見出し画像

雑記

もともと、フェミニストとして、ジェンダーの話をするために、このnoteを始めたのに最近では、もっぱら自分のことしかnoteに書いていない。
自分と向き合うためだけにこのnoteで感じたこと、考えたことをただ殴り書きして何も推敲せず、ポンっと公開している。

もし私のことを知っている人に見られたら、どこかの洞窟にでも隠れていたい。
赤裸々に、かつ何もフィルターを通さずに、心のうちをぶちまけているから。

昔に書いたnoteを久しぶりに読んで、感じたこととして、なぜフェミニズムとか、ジェンダーとか最近文章にしていないのかということがある。
大学生のあの頃、フェミニズムを勉強し始めたあの頃、社会に対して疑問を持ち、言語化できるようになったあの頃、理不尽だとモヤモヤしていたあの頃。

あの頃は私もいっぱしの大人だと思っていたけれど、やはり幼く、まだまだ未熟で、言語化できることも限られていて、でもだからこそ、自分の中に落とし込みたくて文章を書いていたのだろう。

今だってまだまだ未熟で、まだまだ大人にはなれなくて、いつまで経っても子供な気がする、まだまだ大人にはなれそうにないようだ。

教養がある、とは広く知識があること。
大人になるということは、大人として、子どもの模範になれるような、尊敬できる人になるということだと思っていた。

まだまだ、私は子どもすぎて、大人への憧れ、期待が強かった。

大人であっても年だけ重ねているだけで、精神的に成長しているわけではないんだなとか、大人だったら広く深く知ってるんだろうなとか、合理的に考えられるんだろうなとか、大人に対しての期待がいっぱいあるまだネバーランドにいる私は、社会に対してまだまだナイーブだ。

会社に入って、仕事をしている今の状況、まだ小さかった小学生とか、中学生とか、社会人なんて本当にお姉さん、お兄さんだと思っていたあの頃から、まだ抜け出せない。

小学生の時、小学校5年生のお姉さんに可愛がられていた。お姉さんは私にとってとても大人だった。
中学生の時、道ですれ違う自転車通学をしているお姉さんお兄さんに対して大人だな、眩しいなと思っていた。
高校生の時、自由に見えた大学生に大人っぽさを感じて憧れていた。

全部全部ずっとずっと大人は私よりすごくて、いっぱいいろんなことを知っているものだと思っていた。でも違うのかもね、そろそろ私も下の子どもたちからもしかしたら大人だなあと見られているのかもしれないなと視点を変えることもできるようになった。自分の主観的な見方だけではなく、客観的な視点を持てるようになったということ?それって大人になったっていうことなの?


繊細さって一種の幼稚性だっていう言葉にぐさっと刺された。
いつだって私は心をむき出しにしてすぐ傷つく。赤子が、幼児が、何もガードせず傷つくように。誰でもすぐに信用して、裏切られて、傷つく。
その傷ついた可哀想な私を演じているにすぎないのだろうか。悲劇のヒロインぶって、心優しい友人に面白おかしく話して、味方になってもらう、なんて、いいように都合の良いように素材として得ていないだろうか。

友達に話したらウケるななんて考えている、柔らかい心を差し出して。
すぐに傷ついて、被害者ぶって、もう少し自分の身を守れるように、何かしらの対策を講じることができないの?

感受性が豊かだ、人に共感しやすい。人が悲しんでいる時、一緒になって悲しむことができる。これまで繊細さ、共感のしやすさ、自他の境界線のなさは、友人関係をうまく円滑に回すためにはいいように運ぶものだった。
でも、反対に、自他の境界線があまりないことは自分と他人を混同しやすく、他者に不必要に干渉してしまい、相手をコントロールしようとしてしまう。
これまで、人に共感しやすいという自他の境界線のなさは、メリットしか私に与えてこなかったけれどここにきて、私に牙を向いてきた。

自他の境界線をはっきりとさせたい。他人と自分は違うことを理解したい。
頭では理解しているけれど、切羽詰まった時に何も行動できないということは、理解できていない、体に落ちていないということだろう、わかっている。

どうせこのnoteにも〜したいなんて綺麗事を書いて、どうせ書いてすぐ忘れる。そんな自分のいい加減さが嫌いだ。

日記、考えたことを書き殴るなんて言ったって、人が見ることを想定して書いている文章は自分をよく見せたい、自分を素敵に飾りたいという虚栄心も現れてしまうので、ある程度綺麗にされた言葉を紡いでいるにすぎない。

自分をありのままに見せたいという思いと、他人からどう見られているのかという自意識過剰さ、相手によく見られたいという、いいなあと思ってもらいたいという自己顕示欲。全てが満たされず、臆病な自尊心が肥大して私も虎になってしまいそうだ。

虎になった私に誰か気づいてくれることを心の底で祈りつつ、人生を進めていきたい。



ごちゃごちゃと考えることをつらつら書き綴っている。本当に、心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、という感じだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?