら、あるいはあり得るかもしれないが、そうであれば事務員もそのことを聞いているはずだ。
 何か特殊な技術が求められる作業工程でもあったのだろうか。それとも。

「これが犯人によるミスリードという可能性も一応考えておくべきなんだろうか? いや、考えすぎ……か」

 啓志はベッドから立ち上がり、睡眠をとる準備を始めた。その時、スマホが着信を知らせるメロディーを奏で始める。画面には宮越という文字が表示されていた。

「宮越さん。お疲れ様です。何かわかりましたか?」
『お、おぉお疲れさん。言われた四件とも行ってみたが、どこもきちんとした会社で、本人に会うこともできた。探偵は?』

 想定していなかった労いの言葉にわかりやすく動揺する中年男性。四件とも本人と会えるとは、警察の権力の強さ、もとい、宮越の手腕がよくわかる。
 乗りかかった船ということもあって依頼主の進捗も気になるようだ。

「ありがとうございます。実は一件県外の住所だったので、明日向かおうと思っています。それ以外は行きましたが、不審な点は感じられませんでした」
『そうか。県外となるとまた面倒なことになりそうだから一緒に行かない方が良さそうだな……』
「大丈夫ですよ。何かあったら保護者として連絡を入れますから」
『保護者か、確かにそうとも言えるな』

 宮越は、縄張りというものに行動が制限されることへの歯痒さを口にする。彼がまだ若い頃、啓志の父親と共に県を跨いで大胆に捜査していたことが当然問題として取り上げられ、諮問会議にかけられてしまったことがある。それまで順調に進んでいた出世の道もそこで閉ざされてしまったが、本人としては未だに縄張りを大事にする組織に辟易していたので後悔はないようだった。
 それでも同行を遠慮するあたり、諮問会議への出席が精神的に堪えるのかもしれない。
 啓一からその辺りの話は聞いていた啓志は、宮越の言葉にすぐに冗談で返し、宮越も気遣いに笑みを浮かべた。事実を求めるあまりに色々とはみ出しがちな所はお互い似ていると言えるのかもしれない。明日からの健闘を互いに祈り、通話は終わった。

「……さぁ、今日はシャワーで済ますか」

 スマホを白いパソコンデスクに置いて充電器に繋いだ。充電開始のエフェクトを確認した啓志は、体を左右に捻りながらドアに向かった。
 その頃夕姫は、乾かしたばかりのロングヘアーを櫛で解いていた。いつもは一日あったことを嬉々として両親に報告するのだが、昨日今日と起きた出来事は話せずにいた。
 両親は口数の減った夕姫に遅めの反抗期が来たとか、恋煩いではないかとヤキモキしているようだが、まさか我が娘が殺人を教師に申告されて調査していることなど、この時は知る由もない。

「明日は校長先生と話せたらいいな……」

 手が止まり、櫛を持つ手にぐっと力が入る。今回は彼女にとって、啓志の捜査にきちんと貢献できる初めての機会。心配されていることは分かっているが、できるだけのことはするつもりでいた。

◆◆◆◆

 夕姫と啓志の出会いは、三年前に遡る。初めて声をかけたのは夕姫の方だった。

「あの、すみません。若竹啓志さんですよね?」

 ツインテールを揺らして、教室で一人読書をしている啓志に話しかけた。啓志は目の前に立つ人物を一瞥して、また視線を本に戻してしまう。それを受けて夕姫は、ごめんなさいと言いながら本を上から掴み、向かって右側にずらして顔を近づけた。

「探偵としての先輩に、お願いがあってきました」
「……聞きましょう」

 自分の興味のある話題と知ると態度を一変させ、本を机の横にかけてある鞄に突っ込んだ。
 全く単純な男である。お昼の休み時間のため、教室にも人はほとんど残っておらず、話しやすい環境であることも良かったのかもしれない。
 仮に眼前の後輩が大勢の前で自分を指名していたら、冷やかしや好奇の目に晒されることを恐れて無視を続けるか、この場から逃走していたことだろう。

「学年とお名前からお願いします」
「は、はい。あの、ありがとうございます」
「感謝の言葉は全部解決してからにしましょう」
「あ……」

 本人は気付いていなかったのだろう。啓志に声をかけた時から、彼女はうっすら涙を流していた。啓志は彼女の次の言葉を黙って待っている。
 焦らずゆっくり自分の言葉で話を進めていく方針というよりは、彼自身の動揺の方が大きいのだろうが、結果的にこれで彼女の話やすい環境になったと後に自身で振り返っている。
 とはいえなかなか止まらない涙に、夕姫も困惑していた。すると、見かねた啓志がポケットから水色のハンカチを取り出して差し出した。

「えっ、すみません。お借りします」
「いえ、これは私と、その……」
「高宮夕姫、二年生です」
「高宮くんですね。私と高宮くんとの間で明かされた君の秘密を守るという約束の証としてそのハンカチは差し上げておきます。自分で言うのもなんですが、ちょっと良いものなのでね。もしこちらに何か不手際があって不快な気持ちになったのなら好きに処分してもらって構いませんし、SNSで色々投稿してもらっても構いません」

 夕姫は涙を拭きながら何度も頷く。深呼吸をして気持ちを落ち着かせようと努めた。啓志は待っている間にメモ帳を開いて話を聞く準備を進める。
 数分経ってようやく話のできる状態になった夕姫は、啓志の前の席の椅子に座って口を開いた。

「おまたせしました。実は……」

 夕姫の話によると、二年生になってから誰かに陰湿な嫌がらせをされているとのことだった。例えば上履きを隠されたり、教科書がなくなったり、出したはずの課題がなくなっていたり。
 級友と何かあったのなら理解できるのだが、全く身に覚えがない。むしろ良好な関係を持てていると自負していた。
 しばらくしたら嫌がらせをしている人物が顕現すると思っていたが、その様子もなく夏休み前まできてしまったのでどうしたら良いものかと悩んでいた。そんな時、探偵を自称しているイタイ先輩がいるという噂を聞きつけ相談しに来たらしい。

「その噂の発信源も後でじっくり探るとして、高宮くん。私に三日だけください。必ず、君を泣かせたくだらない人間の正体を暴きます」
「ありが……お願いします」

 先ほどの啓志の言葉を思い出して表現を変えたが、啓志の約束を聞いた夕姫の目には再び涙が溜まっている。
 啓志はそんな夕姫の姿を見て小さく頷き、聞いた話をもとにメモに走り書きで推理を始めていた。
 この三日のうちは、これまで通り学校で過ごすこと。そして、三日目の朝は休むようにだけ夕姫に依頼し、二人は別れた。その間も進捗を聞きたいと言う夕姫のリクエストに応えて、啓志は連絡先だけ渡して毎日夜にメールを入れることも約束した。
 夕姫が啓志と一緒にいることで、万が一にも犯人が動きを止めてその行いを暴けなくなってしまうことを二人とも望まなかったからだ。
 犯人のしていることは犯罪であり、一人の人間の数ヶ月の学生生活を台無しにしてきた卑劣な行為である。夕姫が許すかどうかは別として、謝罪を求めるのは当然の権利だろう。
 二日後の夜。啓志の姿は夕姫の家のリビングに在った。四人掛けのダイニングテーブルに夕姫と両親が座り、啓志と同席した校長は立ったままである。啓志はこの二日のうちにまとめた情報から、一つの仮説を披露している。

「クラスメイトとの関係は誰がどう見ても良好。彼らが漫画やアニメの世界でたまにあるような、狂気に近い二面性を全員がもっているとしたら別ですが、状況から見て、すべての犯行が可能である人物は一人しかいないと私は考えています。しかし、まだ物的証拠がないんです。そこで校長先生。お願いがあるのですが……」
「協力できることだったら何でもするよ。どうしたらいい?」

 啓志達にとって幸いだったのは校長が、学校内で起きた問題を放置しないタイプの人物だったこと。今も前のめりで啓志の提案に耳を傾けている。どうしたって批判される可能性があるこういう場に一緒に来るフットワークの軽さもあった。 
 夕姫の家に入った時は、いきなり謝罪しながら土下座をして一向に顔を上げないので、皆でなだめる必要があったほどの誠実な対応にも驚かされていた。

「今から、学校に向かわせてほしいんです。そこである場所にカメラを置かせていただきたいんですが……可能でしょうか?」
「もちろん良いよ。それで犯人がわかるんだろう? 何かあったら責任は私が取る。やりたいようにやって欲しい。……さっきの若竹くんの言い方だと、まさか犯人は……」
「残念ながら、そういうことになります。校長先生、その時はよろしくお願いします」

 唇を震わせ、大きく一度頷いた。名ばかりではなく責任者然としている人が、こういう目に遭うのは見ていて居た堪れない思いがしてくるが、それが彼の仕事なのだから口出しするのは野暮というものか。
 夕姫や両親も、校長には何も言わなかった。彼なら逃げずに、やるべきことはやってくれるという確信がそうさせたのだろうか。

「では、行きましょうか。校長先生」
「そうしよう。……高宮さん、ご両親。全てが解決されたら、またお伺いします。この度は、大変なご迷惑を……」
「お待ちしてます。その時は一緒にご飯食べて忘れましょう」

 校長の言葉に、夕姫がそう返した。両親は少し驚いたようだが、娘の気持ちを汲んで同意を口にした。
 夕姫の家を出る寸前、明日の午前中は欠席することを高宮家の三人に確認し、先に外で待っていた校長の車で学校に向かった。道中、校長は申し訳なさそうに尋ねる。

「一杯珈琲を飲んで落ち着きたいんだが、大丈夫かな?」
「えぇ、私もご一緒します」

 推し量ることのできない大きなストレスを抱えた校長の提案に、啓志は快く同意した。コンビニに着くと、校長に待っているように頼み、ホット珈琲を二つ手にして戻ってきた。

「ミルクと砂糖はどうされますか?」
「ありがとう。ミルクだけいただこうかな」

 蓋の上に置いておいた砂糖を取り、校長に渡す。蓋を開けると珈琲の芳醇な香りが車内に広がった。校長はカップに顔を近づけて香りを楽しんでからミルクを混ぜて一口含んだ。

「珈琲はいつだって美味しいものだな」
「そうですね。珈琲は罪を犯しませんから。いつだって誠実に私たちを愉しませてくれます」
「大人みたいなことを言うなぁ、若竹くんは」
「すみません、こんなんだから友人もできないんです」

 背中を丸めて自虐的に笑う啓志に、校長は優しく声をかける。

「そうかなぁ。私から見たら、みんな若竹くんを頼りにしているように見えるよ。そう言う話ばかり聞く」
「あれはただ使われているだけで……」

 確かに学校の提出物や行事の予定について級友に尋ねられることはよくあったし、それに答えてあげるのも苦ではなかった。しかし、そこで友情が生まれているなどとは言い難く。ただ便利な人間として近付かれている気がしてならなかった。

「まぁ同じ出来事でも、どう捉えるかは君次第だ。ただ近付くための一歩目に頼ることだってあるだろう。それに、今回のように粉骨砕身他人のために頑張れる若竹くんなら、いつでも友人はできると思うがね。例えば、高宮さんは友人になり得ないかな?」

 高宮夕姫。啓志にとっては不思議な人だった。突然現れて突然泣き出した彼女。探偵として話を聞こうとしていたが、そんな考えを吹き飛ばす心の動きを確かに感じた。
 三日で真相に辿り着くなんていう格好をつけたことまで言ってしまい、この二日はろくに睡眠をとっていない。何をやっているんだろうと自分でも思う。これが他人を想うということなのだろうか。
 というのは当時の啓志のメモの一部である。当時の啓志は、誰かのために自分の身を削ることなんて考えたこともなかったらしい。探偵はスマートに生きるもので、情に振り回されるのは論外だと思っていた。

「彼女は今は依頼人です。余計な感情は……」
「でも、その余計な感情のために何かに熱くなるのも悪くない。若竹くんも、今回その価値に気付いたんじゃないか?」

 この問いに、啓志は答えなかった。いや、答えを持ち合わせていなかったのかもしれない。そもそも適当な返事をするのは性分ではなかった。彼はメモにそのようにも書いている。

「そろそろ、行こうか」

 校長は少し残った珈琲を一気に飲み干すと、啓志のカップも預かってコンビニの店内にあるゴミ箱に捨てて戻ってきた。
 乗用車らしい静かなドアの閉まる音と共に、エンジンがかかる。コンビニを後にした二人は、いよいよ目的地に向かった。

◆◆◆◆

「それでは、行きましょうか。警備員さんもよろしくお願いしますね」

 校長が事前に連絡を入れていたため、警備員への説明もほとんどせずに済んだ。鍵の束を持った警備員は、制服の上からもわかる筋肉質な30代くらいの男性。啓志が二階の視聴覚室を指定すると、手早く鍵を見つけ、そこから外して啓志に渡した。

「ありがとうございます」

 受け取った啓志は、解錠して肩掛けの鞄に入れていた小型のカメラを取り出した。手のひらの半分もないサイズのそれを、窓際のカーテンにクランプを使って固定して戻る。その途中で机につまずいて床に落ちていた誰かのペンを机の上に置き直すことはあったが、無事任務を終え、校長たちの待つ出入り口に戻った。

「これだけで大丈夫なのかい?」

 すぐ終わってしまった仕事に拍子抜けした感じで尋ねる校長。自分の関わって良い会話かわからなかったであろう警備員は、外を向いて二人の会話には立ち入らないように努めている。ぶつけた左足をさすりながら、啓志は答えた。

「えぇ、明日特別教室はここ以外は全て一限目に利用されることになっています。予定を調整していただけるよう、二日かけて先生方にお願いしてきました」

 啓志は簡単に言ったが、それは普通の生徒が行えることではない。これまで誰に対してもしっかり対応することによって積み重ねてきた信頼や評判。そして間違ったことを絶対に放置したくない正義感が、ただでさえ大変な教員の仕事をさらに複雑にするお願いを通すことを可能にしていた。
 実際ほとんどの教員が、彼の頼みなら聞いてあげたいと、必要以上の手が上がってそちらの調整が難航した程だった。

「なるほど、それで明日行動を起こすならここに物を隠すに違いない…と」
「そういうことです。これまでの五十件余りの犯行で、犯人は必ず隠し場所に特別教室を使っています。今回だけ他、というのはあり得ないでしょう。犯罪者も、最低限の美学くらい貫けますって」
「そうだな。……よし、これで明日回収して犯行の様子を確認できれば、ということか。私も、各方面への説明を準備しないとな」
「すみません。よろしくお願いします」

 校長の言葉に深く頷き、これからの苦労を先に労った啓志は、ずっと離れたところに立って待っていた警備員に鍵を返しに行った。

「ありがとうございました。これ、よろしくお願いしますね」

 警備員は、っス、という控えめな返事をして、啓志に敬礼した。啓志は慌てた素振りでその手を下げさせてから、校長の元に行き校舎を後にした。帰りの車内もほとんど会話することはない。明日に備えて、二人ともそれなりの緊張感を持っていた。二人は、車のエンジン音とたまに出るため息をBGMにして帰宅の途につくことになる。

◆◆◆◆

 翌日の早朝六時。啓志の姿はすでに学校にあった。昨夜は結局眠ることができず、四時頃には睡眠を諦めて準備を始めていた。とはいえ、待ち構える相手が来るまでは何もすることがない。啓志は自分の教室からせっせと持ってきた椅子にあぐらをかいて座り、アイマスクをして視界を閉じている。
 しばらく後、足音を聞いてアイマスクをずらした。時計の針は六時半を指している。
 視界を暗くしているうちに昇ってきた朝日が目に染みるが、そんなことを言っている場合ではない。椅子をドアの方に向け、右を上にして足を組んだ。
 ドアが開き、人が入ってくる。

「きっと来られると思っていました」
「なっ!?」

 啓志がいるなんて、いや、人がいるなんて考えてもいなかっただろう。現れた人物は一歩後ずさりした。

「逃げてもしょうがないですよ。あなたはもう詰んでいるんです。それにしても、教育者でも狂気に近い二面性を持ち合わせているものなんですね。勉強になります」

 そう言われた人はドアから理科室に入った。昨日カメラを仕掛けたのは視聴覚室だった。それではなぜ、啓志は理科室で人を待っていたのだろうか。

「カメラさえ持ち出してしまえばバレないとでも思っていましたか。校長」

 啓志が待っていたのは学校長、その人だった。未だに自分の置かれた状況を理解できていない犯人は、目を白黒させて立ち尽くしている。啓志はその姿に目をやることなく、話を続けた。

「まぁ、いいでしょう。あなたにはいくつかの罠を仕掛けていました。答え合わせしていきましょうか。まずは、高宮くんの家にあなたを連れて行ったことです。普通、卑劣なことを自分にした犯人に被害者は会いたくないものです。しかし、今回は怒りを押し殺して高宮家の皆さんに会っていただきました。そこで、あなたは自分が安全圏にいると見誤ったはずです」

 流暢に進む啓志のウイニングランに、校長は何も答えない。

「そして次に、罠を仕掛ける場所の説明をあなたにしました。他の移動教室は埋まっていて犯行を起こすならここしかない。一限目から使う教室であれば、いつ担当する先生が訪れてもおかしくないですからね。一見、筋の通った説明ですが、これには大きな穴があります。早い時間に来て事を起こしてしまえば、どの教室でも犯行は可能ですからね」
「それでは、何のために視聴覚室にカメラを……?」

 ようやく言葉を紡いだ校長は、少し荒くなった息を必死に整えながら啓志に尋ねる。啓志はそんな校長をじっと見て、微笑を浮かべてから答えた。

「カメラ? あなたが今お持ちのはずのそれは、ただのGPSですよ。カメラの場所は、あなたには教えていません。もっとも、それにはしっかりとカメラ型GPSを外して勝ち誇る校長が映ってましたけどね。完璧主義で几帳面なあなたなら、心配の芽は早めに摘み取ってくれると信じていました」
「は!? そんなものどこにも……。まさか……」
「そういう事です。あのペン、偶然落ちていたものを拾ったとでもお思いでしたか?」

 そう言うと、啓志は制服のポケットから『あのペン』を取り出して人差し指と親指に挟んで振って見せた。

「これは、あなたが昨夜忘れ物を取りに行く振りをして戻って来た後で、警備員の方に持って来ていただきました。あの時住所をお教えしておいて正解でした」
「くっ、あの警備員。裏切ったか!」
「そんな人聞の悪いこと、言うもんじゃないですよ。ご本人もおられるのに」
「は?」

 啓志は鍵を返す時に、住所と今回の出来事の概要を伝える紙を警備員に渡していた。啓志は間の抜けた声が漏れる校長に、後ろを指差す。もはや考える力の残っていない校長は、素直に後ろを向いた。

「こちらは受け取れませんので、改めてお返しにあがりました」

 警備員の手にあったのは、2cmほどの厚みのある茶封筒だった。校長に押し付けるようにして渡すと、返却の機会を与えてもらった啓志に一礼して、ドアの前まで下がっていった。

「あ、後。ダメ押しとして、今日ここを利用するはずだった高畑先生から高熱でインフルエンザの疑いがあるという内容のメールを夜中に送るようにお願いしたのも私です。まぁ、そこまでしなくても、これまでの犯行場所は六つの特別教室と理科準備室を入れた七つの部屋を規則正しい順番で回っていて、今回は絶対ここだと確信してはいましたけどね。念には念をという事です。犯罪者の美学、とやらですか。……煽っておいてなんですが、実にくだらないですね」
「そこまでバレていたか。仕方ないな。私の負けだよ。だいたいあの子が……」

 校長の言葉を遮るように、啓志が言う。

「何を今更敗北宣言してるんですか。犯罪に手を染めた時点で、あなたは己に敗けているんですよ。それに、彼女を狙った理由なんて聞きたくありません。どうせくだらない逆恨みでしょう。……私が最後まで冷静に聞けるかも、分かりませんし」

 握る力が強すぎたのが、血が滲んでいる拳を震わせながら、啓志は校長を見た。それを受けて校長は膝から崩れ落ち、へたり込む。
 啓志は近くに待機してもらっていた警察を呼び込み、校長と、全ての犯行が可能なのは校長だけだったことを示す全教員四月以降ののスケジュールまとめを含め、いくつかの証拠品を持って行ってもらった。
 警察からの少しのお叱りの言葉と共にいただいた情報によると、校長が校門で挨拶している時に全く反応せず、繰り返し無視しているように思えた夕姫が、いつしか憎くなり今回の犯行に至ったらしい。夕姫曰く、全く身に覚えがないとのことで、恐らく級友や他の先生から掛けられた声も多かった彼女に、校長の声など届いていなかったのだろう。勝手な思い込みや自分の行動に対する相手の反応を過度に期待する彼の態度が犯行の根にあったことがはっきりした。
 それにしても、校長の挨拶に反応しなかったのは彼女だけではないだろうに、おかしな話である。恐らく本人も気付いていないのかもしれないが、毎日誰かしらに声を掛けられている側の夕姫に嫉妬したということもあるだろう。
 男の嫉妬心も恐ろしいものだ。犯行の規則性に執着するあまり、自分しか犯人はいないということを自ら証明してしまっていたことも、周りが見えなくなるほどの強い執着を感じる。
 人間は一歩間違えば恐ろしく醜くなる。彼はまさに反面教師であった。啓志のメモは、この言葉でまとめられていた。
 無事校長を警察に引き渡し、警察署での聴取も終えた啓志は、高宮家に向かい報告した。

「……ということでした。今回は、犯人を油断させるためとはいえ、被害者である高宮家の皆様に大変な心痛と……」
「先輩! 本当にありがとうございました!」「そうですよ。若竹くん。本当によくやってくれました。夕姫の為にこんなに犯人に怒ってくれて、それだけで私達は嬉しいんですよ。……でも、傷の手当はしないとね。夕姫?」

 謝罪から入る啓志の言葉を途中で遮る高宮家の娘と母親。何より啓志の手の傷が気になるようで、消毒液と大きめの絆創膏を母親が白い救急箱から取り出して夕姫に渡した。

「ちょっと染みると思いますけど、我慢してくださいね」

 優しく手を取り、消毒液をかける。止血は警察署でやってもらったので既に血は止まっていたが、傷口が深かったのだろう。啓志は目をつむって痛みを堪えていた。

「こんなになるまで……! 本当に、本当に、ありがとうございました」

 傷を間近で見た夕姫の目には、いつの間にか涙が溢れていた。卑劣な行為によって傷付いた夕姫だったが、ここまで自分を想って行動してくれる人がいる事実に心を動かされていた。
 啓志は、それが出逢った時の悲しい涙とは別の種類の物だということは分かっているが、何と声をかけたらいいかは分からず黙していた。その様子を後ろから立って見ていた両親も、涙を拭い啓志への感謝をそれぞれ口にする。
 消毒と絆創膏の貼り付けが終わってからは、今回のお礼ということで出前を取った寿司が振る舞われ、啓志も介助を受けながら舌鼓を打ち、この三日間の努力を振り返って安堵の表情を見せていた。

◆◆◆◆

 翌日。笑顔で学校に来た夕姫は、昨日の欠席について友人たちに心配されたり、校長が捕まった事を夕姫が知らないと思って驚きと共に伝えたりされていたが、廊下でばったり会った啓志を見つけるなり、こう言った。

「おはようございます! 先輩! 私を助手にしてください!」

 もちろん初めのうちは啓志には認められなかったし、何より事情をあまり知らない周囲が止めに入った。変わり者に毒される事を心配しているのだろう。啓志としても、良き友人として少しずつお互いを知っていきたいという思いが少なからずあったので、いきなり助手という距離感0の立場になろうとする彼女に戸惑っていた。
 しかし結果としてこの一言から、今の二人の関係は構築されたということになる。

「本当に、懐かしいなぁ。まだ三年。もう三年? どっちだろう……。あ、もうこんな時間!?」

 二人の出逢いを思い返していた夕姫は、いつの間にか日付が変わろうとしていることに気づき慌てて就寝の準備を始めた。次の日の朝、予定より華麗に三十分ほど寝坊したことだけ、お伝えしておこうと思う。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

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