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アニメ『Fate/stay night(2006年版)』を観たよ。

 何を血迷ったか派生作品『EXTRA』から入信してしまったが、やはりここは全ての始まり、原典を押さえにゃ話にならんということで、観てきました全24話。超絶おもしろい海外ドキュメンタリーやオリジナル映画を配信しては俺たちの睡眠を削ることに邁進してきたNetflixさんやHuluさんですが、『Fate』シリーズのアニメも一通りそろっているので、入信予定の人は入会するといい。レンタルDVD全巻分借りるよりも確実にお得。

 シリーズの始まりであるPCゲーム『Fate/stay night』の発売は2004年。本作はわずかその2年後に放送が開始されたアニメシリーズで、原作ゲームの中に存在する3つのルートの内の一つ「Fate」ルートを映像化したもの。制作会社の名前をとってファンの間では「ディーン版」と呼ばれているとか。

 『Fate』シリーズはアニメという一媒体に限っても広大なため、その全容を把握するために下記の記事を参考にした。中でも、『stay night』の3つのルートは制作会社を変えつつも全て映像化されており、その人気の高さがうかがえる。本来であれば原作ゲームをプレイするのが筋だが、TVシリーズ24話×2本と劇場版3部作(19年1月に第2部が公開)で作品に触れる入口が用意されているのはありがたい。

10年前、地方都市である冬木の街は火に包まれた。炎の中を生き延び彷徨った少年・衛宮士郎は、魔術師である衛宮切嗣に助けられ、養子となる。あれから10年。士郎は切嗣のような"正義の味方"になりたいと願い魔術の鍛錬を続けていた。そんなある日、ふとしたきっかけから"聖杯戦争"と呼ばれる魔術師同士の戦いに巻き込まれ、サーヴァントの一人、セイバーと契約する。聖杯戦争とは、手にした者の願いを叶えるという聖杯を巡り、7組の魔術師(マスター)と使い魔(サーヴァント)同士が殺し合いを行う儀式であった。その聖杯戦争に参加するか選択を迫られた士郎は、十年前の大災害が聖杯戦争によるものだと知り、あの惨劇を繰り返さない為に、戦いに身を投じる事を決心する。

感想(ネタバレ含む)

 本作で描かれる「Fate」ルートは、原作ゲームにてプレイヤーが最初に読み進めることになる物語であり、そのアニメ版を全話鑑賞した今では「全ての基本」「王道」という印象が強く、偉人大合戦であるところの「聖杯戦争」のアイデアはとてつもなく興味をそそられる。

 サーヴァントは7つのクラス(属性)に分かれて召喚され、その真名は当初伏せられている。サーヴァントは歴史上の偉人や創作物の英雄などが具現化した存在であるため、真名を知られれば歴史の教科書や伝記を参考に対抗策を練られる危険性があるからだ。そのため、自らは手がかりとなる情報を伏せたまま、相手からはそれを引き出し、相手の真名や特性を見抜く。聖杯戦争とは情報戦であり、同時に視聴者は真名を推理する楽しみが生まれる。以前『EXTRA』を遊んで感じたこの面白さこそ、『Fate』の根強い人気を支える醍醐味の一つかもしれない。もっとも、真名を自ら明かすサーヴァントもいるのだが。

 そうした土台を元に語られるのは、主人公である衛宮士郎と、そのサーヴァントであるセイバーが聖杯戦争に参戦し、闘いの中で己の願いと向き合う物語。10年前の大火の中から救われ生き延びた過去から“正義の味方”を目指すようになった士郎は、しかし魔術師としては半端な才能しか持ち合わせていなかった。高すぎる理想とそれに見合わない実力のギャップに苦悩しつつも、理想を捨てられない青臭さ。そこから生じる彼なりの正義感は、自分の命を勘定に含めず他人を救おうとしてしまう、という歪んだものになってしまう。

 そんな士郎のパートナーとなったセイバーは、聖杯を得るための道具としてのサーヴァントの役目に忠実であり、敵を打ち倒すことに心血を注ぐ聖剣の持ち主。少女のような出で立ちでありながら自らを武人と規定しており、叶えたい願いのために聖杯を切望している。それは、自国の滅亡を招いた己の生き方を否定し、より良い王の即位のため選定をやり直すというもの。

 過去の凄惨な体験に縛られた二人だが、死闘を通して次第に惹かれ合っていく。主人と使い魔という本来の関係性を超え、互いが互いを想い合うまでを描き、それによって己の願いも変化していく。別名「セイバールート」と呼ばれるのも納得なほど、本作は士郎とセイバーの二人の想いが成就するまでを、丁寧に語っていく。

 それぞれが己の過去に罪悪感を抱きつつも、士郎はそのリセットを望まなかった。過去を否定することは、今の自分を否定することと同義である。悲惨な過去を経て出来上がった今を肯定し生き、その後ろめたさを受け入れる強さを保ち続けること。その信念の確かさは、途方もない魔力を秘めたセイバーには無かった、士郎なりの“強さ”であったのは間違いない。

 一国を治める王として、命がけで闘ってきた少女、アルトリア・ペンドラゴン。聖剣を引き抜いた時から成長が止まってしまった少女は、武人として、王として、自分の心を封じて生きてきた。それ故に民からは怖れられ、その奮闘も虚しく国は滅亡の道を歩んでゆく。

 それゆえに自分を責め、自らを否定してでも過去の改変を望んだセイバー。しかし、自分を武人ではなく少女として扱い、時に身を挺して盾となるなど、マスターとして型破りな行動を繰り返す士郎は、セイバー=アルトリアを一人の人間として扱った唯一の人物であった。ライオンのぬいぐるみを愛らしいと感じた少女の姿を真っ直ぐに肯定した士郎に対し、アルトリアもまた一人の人間として士郎への愛情を育ててゆく。

 どんな過去であっても、無かったことにしてはいけない、という思いを共有し、最終決戦に挑む士郎とセイバー。それぞれが前回の聖杯戦争で生じた因縁の相手と対決し、勝利を収め、全ての呪いの元凶である聖杯を破壊する。過去と今の自分を肯定し生きることを誓い、相手への愛情を告白しながら、セイバーは士郎の元を去った。聖杯戦争を闘い抜いた英雄セイバーは、人間アルトリアとして生き誰かを愛した束の間の夢を胸に抱き、息を引き取った。それが彼女にとって最良の救いであり、美しい結末だったように思う。

 このように、士郎とセイバーのコンビへの深い愛情が伝わる作風に対して、その他のマスターやサーヴァントの願い、聖杯戦争に参戦した動機の描写がない者がいるのは残念であった。設定の近似からどうしても『仮面ライダー龍騎』を思い出してしまうのが悪い癖なのだが、殺し合いに参加するだけに見合う願いを秘めたキャラクター同士の命のやり取りこそ、不謹慎ながらバトルロイヤルものに惹かれてしまう理由であり、その点は物足りなさを覚えた。1話24分の中では描かれなかった部分は、原作ゲームで補完するしかないだろうか。

 また、鑑賞中に最もノイズになったのは、主人公・衛宮士郎の思想そのものにあったこともまた事実。セイバーの心を溶かした彼の信念は、上述の通り全てを救う正義の味方になること。しかし、それに見合った強さを持たぬまま戦場に介入したり、セイバーが傷つくのを見たくないという理由から自分が闘うと宣言するなど、身勝手な正義を振りかざす点で不愉快に感じられる言動が多々見られた。「女の子が闘うなんて間違ってる」といった正義感も、時代と合わなくなった価値観だろう。

 自己犠牲はヒーローの特権とも言うべきかもしれないが、無策に飛び込んで戦況を悪化させる分は迷惑でしかないし、自分を大切にしないことで傷つく他者がいるという想像力を欠如している。その上、本作において士郎自身は己の正義感の歪みを自覚することはなく、それを貫くか考え直すのかといった成長は描かれないまま、歪みは放置されてしまう。この点において、小さくはないわだかまりを残した点は、他のルートで解消されるのだろうか。

 「歴史上の偉人を戦わせたら誰が強いか」というアイデアを土台に、スキルや宝具(必殺技)といったゲーム的要素を加えたバトルロイヤル。サーヴァントの正体を探るミステリー要素。シリーズの面白さの基礎を学べる一作で、ゲームを遊ぶ時間がない方にも一話20分弱、隙間時間でじっくり楽しむアニメ版はオススメだ。とはいえ、これでようやく三分の一(3ルートのうちの1つ)を終えたに過ぎないのだから、まだまだ坂は険しい…。


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