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人生に余裕を持て。隣人を愛せよ。映画『アオラレ』

 かつて、この世で最高の映画のあらすじとは「マ・ドンソクが女子高の体育教師になる」でおなじみ『守護教師』だと思っていたが、「煽り運転する車の主がラッセル・クロウ」がエントリーしてきた。企画書のコンセプトがあまりに強すぎるため、自分が映画会社の偉い人だったらすぐに承認してしまいそうな魔力に満ち満ちている。そしてまさに彼ありきで進められたであろう本作だが、当のラッセルご本人は「当初出ないつもりだった」らしい。ホント、出演してくださってありがとうございました。アナタなしでは完成しない映画でしたよ、マジで。

 シングルマザーのレイチェルは息子を学校に送り出すために車を急がせていたのだが、ひどい渋滞にハマってしまう。そして、前には青信号になっても発進しない車が。仕事も人生もうまくいかない苛立ちを抱えていたレイチェルはクラクションを鳴らしその車を追い越すのだが、その車の主がよりにもよってラッセル・クロウなのでさぁ大変、というのが本作の物語。しかもこのラッセル・クロウ、元嫁とその恋人を殺害して指名手配真っ最中のラッセル・クロウで、要は危険度MAXのラッセル・クロウを敵に回してしまった哀れな女性が90分の上映時間ずっと苦しめられる様子を、観客はただただ見守るしかないのである。

 名優ラッセル・クロウが、その短気な性格ゆえに数々の問題を起こしてきたことは映画ファンであればご存じかもしれない。だから観客の大多数は思うのだ、「ラッセル・クロウが出たら秒で土下座して謝れ」と。なのに主人公レイチェルはそれを知らず礼儀を欠いたばっかりに、地獄のような一日を過ごす羽目になるのであった。かくして、映画『アオラレ』はアカデミー主演男優賞俳優の名演相まって、とてつもなく恐ろしいスリラー映画として爆誕したのである。

 はじめこそ理性的、社交的に振る舞っていた“男”だが、一度怒りに火が点くと恐ろしい本性をむき出しにしてくる。どこまでもレイチェルを追い回し、携帯を奪って彼女の行動をコントロールし、彼女の友人や家族とも対面して、時には平然とその命を奪っていく。社会から見放され、全てを奪われたこの“男”には恐れるものなどなく、ゆえにこちらの想像の遥か斜め上をいく行動を見せ、理不尽な暴力を振りまいていく様はもはや台風といった災害の類に近い。結果としてレイチェルを追う過程で周囲の車両も事故に巻き込まれ、被害総額はちょっとしたワイルドスピードみたいになっているし、とばっちりで殺された善良な市民もその魂が救われることはないだろう。

 ちなみに、本作の原題は不安定を意味する『Unhinged』であり、“男”の異常性を強調したタイトルとなっている。巨漢で狂暴、おまけに薬物中毒のラッセル・クロウのモンスター的な存在感が映画全編を支配し、彼に追い詰められたレイチェルの憔悴しきった表情に思わず感情移入してしまう。休む暇を与えられず、常に緊迫感を湛えた映像と演技の迫力に圧倒され、心底震えあがるような恐怖に襲われる。ノンストップ・スリラーとしての舞台装置を見事に演じきったラッセル・クロウ=“男”については、誰もが認める最恐キャラクターの一角に数えられるだろう。

以下、ネタバレを含む

 そんな本作が伝えるメッセージとは、「他人に優しくせよ」ということなのだろう。オープニング映像が告げる通り、危険運転によるトラブルの多くはそれ以前のコミュニケーションの不和や怒りに身を任せた行動に端を発しており、本作の主人公レイチェルもその教訓を観客に伝えるためか、ある意味でとんでもない愚か者として設定されてしまっている。

 そもそもの発端として、レイチェルが車を急がせた理由とは自分が寝坊して仕事に遅刻しそうになった、というもので、その怠惰の結果として仕事を失った苛立ちのあまり“男”に非礼な態度をとってしまった、というのが悲劇の始まりなのである。“男”は繰り返し「(お前の身の回りの人が死ぬのは)お前のせいだ」とレイチェルを追い詰めるのだが、まさにその通り。不用心にスマホにロックをかけなかったり、弟を救うためとはいえ息子を危ない目に合わせたり、挙句の果てに「誰を殺す?」と脅されて自分をクビにした雇い主の名前を出すといった愚行の数々に、彼女を理不尽な目に合った被害者として擁護するのもだんだん厳しくなっていく。

 レイチェルの著しく共感性を欠いたキャラクターは、前述の通り映画のメッセージを際立てるためにあえて設定されたものなのだろう。ゆえに、彼女の非礼に怒り行動する“男”の主張にも(行動を度外視すれば)一理あるように思えてしまうのだ。かつて「命を犠牲に命の大切さを説く」という倫理観のもと多数のデスゲームを主導したジグソウなる者がいたが、ある意味ではラッセル・クロウも世直し系ダークヒーローの側面があったのかもしれない。人殺しとるけども。

 そんな本作から学びを得るとしたら、時間には余裕を持って行動し、怒りを抑え、他者をリスペクトすること、これに尽きる。どんなに辛いことが重なっても、周りに当たり散らすような性格では、自分に不幸が返ってくる。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」とイエスは言ったが、これぞ穏やかで健やかに生きるための秘訣なのだ。まさか聖書の教えをラッセル・クロウから思い起こすとは予想外だったが、彼に追い回されたくないので素直に従うとしよう。

車はマナーを守って、安全に運転しようね!!!


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