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「魔女の宅急便」を読んで

『魔女の宅急便』は子どもの頃から大好きな本のひとつだ。最近、久しぶりに思い出し、引っ張り出して読んでみた。学生の時に、文庫本で出ていたのを買いそろえたものだ。小学生の自分が夢中になって読んだそれは、大人になった今読んでも、充分面白い。短いお話が詰まっているから、隙間時間を使って読めるところも良かった。懐かしくなって映画の方も20年ぶりくらいに観たし、特別編も二冊出ていたので、そちらもついつい買ってしまった。

魔女の宅急便は、映画と原作ではけっこう違いがある。私の中では、別物に近い。原作では飛ぶ力が弱まることはあってもキキが飛べなくなってしまうことはないし、ジジの言葉が全く分からなくなることもない。
お届け物のお礼では「もちつもたれつ」を大切にしていて、お裾分けという形でちょっとした物を受け取るのだけれど、映画版ではきっちりとお金を受け取っている(もちろん女の子がひとりで暮らしていくのにお金は必要不可欠だろうから、ここはまあリアルだなあと思った)。

違いを言い出したらとにかくきりがないけれど、映画は映画ですごく好きだ。キキがほうきで飛ぶシーンはもちろん、とんぼさんとふたりでプロペラ付きの自転車に乗るところも見ていてわくわくするし、ラストのとんぼさんを助けにいくシーンもはらはらしながら観てしまう。ユーミンの歌も、いまだ口ずさむくらいには懐かしい。


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魔女の宅急便は、キキの成長物語だ。巻を追うごとに、キキが魔女として、ひとりの女の子として、成長していっているのがよく分かる。最初は十三歳から始まって、十四歳、十六歳……最終巻では、とんぼさんとの間に双子の男の子と女の子が生まれて、キキはお母さんになっている。ジジも、たくさんの子どもに恵まれて、立派なお父さんになった。

原作では、角野さんの表現がすごく魅力的だと思う。オノマトペにはどれも個性があって、面白い。くくくっと笑ったり、ふああーんとあくびしたり、ぷーっと吹き出したり。私のオノマトペ好きの原点はもしかしたらここかもしれない。
食べ物の描写でも、うす桃色のゆすらうめのジュースや、ぴりっと辛い黒こしょうクッキー、ねじりんぼアメを差し込んだふうせんパンなど。どれもかわいくて、思わず食べたくなるような書き方をしてある。


子どもの頃は、純粋にファンタジーな物語として読んでいたので、魔女であるキキに対して憧れを持っていた。空を飛べるっていいな、どんな感じだろう。双子みたいに一緒に育った魔女猫がいるのも羨ましかった。当時家にいたのは真っ白の猫だったので、黒猫だったら良かったのに、とちょっと思ったくらいだ。映画はともかく、原作のジジはやや大人ぶっていて皮肉屋なところがあるので、実際いたら口うるさそうではあるけれど。

当時は年上のお姉さんだったキキも、大人になって読み返せば、自分がそうだったように、悩んだり不安になったりする、ひとりの女の子だったんだな、と気づいた。自分もキキくらいの頃には、一生懸命背伸びをしたり、見栄を張ったり、今思えばちょっとしたことで悩んだりしたなあと、共感できることも多い。単純に昔読んだことがあるから、だけじゃなくて、そういうことを色々と思い出して、すごく懐かしい気持ちになった。


色んなお客さんや他の魔女との出会いとか、お母さんの͡コキリさんから受け継いだ新しい魔法とか、とんぼさんとの恋とか。ときには魔女の仕事について立ち止まって考えたり、疑心暗鬼になって嫌な思いもしたり、逆に嬉しい気持ちや幸せな気持ちをおすそわけしてもらったり。

そういう出来事を通して、成長して大人になっていくキキとジジの姿と、ふたりを取り巻く人達の姿が、原作ではとても生き生きと描かれている。映画のその先の物語に興味のある人には、ぜひ読んでほしいなと思う。

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