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『アイの歌声を聴かせて』愛を歌うAIは命の輝きを機械の身体に宿す。

 『攻殻機動隊』が大好きだ。と言っても、繰り返し観るのは押井守が手掛ける劇場二作や、神山健治氏のTVシリーズ『STAND ALONE COMPLEX』なのだけれど。

 これらの作品では、人間は生身の身体を捨て義体化する者が現れたり、生身を維持しながらも自らの脳を電子化された脳、すなわち電脳へと換装し、自身の身体一つで広大なネットワークに接続する時代が到来している。また、作内に登場する多脚戦車はAIが搭載され、自ら思考する兵器としてその実用性が危ぶまれながらも、タチコマたちが自我を獲得する過程は強く視聴者の胸を打つのである。

 例えば、人形遣いは自らを「情報の海で発生した生命体」と評し、人間が記憶をデータとして取り出し身体を入れ替える技術が発達した時代においては、記録と複製(人間で言う生殖)を行う自分も一つの生命体であると主張し、最終的には「」を獲得することで自らが生命であることを立証しようとする。あるいは、単一の個性・自我を持つはずの人間がオリジナル無き模倣者として自らの単一性を失っていくのとは対照的に、記憶の並列化をしながらもタチコマが「個」を獲得していった要因を、草薙素子は「好奇心」と推察した。

 AIはモノであり、人間の暮らしを豊かにするための道具である。と同時に、高度に発達したAI、例えば、自ら思考し行動を選択することが可能となれば、それはもう生命と呼べるのかもしれない。私たちはその進化に怯えることも、希望を見出すことも出来る。スカイネットの反乱に恐怖することも、愛らしい多脚戦車に萌えることも、ものすごく距離の近い心情なのだろう。

 『アイの歌声を聴かせて』は、AIとの共存をとても肯定的に描いた作品だ。主人公サトミの家は母親の職業柄、家を管理するあらゆる要素にデバイスが紐づいており、カーテンの開け閉めからご飯の炊き具合まで管理してくれて、音声認証でストレス無く動作する。彼女が住む街もAIによる最適化が進んでおり、バスの運転手はAIだし、学校にはお掃除ロボが徘徊している。有事の際の緊急停止機能も完備されており、すでにAIが違和感なく受け入れられ、日常と同化していることがわかる。サトミの家のシステムなんかは『PSYCHO-PASS』にも似たような描写があったけれど、シビュラと比べても印象が180度違って見える。

 そうした段階を踏まえ、ついに「AIを搭載したロボットが人間と違和感なく共同生活を送れるか」を検証することになり……というのが本作のあらすじである。景部高等学校に転入してきた謎の美少女シオンは、実は試験中のAI搭載ロボで、彼女は「サトミを幸せにする」と言っては突飛な行動を繰り返す。そんな彼女の、人間に与えられた命令に忠実であろうとするAIの真っ直ぐさが、思春期の少年少女の複雑でこんがらがった気持ちを「歌」で丁寧に解きほぐしていくのだが、そこにはある秘密があって……。

※以下、本作のネタバレが含まれます。

 どうしてもここには触れずにはいられないのだけれど、シオンの声と歌唱が土屋太鳳さんで本当に良かった。ウルトラマンのファンは土屋さんには頭が上がらないのだけれど、あの方の演技に一生懸命で真面目なところは有名だし、本作では「機械っぽさ」と「人間らしさ」の間を針で縫うようなバランスの演技で、シオンの愛らしさ健気さを120%の出力で演じ切っていると思う。幸せってなんだかわかる?と聞かれて無邪気に「わかんない!」と答えるシオンを観て、私はそこに「ゴースト」を感じてしまった。

● AI・シオンについてのコメント
シオンは、AIと呼ばれる「脳」を持っています。でもその脳は機械で出来ているので、AIの反応と「心」は別だと思われがちです。でも…本当に機械に心はないのでしょうか?
その疑問は、実は私が子どもの頃から感じてきた疑問でもあったので、その思いを切り口に、シオンの心を演じました。「人間に近くなれても決して人間にはなれない」という切なさや、「人間に近くなればなるほど恐れられてしまう」悲しさ。それを突き詰めると、この物語は「AIと人間の友情」を通して、「立場が違う者同士の友情」を描いているようにも感じます。
これからの未来はいろいろなことが進化して、現実世界は狭くなり、仮想世界がいくつも生まれたりするのかなと思いますが、同時に何かが歪んだり、傷ついたり、急激な変化の中で見失ってしまうものがあるかもしれません。『アイの歌声を聴かせて』は、そんな少し先の未来を予感させる物語ですが、「愛情とは何か」という普遍的なテーマが描かれていますので、時代や文化を越えた説得力があると思います。古今東西、老若男女、全ての人に観ていただきたいです!そしてどうか、シオンの夢が叶う一瞬を、シオンと一緒に願っていただけたら嬉しいです。(公式サイトより

 実際のところ、シオンの行動はAIの危険性をも孕んでいる。学校の警備システムと共生し記録を改竄する、三太夫をけしかける、無断で他者のHDDに自己のバックアップを残す。悪意がなくとも、人間の管理の範疇を超えた行動を取ったり、怪我人が出る可能性のある行動はさすがに容認できないし、西城支社長の理屈も社会人としては実に真っ当だ(ゆえに女性の出世を妬む、というキャラ付けが悔やまれる)。目標に実直であるがゆえに、手段の有意性や付随する危険値を算出できていない時点で、人間社会で生きるAIとしてはNGでは、という気がしてしまう。

 ただ、どうなのだろう。シオンの中にある「サトミを幸せにしたい」という想いは、初めこそ人から与えられた命令であったとしても、今や立派なシオンの「感情」であり、「生きる理由」である。何せシオンは再フォーマット(初期化)を逃れネットの海に潜り、ロボットの中に宿ることで「歌う」機能を獲得するに至ったのである。死を恐れ回避し、愛する人のために生きようとする道を模索する。それって、もう「生命」と呼んで差し支えないような気がする。

 そして、本作はその進化も肯定的に描いているところが、私は大好きだ。世界中のAIがシオンみたいになったら「騒がしい」どころでは済まないのだけれど、誰かを幸せにしたいと願い行動するAIはそれを観た私たちの心までも明るくすることを、この映画が証明してしまったからだ。シオンは、「友達が喜んでいるから幸せ」になったサトミを見て学習し、アプローチ先をトウマへと変更したのだけれど、幸せは人から人へ伝播するものであるのだから、彼女は真理を学んだと言っていい。そして、サトミが幸せになった姿を見てシオン自身が「幸せになる」ことで、彼女の長い長い旅に一区切りが打たれる。誰かの喜びが自分の心を満たしていくように、人の幸せとは他者との関係の中で育まれ、それがまた別の人へと移っていく。そんな忘れがちな当たり前を、シオンが思い出させてくれた。だからこそ、この映画は観た人にとって愛おしい一作になるのだろう。

 AIは、テクノロジーは、日々進化している。現実社会がこのアニメに追いついた時、世界は今よりも明るくなっているだろうか。労働に疲弊し命を絶つ者は減っているだろうか。便利になった世の中で、人々はより自分らしく生きているだろうか。私は、AIに管理されるディストピアよりも、AIと人間がお互いを幸せにしようと肩を並べて生きる社会になったらいいなと、今なら呑気にそう思える。高すぎる理想だけど、シオンが見守って、励ましてくれる世界の方が、今よりきっと優しくなれる。自分が生きている内に、AIに「友達になろうよ」と言える日が来たら、私はシオンの歌声に再び耳を傾けてみよう。

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