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Music is power = 『SING/シング: ネクストステージ』

取り壊し寸前だった劇場を立て直し、今や地元のスターとなったバスター・ムーン支配人とパフォーマーたち。彼らはより大きな舞台でのショーをするために大都会“レッドショア・シティ”に赴き、巨大な劇場のオーナーであるジミー・クリスタルのオーディションに潜入する。見事に公演を任されることになったバスターたちだが、その契約を取り付けるための条件として15年前にエンタメ界を去った伝説のロック歌手クレイ・キャロウェイの復帰を約束してしまい、バスターは史上最大規模のショーの準備とクレイ出演の交渉を並行して進めなければならない羽目になってしまう。

 「劇場鑑賞はマスト、かつ絶対に吹替え版で観る」という使命感を勝手に背負うくらいには、5年前の前作に惚れ込んでいた。自分を表現する機会に恵まれず、ただ埋没していく日々を送っていた市井の人々(動物だけど)が、ついにステージに立つことで報われ、客席を感動の渦に飲み込む。歌唱力一本で物語に説得力を持たせ、湿っぽいドラマを最小限にしつつクライマックスのステージにエモーショナルを傾けた前作『SING』は、イルミネーション・スタジオの中でも群を抜いてお気に入りの一作。

 あれから5年を経た本作は、そんな前作をも凌ぐとんでもないパワフルな一本になっていて、パフォーマンスが終わる度に思わず拍手したくなってしまう。前作のキャラクターは「歌えない」葛藤をすでに乗り越えているため、あがり症を克服したニーナは冒頭から化け物級の歌唱力を惜しみなく披露するし、そこにジョニーのピアノと歌唱が合わさってすでに最強に見える。キャラ名で書くとピンとこないかもしれないので中の人表記にすると「MISIAと大橋卓弥と坂本真綾が共演してミュージカルを唄っている」ことになり、もうこの時点で入場料金分の元が取れてしまう。歌が上手い人×歌が上手い人=最強の法則が揺らぐことはないので、安心して吹替え版を観に行って欲しい。

 長澤まさみも斎藤司(トレンディエンジェル)も抜群に歌が上手い。その上さらにアイナ・ジ・エンド(BiSH)と稲葉浩志(B'z)が乗っかってくるので、終盤のステージはもう笑うしかなかった。B'zの稲葉が吹き替えもやって、マジで歌唱するアニメですよ!?!?なんて贅沢な映画なんだ。仮にこのメンバーが揃うライブがあったら、ギャラはいくらになるんだ??とかスケジュール調整するライブスタッフの作業量は地獄だな……と思わずにはいられない豪華絢爛ぶりに、全編スタンディングオベーション。揃いも揃って歌が上手すぎる。権利上の関係か全曲が収録されていないのが悔やまれるが、鑑賞後は必ず聴きたくなるので座席を予約したらサントラも同時に抑えておくといいです。サブスクでも聴けます。

 音楽周りはどれだけ褒めても足りないくらいなのでこの辺にしておいて、実を言うと本作、ストーリー面では前作の展開をなぞっており、加えて言うのなら「歌唱が強すぎてドラマパートが薄味に感じる」点も据え置きであった。

 歌うこと=自己表現が出来なくなってしまったキャラクターが、バスターのステージと出会うことで歌う喜びを取り戻し、クライマックスで最高のステージを披露し喝采を浴びる。その縦軸を中心として枝葉に「自分らしく生きられないモヤモヤ」「多種多様なジャンルの音楽が矢継ぎ早に繰り出されるオーディション場面」「バスターが身体で笑いを取る」がある点は、とても既視感があった。同じく表現欲求を題材にした『リトル・ランボーズ』に引き続き、監督・脚本を手掛けるガース・ジェニングスの作風と言っていいのかもしれないが、創作やパフォーマンスによる表現への憧れや、それを介して自身の誇りを取り戻すこと、他者との絆の深まりを描くといった物語が、前作から通底する『SING』シリーズのテーマを表しているようだ。

 薄味、と書いてはみたものの、本作を貶すつもりは一切ない。むしろ本作は、台詞による直接的な説明を極力廃し、歌唱と演出によってキャラクターの心情を表現することを突き詰めた結果、「いつのまにか歌い始めていた」という印象が強まってしまったがゆえの所感なのだ。

 今作のステージ成功に欠かせないのは、妻に先立たれステージに立てなくなったクレイ・キャロウェイと、放任的だが一方で自尊心の強い父に抑圧されているようにも見えるポーシャ、この二人が心置きなく歌えるようケアをするのが我らがバスター・ムーンのミッションだ。だが、直接的な理由を与えるのは前者ならアッシュの歌であり、後者はポーシャ自身の反省である。思い返せば、バスター・ムーンという男(?)のビッグマウスぶりと彼を支えるのは愛すべき団員たちという構図も、前作同様と言える。

 とくにクレイ・キャロウェイを巡るエピソードは、物語における最難関なミッションである……と思わせて、出演の承諾から合流までは思いの外あっさりと描かれる。長澤まさみの歌唱力に説得力が宿っていて思わず見逃してしまいがちになるが、歌を聴きしんみりした表情を見せたと思いきや数分後にはバイクで爆走してバスターたちの元へ向かっており、頑固者に見せかけて実は話の早いこのライオン(イケボ)、展開を停滞させない気配りが見え隠れする。

 そう、これがまさに「SINGらしい」のだ。「オレはハチミツ入りの紅茶は飲まない!!なぜなら妻が入れてくれたのはいつもこの紅茶で……(回想シーンに突入する)」とか言ったりしないし、妻の幻影が彼を奮い立たせるために声をかけたりもしない。台詞でいくらでもわかりやすくしたり、ウェットな劇伴で涙を誘うことも出来るけれど、あえてそうしない。今の気持ちを直接的な言葉で口にしない代わりに、彼らは歌い、舞うのである。勇気が出せない自分の気持ちも、恋のトキメキも、負け犬じゃないぞと言い返す時も、常に歌がある。物語を、人の心を動かすのは、常に歌唱である。その大前提があってこそ、『SING』のパフォーマンスは胸を打つし、感動する。

 この姿勢が素晴らしくて、それはつまり作り手が歌の力を本当に信じていることの何よりの証左であり、それは実際に叶っているのである。キャラクターの感情を台詞ではなく、歌に託すこと。それを表現できる歌声の持ち主を選び抜くこと。それが達成できなければ破綻しかねないところを、キャストが圧巻の歌唱力で成し遂げる。『SING』はスタッフからキャストへの信頼と、さらには「歌」というものへの多大なるリスペクトが折り重なったとてつもない力作であり、それを劇場の大音響で浴びるのは幸福としか言いようがない。何度でも観たくなるし、世が世なら発声上映もさぞ盛り上がったはずだ。

 それでいて、我々日本人は「自分たちの言語で『SING』をストレートに楽しむことができる」という、とても恵まれた立場にある。よほど英語に精通していたり、他国のポップミュージックへの知識が無かったとしても楽しめるのは、歌詞が聴きなれた言葉として耳に入ってくるからに他ならず、前作に引き続き蔦谷好位置氏、いしわたり淳治氏にはどんなに感謝してもしきれない。こんなに丁寧な翻訳と監修がなされた日本語吹き替え版、日本人なら劇場で観ないと勿体なさすぎるのである。ぜひ劇場へ。


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