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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.3』笑顔でサヨナラさせてくれて、ありがとう。

 正直、一作目はそんなにハマってなかったんです、ガーディアンズに。

 でも、『Vol.2』のオープニングでダンスするグルートの姿を観た時、あぁ、「みんなに会えて嬉しい」って感情が心の底から湧いてきて、劇中のユーモアに笑って、最後は泣いて。で、『インフィニティ・ウォー』や『エンドゲーム』、『ラブ&サンダー』でガーディアンズに会えると自然と笑顔になっちゃってて、いつの間にか大好きになっていた銀河の愛すべきはみ出しもの軍団こと、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー。

 ジェームズ・ガンが過去のSNSでの発言を理由に監督から降ろされて、復帰してからの『Vol.3』は、オリジナルメンバーが揃う最後の作品としてアナウンスされていた。泣いても笑っても、ガーディアンズとはこれでお別れ。なんだか鑑賞するのも気が重たくて、でも観ないと後悔するよなぁと、公開から一日遅れで観に行った。で、今、鑑賞して二時間以内にこれを書いており、泣きすぎたせいで眼が腫れております

※以下、本作のネタバレが含まれます。

 サノスとの闘いを終え、ノーウェアに事務所を構えたガーディアンズだが、ピーターはガモーラを喪ったショックから完全には癒えておらず、映画開始時点ではかつてのユーモアからは程遠い姿が描かれる。ヨンドゥのように矢を上手く扱えないクラグリン、同じく家族を喪ったネビュラ、そして本作の物語のメインとなるロケットからも笑顔が消えており、シリーズでも最もシリアスな雰囲気が形成されていく。そんなお通夜めいた空気を気にもせずアダム・ウォーロックがシールドを突き破って彼らの前に現れ、一行は瀕死のロケットを救うための慌ただしい宇宙の冒険に駆け出していく。

 ジェームズ・ガンは驚くべきことに、自身が監督していない『アベンジャーズ』をはじめとする他のユニバース作品で積み上がってしまった諸問題をも引き取って、世界中のファンが渇望していたゴキゲンなミュージックとエキサイティングなスペースオペラにガーディアンズを引き戻してしまった。かつてないほどに入り組んだピーターとガモーラの関係性だったり、初めて明かされるロケットの凄惨な過去といったトピックスも、前者は息を吹き返したピーターのユーモアセンスで、後者は不憫で愛くるしい生き物たちの哀愁で、観客の心情を笑いと涙で彩っていく。そして最終的にはガーディアンズのメンバー全員が抱える葛藤を「家族」という大きなテーマで包んで、誰よりも深い愛情で抱きとめる。そんな映画だった。

 本作のヴィランである「ハイ・エボリューショナリー」は、全ての生物の強制的な進化を研究し、完全なる生物の創造に取り憑かれてしまったマッド・サイエンティスト。ロケットはその動物実験の過程で生まれた、優れた知能を持ち合わせた成功例であり、自身は逃亡に成功するも心を通わせた動物仲間を失うというトラウマを抱えていたのだ。皮肉屋で口の悪いアライグマが、いかにしてロケットを名乗るようになったのか。珍しく回想シーン多めの編集が、ロケットの過去の傷をえぐり出し、「家族」を求める切ない心にスポットライトを当てていく。

 ハイ・エボリューショナリーはサノスや、監督の前作にあたる『ピースメイカー』にも登場していた、「虐待する父親」という悪役像。これはもう、ガン氏の一貫した作風というか、問題意識の現れを感じ取ってしまう。かつて地球を訪れ魅了され、地球人から偏見と争いを取り除けば完全なる生物が生み出せると信じ込み、「カウンター・アース」なる地球のレプリカを造ってしまうような、実に身勝手な神様気取りの男。完璧で完全を求める男に対し、個性も種族もバラバラな「寄せ集め」であるガーディアンズが立ち向かうという、この構図が美しい。思わず目を背けたくなるような動物虐待を繰り返し、観客のヘイトを際限なく高めていくこの男は、近頃の同情を集めるタイプの悪役とは正反対の「映画が許してもおれが許さん」と思わずにはいられない名ヴィラン。人間の顔面を貼り付けて取り繕っている感じも憎たらしいアイツを、実にスカッとする連携で倒してくれるクライマックスバトルは声を上げたくなるほどに爽快だ。

 こうして振り返ると、ガーディアンズのメンバーのほとんどは家族や友達や恋人といった、大切な誰かを失う体験を経ている。そんな傷だらけの彼らが、仲間がピンチに陥れば放ってはおけず必ず助けに行き、無事を知れば涙して安堵する。血の繋がりがなくとも「家族」だと信じ合えるだけの深い絆があって、私達はその軌跡を2014年の映画館で「Come and Get Your Love」を聴いたあの日から、ずっと追いかけ続けてきた。気づけばもうすぐ9年、『アイアンマン』から『エンドゲーム』までが11年ということで、それに近い年数で銀河のアウトローたちを見守ってきた。

 ロケットの秘められた過去を巡る物語は、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」がただの寄せ集めなどではなく、メンバーにとってはかけがえのない居場所でありホームであることを、もう一度描き出してくれた。そして、クライマックスではそれぞれの巣立ちが待っている。もう一つの家族に向き合う覚悟を決めたピーター、「今」の家族と一緒にいることを決めたガモーラ、それぞれが違う場所で家族を形成していくであろうマンティスと、ノーウェアに残ることになったドラックス・ロケット・ネビュラたち。

 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」は銀河を守る英雄たちを表すだけでなく、ハイ・エボリューショナリーから開放された子どもたちと動物、母親を喪ったばかりのアダム・ウォーロックにとっての新しい居場所になっていく。傷ついた魂が身を寄せ合い、手を取り合って生きていく姿は、分断と不理解が悲劇を生み続けるこの現実社会に対するメッセージを含んだものかもしれない。ジェームズ・ガンの映画はいつだって、「人生はやり直せる」と肩を叩いてくれるような優しさに満ちている。過去の失言に対する反省の意も込めて、恐ろしく普遍的で真っ直ぐな人間讃歌に落とし込まれていく本作の結末は、MCUにおいても『エンドゲーム』に匹敵する、あるいはそれ以上の感動をもたらしてくれる。別れの寂しさこそあれど、多幸感がそれを上回ってくれた、宝物のように大切にしたくなる一作だった。

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