第111回 3000万を集める歴史物語

1、石田三成立身の舞台

第109回で石田三成の「大一大万大吉」に触れましたが、引き続き彼の話題。

三献の茶の舞台になった滋賀県米原市にある観音寺の薬師堂の修復工事がこの8月に終了したようです。

記事によると天保十五年(1844)から150年以上本格的な修理はしていなかったそうです。

屋根瓦はずり落ち、雨漏りもあったとか。大雨が降った際には堂内の備品を運び出していたとのこと。

観光で入館料を取るような寺院でないと修復の費用を捻出するのは難しいようです。文化財であれば国から補助金がでるのではないか、と思われるかも知れませんが、国指定(国宝や重要文化財)でないと対象にならないのです。

そこで今回はクラウドファンディングが活用されたとのこと。

2、物語が生まれるまで

まず公式HPから観音寺の来歴をたどってみると

もともとは伊吹山の山中にあった四大護国寺の一つであったとされています。現在の地に移ったのは正元年中(1259〜60)とも貞和三年(1347)とも言われています。

領主であった佐々木氏や浅井氏の厚い庇護を受け、豊臣秀吉が長浜城主となってからも安堵を受けていました。

ある時秀吉が鷹狩りの帰りに立ち寄り、お茶を所望しました。

たまたま寺で小僧をしていたのちの石田三成が、最初はすぐ飲めるよう、ぬるめのお茶を大きな碗で差し出し、2回目は中くらいの熱さ、大きさの碗で、三度目は熱いお茶を小さな碗と気配りを示しました。

その才能を見込んだ秀吉によって取り立てられ、五奉行の一人として信頼を勝ち取るまでになります。

ただこの逸話も同時代の史料には記載がなく、江戸時代になってから流布した話なのでどこまで本当かわかりませんが、

江戸時代以降の人々のなかで石田三成像を形作るものになったことは間違いありません。

その後観音寺は彦根藩井伊家の庇護を受けて明治を迎えます。

3、汗をかいた者だけが生き残る

クラウドファンディングは様々な分野に用いられるようになってきましたね。

今回は「石田三成」という非常に知名度の高い武将が、出世の糸口を掴んだ由緒ある寺院だからこそ、資金を集められたということになるでしょうが

修復費用3000万円の大半をまかなったと記事にはあります。

前にもnoteで書きましたが、国、文化庁は「文化財は保護から活用へ」という方向へ舵を切ろうとしています。

従来は

国宝、重要文化財を選定して、補助金を出す代わりに様々な制限を設けて守ること

を重視してきましたが、今後は文化財を活用することで自ら維持管理や修復費用を捻出するという形に持っていこうとしています。

国の財政難とか、文化に対する姿勢が透けて見える気がしますが、

見方を変えると、努力次第で国の言いなりではなく、自由な発想で歴史文化を守り発信していくことができるチャンスでもあります。

今後も全国で様々な事例が報告されていくと思いますので、注視していきたいと思います。

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