綾野剛オブザイヤー。『最後まで行く』
イケメンが汚れ役をするのが何よりも大好きなので、予告編だけを頼りに『最後まで行く』を観ました。ほとんど予習をしておらず、韓国映画のリメイクということも鑑賞後に知ったので、比較もできませんが、面白かったです。主に Go Ayano の話をします。
不運の積み重ねから人を轢き殺してしまい、衝動的に遺体を持ち去り事件をなかったことにしようとする刑事と、彼を追う監察官。二人はそれぞれ違う思惑で動いており、一つの死体を巡りその運命は交差する……という物語。
当初、岡田くん演じる刑事の工藤は、汚れ仕事も辞さないバッド・コップなのだろうと思いこんで観ていたが、実際の彼はまだ「小悪党」の類になると思う。ヤクザから裏金を受け取ってはいるが、基本的には大きな悪事を成すには度胸も冷静さも足りていないし、工藤は常に挙動不審で同僚からも怪しまれる始末である。ぶっきらぼうに接するのは離婚間近の妻くらいで、工藤もまた警察社会の中では力のない平社員のようなもの。賄賂の件を問いただされれば「課長も受け取ってたじゃないですかぁ」と泣き言を言い、死体を運ぶ最中に検問に引っかかればキレて追求を誤魔化す。
そんな工藤の悪人になりきれない部分こそが妙な笑いを生む本作の序盤は、「他人の不幸は最高の娯楽」というシチュエーションの見本市だ。離婚届を早く書けと妻から詰められ、賄賂の件が明るみになろうとするとトカゲのしっぽ切りに合いそうになり、母親が亡くなったその日に人を轢いてしまう。起こった出来事とその隠蔽は100%悪だが、死体を隠すために一時は葬儀屋の換気扇に放置し、次は母親の棺桶に収納(!!)。葬儀という静粛でなければならない場面を「死体隠し」という罰当たりなサスペンスでコーティングする辺りは、劇場でも笑いが漏れていた。あの岡田くんが高そうなジャケットを埃まみれにしながら、見苦しく通気孔を這いずり回るシーンは、なんだか得した気分になる。
そんな工藤を「悪」に引きずり込もうとする監察官・矢崎こそがもうひとりの主人公にして、本作をバットマンとジョーカーのオリジンに近づけたのはまさしく俳優・綾野剛の表情と佇まいによるものだろう。
※以下、本作のネタバレが含まれます。
まずそもそも、矢崎とかいう男を演じる綾野剛の演技、エロすぎないだろうか。
綾野剛演じる矢崎を限りなく記号的な表現に解像度を落とすと、「己の中の獣を圧し殺し理性的であろうとするも一気に爆発すると暴力が止まらないメガネの綾野剛」と出力された。ダークよりもグレー寄りのコートに身を包む姿は誰にも本心を明かさない矢崎を表現し、結婚式を控えた妻(出世のために付き合った上司の娘)が両親への手紙を読み落涙する目の前で聞き入っている表情をしながら「妻からは見えない顔の奥の方だけ引きつらせる」という凄まじい表情の変化を見せる。妻からは見えない顔の奥の方だけ引きつらせるって何だよと思うけれど、そうとしかあの演技を表現できない。
その他のシーンを観続けていると、矢崎という男は、表面では仕事のできる監察官であり良き夫を100%演じ続けられるだけの胆力があり、上司の妻と添い遂げるまでの強烈な出世欲を滲ませつつ、想定外の出来事が起こるとその暴力衝動を抑えられない、という人間であることが読み取れる。その手が返り血で汚れることも辞さず、工藤をタコ殴りにするシーンの、あの衝動に任せた一方的なリンチにはかなりの迫力があったし、そこから急転直下にダーティな手段を取り続ける矢崎の「堕ちた」感は、ノワール独特の色気に満ちていた。
工藤もそうだが、矢崎もまた警察組織のしがらみや不正に絡め取られた被害者でもあり、上司からのパワハラと無茶な納期(12月28日に「年内」の納期を振ってくるカス上司💢💢)に苛まれながらヤクザに協力を仰ぐ姿は、映画冒頭の「デキる」矢崎を観ていた身としてはメッキが剥がれたような印象があり、それがなんだかえっち魅力的に映えるのは綾野剛の演技力の為せる技に違いない。
物凄く表層的な話だけをしていて恐縮だが、本作の即物的な感想は矢崎という男、ひいては綾野剛という俳優はやっぱりスゲェ!になってしまう。その綺麗な顔を歪ませ、追い詰められれば狂犬になりうる素質を持つ工藤に興味を持ち、ジョーカーめいた執着を放ちながらどこまでも追ってくる矢崎は、実にサイコで映画を牽引する存在になっていた。強烈な出世欲もかなぐり捨て、いつしか工藤を追いかけるマシーンになっていく辺りは、彼もまた“砂漠のトカゲ”の如く、ジタバタするだけでどこへも行けなくなってしまった、という皮肉も相まって良くまとまっていたように思う。
無論、矢崎の狂気もより大きな「悪」に回収されてしまうわけで、それを演技一発で理解させるとしたら柄本明のキャスティングもまた100点満点だろう。本作は岡田准一と綾野剛による「顔映画」でもあるわけだが、そのラスボスはさらに恐ろしかった、という小粋なおまけシーンも大好きだ。どちらかが死ぬまで果てることのない地獄へと車を走らせている間、それを俯瞰して眺めている何者かがいる。工藤と矢崎、二人に行き着く最後とは、やり直せるかもしれないという希望すら食い物にされた、哀れな被害者たちの共食いなのかもしれない。
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