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脳内を駆け巡る11年の重み『アベンジャーズ/エンドゲーム』

 ついに観てしまった。もう「知らない」状態には戻せないし、10年間追い続けてきたシリーズの「最終回」ともなれば、感無量どころの話ではない。映画の連ドラ化とも揶揄されるほどに潮流化したユニバース構想の代表にして、最も成功した映画シリーズと言って差し支えないであろうMCUの、肥大化しすぎたクロスオーバーの最終到達点。今後もMCUが続くことはアナウンスされているが、本作を超える歴史的偉業に今後立ち会えるだろうか。MCUをリアルタイムで追い続けられたことは、後世に自慢できる誇りである。

 本作は、前作にあたる『インフィニティ・ウォー』のその後の世界が、ついに真正面から描かれる。全ての生命の半分がサノスによって間引きされた世界。前代未聞の大虐殺を前に、アベンジャーズたちもメンバーの半数以上を失ってしまう。それでも、生き残ったヒーローたちは逆転のために動き始める。

 …というのが表向きのあらすじだが、それに至るまでの冒頭の展開でさえ、ここで述べていくことは躊躇われる。驚くことに、公式自ら世界一豪華な「ネタバレすんなよ」動画を挙げるほどに、冒頭から観たことないものしか出てこない。あれだけ予告編やTVCMを何度も何度もリピートしたのに、上映時間181分は全編がサプライズ。よって、ここからはネタバレしかなく、ご鑑賞になられていない方の閲覧は一切推奨いたしません。もう一度言いますが、「知らない」状態には戻せません。映画史上類を見ない祭りを前に、良い悪いを判断するのはあなた自身である。

最終警告:ネタバレしかしない

 前作『インフィニティ・ウォー』は、存在自体が奇跡みたいな作品だった。二桁を超えるヒーローとその周辺人物が世界観を共有し集合させ、それでもなお勝てないと思わせる規格外なヴィラン、登場するヒーローたちの見せ場を誰一人欠けることなく配し、作品を超えたクロスオーバーや過去作にちなんだ小ネタも容赦ない数が詰め込まれている。シリーズの集大成として、あるいはクロスオーバーとしての教本のようでもありながら、途方もなく高いハードルを見事超えてみせたとてつもない映画。

 それを受けての本作は、全22作で積み上げてきたキャラクターや世界観、アイテムといった全てを内包する意味での「MCU」全体を総括すべく「タイムトラベル」の概念を導入し、これまでの道のりをヒーローたちに、そして劇場に駆けつけたファンに振り返らせる、という手法を用いた。これがあまりにも強烈すぎて二次創作を観ているのでは!?と一瞬動揺してしまった。

 サノスによって奪われた命を取り戻すためにアベンジャーズが選んだのは、量子の世界の概念を用いて過去に飛び、インフィニティ・ストーンを回収すること。その過程で、彼らは「過去作そのもの」に介入していく。『アベンジャーズ』『マイティ・ソー / ダーク・ワールド』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、全22作品の中で、ストーンがサノスの手に渡ることなく存在していた時間軸に、当の本人たちが出向いていく。どこまでが過去作の映像の流用で、どこからが再演なのか。惜しくも命を散らせたキャラクターが代わる代わる再登場しては、観客を驚かせてくれた。

 「実はこんなことが起きていました」という仕掛けで、過去作に新たな意味合いを付加する。一人でダンスをしていたスター・ロードの様子はバッチリ見られていたし、2012年のニューヨークではエンシェント・ワンも闘っていた。予想だにしない展開だが、その実映っているのは馴染みの場所でありキャラクターなわけで、どこか懐かしさも同時に味わえる。映画『レディ・プレイヤー1』にて、VR仮想現実の創設者の愛好するコンテンツのアーカイブが収納された博物館のシーンがあったが、そのMCU版を観ているようだ。

 たっぷり尺を取って描かれるタイムトラベルのシーンは、ファンへのサービスという機能だけに止まらない。その道中、スティーブ、トニー、ソーの三人は、それぞれの大切な人との再会を果たす。ここで改めて気づかされるのが、彼らは大切な人を亡くしているという共通点だ。ペギー・カーター、ハワード・スターク、王妃フリッガ。思いがけぬ再会によってトニーとソーは打ち明けられなかった想いを語り、スティーブがラストに下すある決断も、ペギーの存在によるものだろう。

 『アイアンマン』から始まったこのユニバースにおいて、フェイズ1という土台を作り、初期アベンジャーズメンバーとして長きに渡り闘い続け、常にその中心にあり続けた三人の物語の終着点。とくに、本作がクリス・エヴァンス=キャップにとっての卒業作になると大々的に報じられていたため、どうしても意識してしまう。彼らとの別れがついに来たのだと、ファンは悟ってしまうのだ。

 そして迎えた最終決戦。ピム粒子を奪って過去から現れたサノスの前に立ちはだかったのも、この三人だった。トレードマークである盾やムジョルニアを掲げたキャップとソー、全ての始まりアイアンマン。2012年『アベンジャーズ』から時を経て、この三人が並び立つショットを再び拝めただけで、血が沸き立ってしまうのは避けられない。

 そんな三人の闘いをじっくり観せてくれた後、ついに消失していたヒーローたちが復活し、アベンジャーズによる最後の逆襲(avenge)が始まる。大スクリーンをはみ出す勢いで登場する、数えきれないほどのヒーローたち一人一人の名前を叫びたくなるような、圧巻としか言いようがないシーンだ。この大集合こそ、11年に渡り積み重ねてきた「MCU」そのものであると言わんばかりに、ファンファーレが鳴り響く。そして誰もが待ち望んでいた、「Avengers,Assemble!!」の掛け声。最高の間、最高のタイミングで放たれたそれにアツくなるのは、どうしたって避けられない。本作のために10年近くあえて今まで言わずにとっておいたのだとしたら、なんとクレバーな仕掛けだろうか。成仏したっておかしくないほどの幸福感に包まれ、涙することしかできない。この日のためにシリーズを追ってきたのだと、肌で感じたファンも多かったはずだ。

 しかし、別れの時は避けられない。サノスによって消された命は甦っても、それ以外で命を落としたナターシャ、ロキ、ヴィジョン、そしてトニーとは、もう会えないのだ。一見万能にさえ思えるインフィニティ・ストーンでも、彼らを甦らせることはできない。いや、作り手がそれを許さなかった(選ばなかった)と言うべきだろうか。

 前述の通り、MCUというブランドはこれからも続き、早くも夏には『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』が公開される。だが、「アベンジャーズ」は間違いなく本作で終わりなのだ。初期メンバーを二人も失い、スティーブも「キャプテン・アメリカ」の名前を(黒人である)サム・ウィルソンに譲る。11年に渡り続いてきたシリーズが、次の一歩を歩みだすために、愛すべき彼らとの別れを選んだのだとしたら、これほど切なく、同時にこれほど愛とリスペクトに満ちた花道を用意してくれたことに、感謝の意が絶えない。MCUがこれまでの11年に一区切りを打つための作品が、『エンドゲーム』なのだ。

 後世にその名を残すであろう、すさまじい作品であった。スタッフ・キャスト総出で観客の感情に殴りかけ、こちらはただ「ありがとう」の言葉で埋め尽くされる。11年の総決算たる本作は、考えられないほどに大きく広げられた風呂敷を見事に畳みあげ、誰もが納得せざるを得ない結末でヒーローたちを送り出してくれた。繰り返しになるが、それを見届けられたことへの感謝が先走ってしまい、映画としての評価だといったあらゆる鑑賞眼は吹き飛んでしまう。本当に、何から何まで前代未聞のムーブメントだ。

追記


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