第102回 自分と向き合うこと
1、突然のカミングアウト
家族にも、親しい友人にも自分から語ったことのない、私の最大のコンプレックスについて書きたいとふと思ってしまいました。
それは「吃音(きつおん)」です。
大抵は小さい子どものときに治るのですが、私は中学生になるころに突然発症しました。
「き」とか「も」とか
特定の文字だけなぜか発音が出来ず詰まってしまうのです。
例えば、私は学級委員だったので、毎時間授業が始まる前に「起立」の号令をかけるのですが
「き、き、き、起立」
という感じになってしまいます。
今思えばなぜこんな奴に学級委員を続けさせたのか、担任の先生は何を思って何も言わずに見守っていたのか、同級生達はどう思っていたのか、
すごく疑問に思います。
親もどう思ってたのでしょう。怖くて聞いたことがありませんでした。
それともみんな大して気にしていなかったのでしょうか。
思春期特有の自意識過剰で、余計に悪化するんですよね。
これが原因でいじめられた記憶はありませんし、学校は嫌いでしたけど毎日行ってましたね。
2、吃音の人物との出会い
自分と同じように言葉がうまく出てこない人物が登場する作品に
三島由紀夫の「金閣寺」という小説があります。
私は一度読んだ本を再度読むことはほとんどないのですが、これだけは定期的に開いていました。
この病気は自分だけじゃないんだと思わせてくれたからでしょうか。
読書感想文に熱い想いを込めすぎて、先生にちょっとひかれた記憶があります。
2010年には『英国王のスピーチ』という吃音を患っていたジョージ6世の生涯を描いた映画もありましたね。
Wiki情報ですが、歴史上でも意外と吃音症であった人物もいるようです。
今思うとそんなに思い悩むこともなかったのかも知れません。
3、口頭と文章の関係
実は今もたまに出てしまうこともあります。うまくごまかしているつもりですが、周りから特に指摘もないのは、優しさなのでしょうか。
ある時から劇的に改善した原因を自分なりに考えたことは、男子校で、自由な校風の高校に進学できたことでしょうか。
そこはすごく多様性に富んだ世界で、互いに認め合う空気が自然とあるような空間でした。教師と生徒の関係すら上下でなく一個の人格として尊重してくれていました。
そんな環境にいたらいつのまにかほとんど吃音を発症しなくなっていました。
今では仕事でしょっちゅう人前に立って話をしています。当時からですが、伝えたいことが多すぎて、溢れてくるので早口になってしまいますし、つい説明を端折って結論を伝えようとしてしまうのはなかなか改善しません。
ここに記しているnoteの文章も、そのような傾向があるかも知れません。
読みづらくてすみません。説明が足りないところはコメント等で指摘してくれると有難いです。
口頭で説明するのと文章を書いて伝えるのも、結局は同じ人格から発出されているので雰囲気は一緒になってしまうのでしょう。
古文書に残された筆跡や書き方の癖で、それを書いた人の人格まで想像できたら楽しいですよね。
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