【multi-angle】「知らなくていいこと」を伝えたくて。【黛冬優子】
ドーモ、伝書鳩Pです。あけましておめでとうございます。
シャニマス学部ストレイ学科に所属の皆様、この度はお疲れ様でした。同系衣装が三人とも限定という苦しい闘いを凌ぎ、傷だらけの身体を癒す日々を送られているかと存じます。
よく頑張ったね。消費者金融に駆け込んだ?リボ払いに手を出した??ご愁傷様です。とりあえず今は翌月の自分へ全ての負債をパスして、今はコミュという名の楽園を享受しよう。ちょうど、桜が見ごろですよ。
黛冬優子の誠実
黛冬優子は「ふゆ」という名の仮面を被らない限り、アイドルとしてステージには立てない。彼女自身が幼い頃より作り上げた「ふゆ」は誰からも愛される可愛らしくて優しい女の子のペルソナとなり、今ではアイドルとして出力され、多くのファンを魅了してきた。「ふゆ」とは黛冬優子自身が己に科したキャラクターでもあり、アイドルとして生きていく上での「覚悟」として描かれ、そこに本物も偽物もない、というのが【starring F】やLPを通じての見解だった。
黛冬優子が「ふゆ」を纏うこと、それ自体悪いことでもないし、彼女が罪悪感を抱く必要もない。……とは言うものの、黛冬優子にとってそれは生き方でありプライドにまつわる事柄であるからこそ、半端には出来ない。
一か月限定のラジオ番組『ふゆ時間』に寄せられた一通のメール――、ふゆちゃんのように素敵になりたいというファンの声に対し、冬優子は「『ふゆになりたい』じゃなくて、『ふゆみたいになりたい』と思ってほしい」と告げる。たが、自分の口から出たその答えに納得がいかず、彼女は自責の念を募らせる。「偽善者」という言葉で、自分を責め立てる。
かつてアニメの中で輝くアイドルに憧れた冬優子が、今度は自分が憧憬の対象となる。そんな彼女のこれまでの歩みを肯定するかのようなお便りはしかし、冬優子の中の責任感や罪悪感を揺さぶってしまう。冬優子にとって、「ふゆ」とは理想の自分の表れである。誰からも愛されるために、嫌われないために一生懸命作り上げた、たとえ本物であったとしても「つくりもの」の私。
そんな冬優子にとって、他人に対し「あなたはあなたのまま、理想の自分になってほしい」などという正しさを背負わせてしまうことを、自分自身が許せなかった。ありのままが通用しなかったから「ふゆ」という理想の自分を作り上げたのに、他人には上っ面の綺麗事でお茶を濁す。そんな不誠実を見過ごしたら、黛冬優子は自分が許せなくなる。
自分が自分のままじゃ愛されない、受け入れられない辛さを、冬優子自身が痛いほどわかっている。だからこそ生まれた「ふゆ」は彼女の心を守る鎧でもあり、同時にアイドル戦国時代を生き抜く武器として結果を残し、冬優子とふゆは切り離せなくなった。そんな自分が、かつての自分と同じ悩みを抱える少女にかけてあげられる言葉は、おそらく“こう”じゃない。仮面を被ることに負い目を生むのではなく、仮面を被って生きることを肯定してあげるべきだったと、彼女は悔いているのだろう。そうでなければ、これまでの自分までも否定してしまうから。
黛冬優子の再戦
ラジオの収録の後、シャニPの心配さえも振り切って一人熟考に入る冬優子。彼女の生き方にもまつわる問題ゆえに、シャニPの力を借りるわけにもいかなかったのだろう。そんな彼女の真面目さが愛おしい。
そして、彼女自身がケリを付けるべき課題であることを知っているからこそ、シャニPの仕事はこれまでと同じ、背中を押してあげること、になるのである。ファンの気持ちに、もう一度自分の言葉で答えたい。そうした想いを汲み取って、シャニPはやり直しを提案する。ラジオの放送はまだ残っているのだから、悔いが残らないようやってみろ、と。
次の収録にて、「ふゆ」はもう一度語り掛ける。この時、前回の答えを撤回するのではなく、「補足」と称したところもまた彼女の誠実さを思わせる。一度吐き出した言葉への責任を理解し、その想いを汲み取ったファンの気持ちを蔑ろにしない。彼女はただ、こう付け加えるのである。
おそらく、初めてになるのではないだろうか。「ふゆ」の口から、ファンに向けて「黛冬優子」を放つのは。今の冬優子にとっての理想としての「ふゆ」から語られる、黛冬優子の本心。理想の自分でいるために、別のレイヤーを持つことを肯定する。それは、冬優子が自分自身に、そして「ふゆ」という仮面についてきてくれたファンへの誠実な回答であり、偽りない黛冬優子の言葉。それを「ふゆ」が発することで、「ふゆ」が冬優子にとっても紛れもない「ほんとう」であることを、私たちは理解する。必死に悩んで、闘い抜いてきた先に紡がれた言葉は、黛冬優子の確固たる「I」を補強する。
もちろん、これは一つの爆弾になるのかもしれない。「作る」と明言してしまった以上、この言葉をどう捉えるかは聴いた人それぞれの受け取り方に左右される。おそらく、好意的な感想ばかりではないだろう。黛冬優子が理想の自分でいるために付けた仮面が、いつしか彼女自身を傷つけるかもしれない。彼女のアイドルとしての覚悟が揺らぐことはないだろうが、誹謗中傷の類に晒されないよう祈るしかない。シャニマスの世界は必ずしも優しい視線にのみ溢れているわけではないのだから。
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