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イーディス・ウォートンを推す:『エイジ・オブ・イノセンス』

 このたび発売された『ほんやく日和vol.3』でイーディス・ウォートンの短編「ミス・メアリ・パスク」を訳しました。そして気づいたのですが、残念ながらウォートン読者は意外と少ないんですね。訳書がほぼ絶版では無理もないかもしれませんが……。

 そこで、「ミス・メアリ・パスク」を読んでくださった方に『エイジ・オブ・イノセンス』をはげしくお勧めしたい。とっくに読んだという方にも、あらためていかがですか、と推したい。


 まずは「ミス・メアリ・パスク (1925) の簡単なご紹介を。

 主な登場人物は3人。語り手の男は知人グレイスとの約束を思い出し、彼女の姉メアリ・パスクの家を探しに霧深いブルターニュの海辺を進むが……文字どおり読者を煙に巻く、幻想怪奇色の強い作品です。

 つづいて『エイジ・オブ・イノセンス』 (1920) を簡単に。絶版ですが、以下の引用部分はすべてこの版のものです。

 上流階級における三角関係。まもなく妻となるメイと、異国の結婚生活から逃れてきたオレンスカ夫人とのあいだで揺れる主人公のアーチャー。オールド・ニューヨークの儀礼作法に逆らい、夫人と心を通わせるものの、広い世界へ通じる道は周囲の圧力によって一度断たれてしまう。


 『エイジ・オブ・イノセンス』を読めば読むほど「ミス・メアリ・パスク」が思い出され、相互の読みが強化されるのです。

 たとえば、『エイジ・オブ・イノセンス』のアーチャーが最終章で妻メイについて振り返る箇所。前半の描写は「ミス・メアリ・パスク」の姉グレイスと重なります(後半の描写からは終盤の場面を連想するかと思います)。

寛大で、忠実で、疲れを知らなかったが、想像力と成長力に欠けていたので、彼女が一度も変化に気づかないうちに、青春時代の世界は粉々に崩れて、また再建されていた。(p.444)

 アーチャーは想像力(imagination:image〈像〉を想う力)に欠ける妻をほとんど軽蔑しており、自身はオレンスカ夫人といつか結ばれる展望(vision)を描きつづけます。一方、「ミス・メアリ・パスク」でも語り手が想像力のないグレイスを見下しているのは同じですが、彼の場合は幻影(vision)を見ることになります。

 (オレンスカ夫人も登場して早々に「ミス・メアリ・パスク」の核心をつく発言をしますが、ネタバレのためカット)


 さらに、自分とオレンスカ夫人を引き離すために集まった一族を前にして、アーチャーが気圧される場面。

……直接的な行動より含蓄や類推を優先させ、性急な言葉は沈黙させる恐ろしい感覚が、家族の地下納骨堂のように自分を閉じこめてしまうのではないかと思われた。(p.428)

 ここに要約されたオールド・ニューヨークのお上品なスタイルは、言外暗示だらけの「ミス・メアリ・パスク」の語りと同質のものです。その語り手と同じく、アーチャーもやはり女の恐ろしさに戦慄する運命にあります。


 怪奇作品ではないものの、『エイジ・オブ・イノセンス』にも、心を殺した登場人物の象徴として死のイメージが散りばめられています。アーチャーとオレンスカ夫人の密会場面などは、静かで不穏で、メトロポリタンミュージアムの「セスノーラ古代遺物」室というロケーションも最高。まるごと引用したいところですが、一部をどうぞ。

足音が近づき、組み紐の飾りつきの帽子をかぶった警備員が、死都をさまよう亡霊のように、落ちつきなく部屋を歩きまわった。……警備員の姿がミイラや石棺が並んだ部屋のほうに消えたとき、アーチャーがふたたび話しはじめた。(p.396)

 このように、ジャンルの異なるこの2作品を併せて読めば、イーディス・ウォートンをより深く堪能できることまちがいなし。今後さらに訳書が出ることを楽しみに、『エイジ・オブ・イノセンス』から始めてみてはいかがでしょうか。

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