第1481回 漢詩で歴史を語る

1、読書記録352

今回ご紹介するのはこちら。

揖斐高2024『頼山陽 詩魂と史眼』岩波新書

以前もご紹介した、瑞巌寺老師の漢詩の講座を受けて


頼山陽という人物に関心を持ったのでまさにタイムリーな本でした。

2、今回は漢詩よりも歴史

本書は副題の通り、漢詩と歴史叙述の二つの側面から頼山陽という人物を分析していきます。

前回は漢詩のところで触れたので、今回は歴史叙述家としての部分について、

個人的に面白かったエピソードをいくつか挙げると、

まずは読書家ではありましたが、蔵書家ではなかった、ということ。

当時の学者は文字通り蔵のなかにどれだけ蔵書を積み重ねられるか、という評価軸もあるような世界で

江戸の林家が明暦の大火で多くの蔵書を失ったことの大きさを嘆いているのが思い起こされます。

頼山陽は父も学者肌であったものの、親から勘当され後ろ盾のない中で文人生活を始めているので、

否応なく蔵書を買い漁ることはできなかったのでしょう。

それでも借りた本を2冊書写して、1冊を手元に、1冊を売って生活の足しに、という苦学の人でもなかったようです。

一度読んだものを忘れない、という才能もあったのでしょう。

また、もう一つ。当時頼山陽にとって現代史だった江戸時代の評価について。

徳川家康の遠祖とされていた新田義貞を高く評価していること。

「正記」という、平清盛から源頼朝、北条氏と続く、「天下人」の伝記の章立てがあるのですが、将軍になったこともない新田義貞をこの序列にいれているのです。

まあ楠木正成も入れているから唯一でもないんですが。

一方で、当代の徳川家斉が将軍でありながら太政大臣も兼ねていることを暗に批判的に記しているのです。

かの足利義満ですら、将軍を引退してから大臣になったというのに。

そして家斉といえば子沢山。

特定されるだけでも53人いたというから驚きです。

これも頼山陽としては批判の対象だったようです。

天皇家が南北朝二つに分かれる原因を作った後嵯峨天皇の例を引き合いに出して

「王朝の盛極、衰えを萌す」

つまり最盛期を迎えてしまえば、あとは衰えが始まるのだ、という不穏な言葉です。

当時の頼山陽の状況を鑑みると、かなり攻めた表現であることが推測されます。

それでも頼山陽は幸い畳の上で最期を迎えています。

とはいえ、没後に山陽の遺稿をまとめるにあたって弟子たちがいざこざを起こしたり、

遺族の生計の糧になる、と思っていた出版物も、無関係の人間に先を越されていたりと順風満帆ではなかったようです。

それはある意味で山陽の著作が高く評価されていたことの証左でもあるのですよね。

3、漢詩の中身を掘り下げて

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

3回目の老師の漢詩講座は漢詩の構造について専門用語頻出で解説されたので、私めが理解できた部分はかなり少なかったように思います。

最後に上杉謙信や高杉晋作の詩に軽く触れられていたのは、逆に気になりました。

そのような人気のある歴史上の人物の漢詩を解説してくれたほうが、凡夫(仏道の修行が道半ばの素人、私自身のこと)はうれしいんじゃないか、と思うんですけどね。

超越した存在である老師さまですから、ということでしょうか。

漢詩講座はあと7月の最終回を残すのみです。

またnoteで感想などお伝えできればと思います。

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