第38回 東大寺と東北 展

1、導入

宮城県多賀城市にある 東北歴史博物館で

東日本大震災復興記念特別展

東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り

を平成30年6月24日まで開催しています。

今日はそれを見学し、展示図録に収録されている論考を読んで整理し、考えたことを記します。

2、東大寺の復興

東大寺は聖武天皇が全国の安寧を祈念して建立した大寺院で「奈良の大仏」として知られています。

これまで平の清盛の時代と戦国時代の二回焼き討ちにあっていますが

全国から寄進を集めて復興した経緯があります。

災害からの復興を遂げようとする東北を励ます意味での展示会といったところでしょうか。

3、1150年前の復興

ここからは展示図録に所収されている

東北学院大学の佐川正敏教授(考古学)の論考

「古代における東北の復興 -瓦を通してみた貞観地震からの復旧を中心に-」

を参考にしています。

平安時代に編纂された国の公式記録の一つである『日本三大実録』には

貞観11年(869年)には発生した大地震(俗に言う貞観地震)によって建物の倒壊と地割れ、圧死等の発生、津波により1000名近い死者の発生が記録されています。

翌年には国が検陸奥国地震使を派遣、さらに翌年には食料の支給、免税、死者の埋葬等などの指示をしたことが書かれています。

またこの時期には日本列島の地震や火山が頻発した時期で中央の記録に残っているだけでも

 830年 出羽国天長地震
 850年 出羽国嘉祥地震
 864年 富士山噴火
 871年 鳥海山噴火
 915年 十和田火山噴火

と頻発していることがわかります。

東日本大震災から熊本地震や御嶽山の噴火などが頻発している現代も、何か想起してしまいますね。

貞観の震災からの復興をどのように遂げたのか、ということは考古学研究に期待のかかるところですが

今回は一つ、瓦についてだけ触れたいと思います。

当時東北の中心は多賀城。陸奥国を統括する役所があり、中心となる建物は例外的に瓦が葺かれていました。

震災の瓦礫を片付け、建物を新しくする時には新たな屋根瓦を製作したわけですが、その時、朝鮮半島の人々の力があったのです。

実は貞観地震の少し前、当時朝鮮半島の新羅という国との国境付近でイザコザがあり、事件に関与したとされて九州にいた新羅人が逮捕されていました。

本来は半島に強制送還されるはずだったところ、瓦製作技術の専門家だったということで、急遽東北に派遣されて、復興瓦の製作に携わることになったようです。

佐川教授は

まれにみる日本と新羅の職人が協働作業を実施した例

とみています。

震災復興に国境を超えて協力していたことが、発掘された出土遺物からわかることはとても素敵なことではないでしょうか。

と言っても半強制的な労働なのですが(笑)

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