第75回コミニティのあした

1、町内会から感じる断絶

本日夕刻、行政が地域に主要施策を説明する懇談会がありました。

行政の末端にいる私ですが、実は町内会の役員を引き受けております。

職場の上司達が説明することを、地域の役員の一人として聞く、といういたたまれないポジションでした。

聞いていて感じたのはどうしようもない断絶。

農家の方はほ場整備(水路を整備したり、田んぼ一枚の大きさを拡張することで効率化を図ること)をしてくれ、ただ自分たちは負担に耐えられないから、行政で負担してくれと訴えますし

行政は財政が苦しいので、いま進めている企業誘致や職員の削減で財源を確保すると語ります。

農家の方は、自分たちが食という基盤を支えている、という誇りもあるでしょうし、実際稼げる仕事ではないのでご苦労されていることはわかります。

行政も高齢化や人口減少で税収が減る一方で、国からやらされることは増えているのに、職員を減らしても、業務が減っていなければひずみがどこかに生まれるだけで何も改善しません。

どうしたらこの差は埋まるのでしょうか。

2、現代のコミュニティと中世の一揆的結合

現代はSNSが発達して、好きなモノ・コトを共有するコミュニティが無数に生まれています。

歴史が好きなら、各メディアの歴史について発信しているアカウントをフォローすれば、どんどん興味に沿った情報が流れてきます。

ファン同士がつながることも容易で、通常の狭い人間関係では出会うことのできないコアな仲間を見つけて思う存分語り合うこともできます。

これはとても幸せなことで、かくいう私も毎日楽しくてしょうがないです。

歴史を遡ってみてコミュニティという言葉で思い浮かんだのは中世の一揆でした。

一揆というと江戸時代のお百姓さんが竹槍で反乱を起こすイメージを思い浮かべるかもしれません。(私だけ?)

本来の歴史用語では

鎌倉幕府の滅亡後,うちつづく政治,社会の混乱に対処しようと,中小武士層が一味同心して集団行動をとり,一揆と称した。

というものです。

ざっくり言うと課題解決のために同規模の集団が集まって団結すること、もしくはその団体、ということです。

鎌倉時代は一族で固まって家を守ることに力を注ぎますが、室町時代以降、武士達が在地(地方の領地)に分散していくようになると、近隣の武士達と連携して身を守るようになります。

遠くの親戚より近くの他人ですね。

のちに戦国大名として名を馳せる毛利とか真田とかはこの一揆的な集団のリーダーからのし上がったタイプです。

現代のコミュニティも、中世の一揆的結合も混沌とした時代に自然発生的に生まれた結びつきとして似ているところもあるのではないでしょうか。

3、断絶を越えることができるか

中世の一揆的結合は他の集団から身を守るためのものでしたが、次第に形を変えていきます。

先程触れたようにもともと同列だったリーダーがいつのまにか支配者になってしまったこともありました。

結局は上級権力である戦国大名への従属の度合いが高まり、解体が進みました。

江戸時代になると縦社会のピラミッドが構築され、横の繋がりは希薄になってしまっているように見えます。

地域に一揆的結合関係は見出せず、幕府や藩から指名されたリーダーのもとで管理された地域社会になっているように感じます。

そして冒頭の町内会の話に戻ると

私たちのように新たに宅地開発されたところに移り住んできたサラリーマン世代ともとから住む農業者たちの感覚には断絶があるように見えます。

ですが、1つ見える光明はやはり子どもではないでしょうか。

私の住む地区にも小さいながらも小学校があり、そこには多様な価値観を背景に持つ家庭から子どもたちが集まります。

地域の特色ある教育で学ぶことで相互に理解がすすみ、断絶がなくなる日が来るかもしれません。

やれ運動会前だというと保護者は平等に駆り出され、校庭の草刈りに駆り出されます。1つの作業を通じて共同意識が生まれています。

これで小学校が統廃合されてなくなってしまえばそのような団結は望めません。

人が寄って立つのはやはり集団、コミュニティです。必要に迫られた地縁的なコミュニティも必要でしょうし、趣味が共通する仮想空間上でのコミュニティも幸福感につながります。

さまざまなレイヤー(層)が少しずつ重なり合いながら、積み上がり、その焦点に立っているようなイメージです。

まずは手始めに地域のコミュニティ活性化のために町内会役員頑張ります。

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