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「新文芸坐ゴジラまつり ゴジラとジャガーでオールナイト」に行ってきた話

 無尽蔵にあったように思えた連休も残りわずかとなり、サザエさんのエンディングテーマに怯える時間がやってきた。地元に帰省したり旅行にいったりと様々な過ごし方がある中で、そもそも「ゴールデンウィーク」とは興行増を狙った日本映画界の造語が由来なのだから、映画を観るのもまた一興と言えよう。なので、日本映画といえば『ゴジラ』、しかもオールナイト4本連続という世にも恐ろしい宴に参加してきたので、その模様をお伝えしたい。

 来たるこどもの日、5月5日。池袋の名画座である「新文芸坐」にて行われた本オールナイト、まずはその演目をご覧いただきたい。

 何とも圧が強い。よりによってあの『シン・ゴジラ』がこの中では最もパンチが弱く、よもや休憩時間として設けられたのではないかと錯覚するような狂気のラインナップだ。眠い目をこすり映画館に辿り着いて、観るのがジャガー・ヘドラ・マグロ喰ってるようなヤツのジェットストリームアタック。これには目の肥えた映画ファンも困惑したのか、当日は「満席ではなかった」ことをお伝えしておこう。

 筆者が開場10分前の22時頃に劇場に着いたころ、まさかのアイツが待ち受けていた。

 もしや劇場スタッフの私物なのか、あるいは今回のためにわざわざ取り寄せたのか、どちらにせよ劇場側のやや方向音痴な(褒めてます)出迎え方に年期の入ったゴジラファンも騒然としており、これは一筋縄ではいかないと思った矢先、上映前の劇場に突如鳴り響く子門真人の声…。そう、あの往年の迷曲「ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ」が流れ出したのだ。

 いったいこれから何が始まるのか。そんな期待と不安入り交ざる中、「ゴジラとジャガーでオールナイト」が始まった。


ゴジラ対メガロ(1973)

 人類の核実験によって被害を受けたシートピア海底王国はその報復のため守護神メガロを地上に派遣。その案内役として、科学者の伊吹吾朗が製作したロボット・ジェットジャガーに目を付ける。

 筆者はお恥ずかしながら平成生まれであり、『メガロ』を大スクリーンで鑑賞するのは初めてだ。DVDで繰り返し観た、かつての東宝マークを目にした時は、大変心が躍ったものである。とはいえ本作は、ゴジラが子どもたちのヒーロー路線最盛期の時代のもので、当時の制作陣の気の緩みから生じる作りの甘さが、深夜のテンションも相まって笑いに繋がったのは、予期せぬ化学反応であった。

 その代表格がご存じジェットジャガーだ。どうみても悪人面の等身大ロボットが、とつぜん正義の心に目覚め、何の説明もなく50メートルに巨大化し悪の怪獣と闘う。変身ヒーロー番組の流行を受けて生まれたこのキャラクターだが、巨大化に至る過程において本来であればフィクションとはいえ何らかの理由付けがなされるところ、そういったものを一切放棄する潔さ。当初はジャガーの一挙手一投足に笑いが起きていたものの、一度巨大化しメガロ、ガイガンと激闘を繰り広げる場面に進むと、その子どもの喧嘩じみた戦闘シーンに水を打ったように静まる場内。東宝チャンピオン祭りの大らかな時代が許容したこの緩さは、深夜の疲れ切った脳内にとてもよく沁みる。いわゆるツッコミ所満載なのだが、ポリティカリーコレクトや人種のバランス等で何かと配慮が必要な現代において、たまにはこういう映画を観るのも頭の体操に良い。そんなことを思う80分強であった。

 よもや『メガロ』で起きるとは思わなかった終映後の拍手と共に、インターミッションへ。またしても流れる「ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ」に気が遠くなるような思いをしながら、次の作品へ進んでゆく。

シン・ゴジラ(2016)

 『メガロ』と続けて鑑賞することで浮き彫りになる本作のリアリティ。現代日本に突如、未知の巨大生物が現れたらどのような事象が起こるのか。その目線を徹底した政治劇が題材となる『シン・ゴジラ』の内容の豊かさは、ここであえて語る必要はないだろう。

 繰り返し劇場や家庭で鑑賞したとはいえ、やはり見劣りすることのない面白さ、そして見知った風景が破壊されていく恐怖。やはり東京で観る『シン』は格別の一言だ。ただし、深夜の疲れが影響したのか、矢口蘭堂の演説シーンの前後で筆者は睡魔に負け、「宇宙大戦争マーチ」という最高の目覚まし時計で意識を取り戻したことを告白しておきたい。日ごろお世話になっている中央線車両の特攻には、目頭が熱くなる。

 やはりゴジラファンが集まっていることもあってか終映後の拍手は恒例だが、特に『シン』は大きく鳴り響く、力のこもった拍手であった。休憩時間には劇場名物の「サモサ」を食べ、深夜の揚げ物の背徳的旨さに気持ちも明るく、次の“試練”への準備は万端と言ってもよかった…はずなのだが。

ゴジラ対ヘドラ(1971)

 そして3本目を務めるのは、ご存じシリーズ最大の異端児にして問題作。『メガロ』『シン』で削られた精神にさらなる追い討ちをかけんとする劇場側の底知れない悪意(いつもお世話になっております)を感じさせるこのラインナップに、改めて畏怖の念を禁じ得ない。

 当初はここで仮眠を取ろうと思ったものの、そのサイケデリックかつショッキングな映像・音楽が脳裏から離れず、かえって覚醒してしまったのは、後の展開を思えば失敗だったかもしれない。名曲「かえせ!太陽を」に乗せて繰り広げられる悪夢的光景、全編に漂う死の香り、そしてあの気の抜けたゴジラのテーマ曲。「ポワ~ン」という何とも言えない旋律が疲れ切った脳にノイズとして処理され、BGMが鳴り、子役が叫ぶ度に落ちかけた目蓋が強制的に開かれる。眠ることを許されないとなると最早拷問、なぜこのような責め苦を受けなくてはならないのかと、チケットを自ら買った身で責任を転嫁し続けた当時の私は、明らかに正気ではなかった。

 結果、全編ノーカットで鑑賞してしまい、メインディッシュのための体力温存計画は水泡に帰した。そして、深夜に観る『ヘドラ』はヤバい、ということを痛感しつつ、最終戦に赴いた。

GODZILLA(1998) 日本語吹替版

 満を持して最終決戦、あのハリウッド版ゴジラのご登場だ。ギャレスではない、エメリッヒのゴジラである。この作品を大スクリーンで観る機会などそうそう恵まれるものではないだろうし、筆者にとっても本オールナイト一番の目玉として、前売券を買う大きな後押しになった一作である。

 思えば、ゴジラファンはこの作品の扱いにはとくに注意深くせざるを得ず、その評価も長きに渡り議論の対象となっていた。筆者も幼き頃、両親に連れられて映画館で鑑賞し、幼いなりに何かしらの違和感を抱いたこの作品。20年の時を経ての再会で、自分にとっても大きな転機になるかもしれない。そんな期待を胸に、座席に深く腰掛けた。

 しかし、この日観たエメゴジは違った。ご存じジャン・レノが生存者のおじいさんを脅して(?)「ゴジラ…ゴジラ…」という証言を得るあの有名なシーンが終わると、気づいたころには主人公一向はマディソン・スクエア・ガーデンで無数のベビーゴジラからの逃避行を繰り広げていた。あれ?NYの摩天楼をゴジラが逃げ回ったり、潜水艦と闘うシーンはどこいった?エメリッヒ特有の薄味人間ドラマをまだ観てないぞ?

 うん。寝てたわ、完全に。そう気づいた頃には映画も終盤、ベビーを殺され怒り狂う親ゴジラが、F-18戦闘機のミサイルに身を焼かれ、息絶えたシーン。上映時間140分、その内の120分あまり、私はウトウト舟を漕いでいたらしい。

 20年振りに旧友に会うはずが、寝過ごして数分しか会えなかった。そう思うと、なんと私は愚かなことをしてしまったのか。映画館の座席で無理な体制で眠ったためか痛んだ身身体をよそに、心は激しく傷ついていた。かつて『バーフバリ絶叫オールナイト』で得たようなあの達成感とは程遠い、無念の慟哭。劇場に鳴り響く拍手にも上手くノれず、初のゴジラオールナイトは幕を閉じた。

あとがき

 劇場を出たのは朝6時過ぎ。朝日が顔を出し、その眩しさに思わず目がくらむ。最後にやや失敗はしたものの、大好きなゴジラ作品を4本を観られたのはとても楽しく、過去の作品を劇場の大スクリーンで観られる機会に恵まれただけでも幸運なことだ。こちらの劇場ではゴジラを初め特撮作品のオールナイトを過去幾度も行っており、恒例行事と化しているらしい。次はどんな作品が上映されるだろうか。その時は体調管理に気を付けつつ、『ヘドラ』だけはやってくれるなと、強く願わずにはいられないのであった。

そして もう いっぴき?

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