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ゾンビよりも反抗期と安達祐実の方が怖い!『ゾンビランド:ダブルタップ』

 「10年越しの続編」と言われるとつい身構えてしまうものだけれど、本作を鑑賞しながら感じた安心感や居心地の良さは一体なんなのだろう。ずっと続いて欲しい、終わって欲しくないと願わずにはいられない、楽しい楽しい同窓会のような雰囲気を体感できる映画、そのタイトルは『ゾンビランド:ダブルタップ』という。ゾンビなのに同窓会なのだ。

爆発的なウィルス感染によって人類がゾンビと化した中、コロンバス、タラハシー、ウィチタ、リトルロックの4人は、コロンバスが作り上げた「生き残るためのルール」に従い、10年もの間サバイバル生活を続けていた。だが、10年の間にゾンビも進化し、彼らの関係性にも変化が訪れる中、リトルロックが突如家出してしまう。

 2009年に公開された映画『ゾンビランド』は、人類のほとんどがゾンビ化した世界をいかに生き延びるかという小さな物語を、明るく楽しく描いた一作だった。ゾンビを倒すことが目的ではなく、ただ生き延びるということだけに主軸を置いたゾンビ映画。その過程で、引きこもりの大学生が仲間を得て、ルールという殻を破り、ヒーローになる物語でもあった。そんな愛らしい一作は映画ファンにも受け入れられ、1億ドルのスマッシュヒットを記録。その10年越しの続編は「再会」とも言うべき喜ばしい出来事だ。

 10年も経てば、色々な変化が起こる。ルーベン・フライシャー監督は『ヴェノム』を、脚本のレット・リース&ポール・ワーニックは『デッドプール』を手掛けるヒットメーカーとなり、キャストはオスカーやアカデミーにノミネート、あるいは受賞するほどの実力と地位を確立している。そんな彼らが再結集するに当たり、スケジュールの調整等並々ならぬ苦労があっただろうし、苦労した分の力が入った渾身の一作になることが予想される。だが、実際の本編は不思議と肩意地の張っていない、驚くほどに「あの頃の」ゾンビランドであった。

 前作から10年経ち、生存者4人は「家族」と呼べる間柄になっていた。だが、コロンバスとウィチタの恋愛は最近マンネリ気味で、リトルロックは父親代わりのタラハシーに対してやや反抗期気味。少女から大人に変わる過程で同年代の人と接する機会もなく、友情や恋を経験することが出来なかったリトルロックは、些細な出会いをきっかけに家(ホワイトハウス)を出て行ってしまう。

 前作のその先として本作が踏み込むのは「愛」である。かつては人付き合いの苦手だった青年のコロンバスは、ずっと欲していた家族を得て、ゾンビ化以前よりも楽しいと語るほどに充実していながら、ウィチタとの関係を進展させようと考えている。流れ者のタラハシーはその長として、幼いリトルロックの父親役を務めようと必死だが、その想いは微妙に届いていない。仲間から家族へと変化した関係性の中で、恋愛、あるいは疑似親子としての理解と成就をテーマとしており、10年の成熟を感じさせる。

 一方で、ゾンビたちも進化していた。知性を持つ「ホーキング」に音も無く忍び寄る「ニンジャ」、そして不死身の如き生命力を持つ「T-800」といったタイプのゾンビが生まれ、サバイバルの難易度も上がっている。そのためかコロンバス製の「生き残るためのルール」は32から73へと倍増し、今作に登場する他の生存者たちも曲者揃い。10年を経て文明崩壊後の世界に適応しつつある人類の姿も描かれ、4人だけの世界であり続けた前作よりも確実に視野は広がっている。

 それでも、『ダブルタップ』は10年前と何も変わらない、みんな大好きな『ゾンビランド』のままで帰ってきてくれた。コロンバスが放つ映画ネタやメタ視点、「生き残るためのルール」のテロップ演出、ビル・マーレイ。あの頃大好きだったアレコレが、確かにパワーアップしているのに、どこか「懐かしさ」を漂わせながら大スクリーンを埋め尽くす。焼き直しと言われればそれまでなのだけれど、「アイツらが帰ってきた」という感覚を強く呼び起こさせる本作の構造は大正解だし、むしろ作り手もそれを楽しんでいるような印象さえ受ける。だからこそ本作は面白いよりも「嬉しい」が先に口から零れてしまう。

 「生き残るためのルール」の中に「小さいことを楽しめ」という項目があるのだが、『ゾンビランド』を表すのはまさにコレだ。人類がゾンビと化した悲惨な世界でも、食べ物や人との関わり、あるいは「秩序が無いからこそできること」を楽しむ。どんな世界でも楽しく生き抜いていくというコロンバスら4人の生き方に、我々は笑顔と喜びを受け取っていた。

 続編である本作も、その幹の部分は曲げていない。秩序も格差も無いこの世界で、やりたいようにやる。プレスリーになりきるタラハシーも、恋がしたいと走り抜けるリトルロックも、自分のやりたいように生きようとするひたむきな心があってこそ。そんな姿が可笑しくてたまらないし、家出した子を探しに行くというゾンビ映画らしからぬプロットも微笑ましい。その過程で起こるありとあらゆる出来事の馬鹿馬鹿しさに、心底腹を抱えて笑って帰る。これでいいんですよゾンビランドは。ゾンビを根絶やしにするとかアンブレラ社を倒すとかではない、もっと小さな「人と人」を描く姿勢を前作から変えなかった作り手たちの愛を、劇場で存分に浴びていただきたい。

 ところで、本作の吹替え版はわりと手が込んでいて、劇中のテロップはディズニー映画のように和訳されたものがちゃんと映像に挟みこまれるし、吹替え声優はゾンビ映画と縁のあるキャストが揃っている(前作とは総入れ替えにはなってしまったが…)。その上『ゾンビランドサガ』とのコラボとしてアニメの声優陣もゾンビ役として声を充て、それにまつわるキャンペーンも行われている。が、真のMVPは何を隠そうあの安達祐実である。

 まずはこの動画を再生し、ピンクのモコモコした服装の女性の声に耳を澄ませていただきたい。まっっっっっったく知性を感じさせないこの喋り、妙にカンの障るバカ感、この声の主こそ安達祐実御大その人だ。よもやこんな引き出しがあろうとは。「常にハイテンションの年齢不詳ギャル」という不安しかないキャラクターに全力で命を吹き込む安達祐実、ぜひともアフレコ映像をBD特典に入れていただきたいし、安達祐実の演技目当てで吹替え版を観るという選択肢は積極的にアリ。その圧倒的実在感はどのゾンビよりも恐ろしく、安達祐実の豊かな演技力と、この役に安達祐実をキャスティングしたソニーピクチャーズ日本支部のセンスに必ずや畏怖するだろう。吹替え版、オススメです。


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